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S.T.M.yo
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わらわが目を覚ますと、不思議なことが起こっていた。
わらわを縛めていたあらゆる事柄から、解き放たれたかのように、心が軽くなっている。
気がつくと、茵(しとね)の上に仰向けで寝かされていたので、起き上がってみると、身体までもが軽くなっていた。
足元には、白川伯雨が控えており、いつの間にか、退室していたはずの恒貞親王と並んで座っている。
白川伯雨が口を開いた。
「お加減は如何ですか?」
わらわは、軽く首を振った。
「不思議じゃ。
憑き物が落ちたように、心も身体も軽くなっておる。
わらわは、今まで、何をしておったのであろうか?」
白川伯雨が、わずがに頭を下げてから、再び口を開いた。
「院后様は、自らが生み出した雨に取り込まれて、その雨に支配されておられたのです」
その言葉に、わらわのみならず恒貞も、「ハッ」と顔を上げて驚いている。
「されど、神祇伯殿の呪術は凄まじいのう。
一瞬にして人を呪い殺したかと思えば、一瞬にして、わらわの穢れも祓うてしまうとは…
そなたこそが、まことの神祇伯じゃな。
感謝しておるぞ」
そう言って立ち上がり、身支度を整えようとすると、白川伯雨が、それを遮るように口を開いた。
「されど、まだ治療は終わっておりませぬ。
私の中に取り込んだ院后様の雨は、まだ清められておらぬのです」
わらわは、再び腰を下ろして、「どうすれば良いのじゃ?」と治療師に訊ねた。
すると、治療師が頭を下げながらこう言ったのだ。
「しばし、私と語らいましょう」
そして、深々と頭を下げた治療師が、滔々と語り始める。
「院后様の雨を取り込んだと申しても、雨だけを取り込んだわけではありませぬ。
聖気の欠片や、様々な思念なども共に取り込んでおるのです。
その中に、親王様の思念も含まれておりました。
お聞きになられますか?」
何故か、込み上げてくる涙をグッと堪えて、ゆっくりと頷いた。
すると、白川伯雨が童のようにあどけない声で語り始める。
「母君、庭で虫を捕まえました。
この虫は、何という虫なのでしょう?
母君、庭で花を摘みました。
この花は、何という花なのでしょう?
母君、庭で魚を獲りました。
この魚は、何という魚なのでしょう?
母君、庭で鳥を見ました。
あの鳥は、何という鳥なのでしょう?
母君、庭に雨が降っております。
あの雨は、どうして降るのでしょう?
母君、庭に雪が積もっております。
あの雪は、どうして積もるのでしょう?
母君、庭に春が来たそうです。
その春は、どこから来るのでしょう…」
堪え切れずに、嗚咽が漏れてしまう。
すると恒貞が、そっと、わらわの手を握ってくれる。
「な、な、ながないでぐだざぃ…
は、母君は、わ、わるくありまぜん。
わ、わ、わだじが、う、うつげだがら…」
その時、いつの間に顔を上げたのか、治療師が真っ直ぐにわらわを見据えている。
「恒貞親王は、うつけなどではありませぬ。
多少、成長が遅く、言葉が上手く紡げなくとも、決して、うつけではないのです。
恒貞親王にとって、淳和院の庭のみが、この世の全てでした。
恒貞親王にとって、この世で言葉を交わせるのは、院后様と乳母(めのと)の二人だけです。
それでも、恒貞親王は尽きぬ好奇心をその胸に抱き、様々なことに心を傾け、様々ことを学び取ろう努力されていました。
されど、誰も、その好奇心を満たしてはくれません…
誰も、その疑問には、答えてはくれなかったのです。
それで、どうやって知識を得るのでしょう?
それで、どうやって成長するのでしょう?
それで、どうやって賢くなれというのですか?」
わらわは、ついに堪えきれなくなって、声を上げて泣き崩れてしまう。
そして、恒貞の手を強く握り返した。
「わ、わらわが間違うておった…
そなたの幸せにかこつけて、わらわの幸せだけを追い求めておった。
そのたを帝にするのではなく、わらわが帝の母になろうとしていたのじゃ。
何と、浅ましきことであろう…
わらわに、母たる資格などない。
どうか、許してたもれ…」
わらわの言葉に、治療師が静かに首を振る。
「さきほども申した通り、院后様が悪いのではありません。
全ては、雨の仕業です。
そして、その雨も、私の中で清められました。
どうか、ご安心くだされ…」
その言葉に、わらわは顔を上げ優しく微笑んだ。
そして、その笑顔を恒貞親王にも向ける。
「もう、帝になどならずとも良い。
わらわは、自らの雨(あめ)のせいで、大切なものを見失うておりました。
わらわと共に、虫を追い、花を愛で、鳥のように、風のように、心のままに生きようぞ…」
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第39話、読み終えました……もう、言葉が出てこないくらい胸にきました。 白川伯雨が恒貞親王の幼い日の言葉をそのまま伝える場面、あれは本当にぐっときましたね。「母君、庭で虫を捕まえました」という無邪気な問いかけが、誰にも答えてもらえなかったという事実。正子の嗚咽と、それに応える恒貞の吃りながらの「ながないで」が、もう……。 最後の「帝にならずとも良い、心のままに生きよう」という正子の言葉で、やっと親子が本当に繋がった気がして、涙が止まりませんでした。