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匡と別れてから始まった一日は、特に困ったミスもなく終わりを迎えた。
細かいことを言えば小さな抜けはあった。けどすぐに気付いて修正できたし、上司や同僚に不審に思われることはなかったと思う。
できるだけ精密に確認し、必要なことは先に調べて通常どおり振る舞えた。とても偉大なことを成し遂げたような充足感が満ちている。一日終えるだけで偉いと思っていた、新入社員の頃に戻ったみたいだった。
家のベッドに倒れてからスマホを眺める。
日課でもある最新のニュースを一通り読んだあと、画面右上の表記に口を開く。
「十時、十分」
今日は身体が重くて、とても行ける状態じゃない。
本当は白露に会いに行きたい。けど時間は早くも十一分になろうとしている。今日は駄目だから、早々に諦めることにした。
身体が怠いことは事実。しかし、心の中でまだ“あの出来事”がストッパーをかけている。
白露に会いに行ったら、せっかく戻りかけてる記憶がまた失われるかもしれない────。
小さなことならともかく、家の帰り道まで忘れた恐怖が未だに消えてくれない。あんな体験はもうしたくない、と心の底から強く思った。子どもならともかく、いい歳した大人が道をウロウロしてても誰も手を差し伸べたりしない。むしろ不審者と勘違いされ、通報される。
でも……白露をあのまま、あんな冷たい世界にひとり残しておくこともできない。
「怖い」、って。
きっと寂しいって泣いてる。
あいつは本当は甘えん坊で、寂しがり屋だから。
俺が帰ろうとするときは笑顔で送り出してくれるけど、最後に見せる表情はいつも悲しそうだ。
振っていた手を、力なく下に落とす。
それでも「また来て」とは絶対に言わない。時間を気にして、できるだけ記憶に障害が残らないよう心掛けてくれる。口には出さないけど、彼のそういう優しさが好きだった。
「行かなきゃ。会いに……」
うわ言のように呟く。
白露が今何をしてるのか考えながら、枕に顔を埋めた。彼が今泣いてるのだとしたら、すぐにでも抱き締めてやりたい。けど、そんなことはできないから。
一晩深い眠りにつくことで、今日も彼と過ごした記憶を失くしていく。