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社会人になったからと言って、学生時代の、あの目に見えるように確かな線引きは決して消えてなんてないこと。
同僚でなく、同級生だったなら交わらない距離感だったろう、坪井との関係。
それが現実だと。
(ああ、そっか、きっと。夕方の、あの時の……、咲山さんの私を見る目ってそういうやつだったんだ)
彼女に、この場に連れてこられたことを妙に納得してしまった。
再び小さく息を吐いた真衣香。
すると突然背後から手を引かれた。
……かと思えば、トン、と。 何かにすっぽり背中から包まれるようにして収まってしまった。
何事かと悩むよりも前に、柑橘系の爽やかな香りが真衣香の鼻をかすめた。
僅かに視線を動かすと、いつも坪井が身につけているシルバーの腕時計がシャツの袖口から覗き、ライトに照らされキラキラと光っている。
その腕に、今、包まれているのだと真衣香は理解した。
「俺と夏美の連れじゃなくて、俺の彼女だよ、この子」
ギュッと真衣香を包み込むように抱きしめて言った、その声に僅かに救われる気持ち。それと情けなさ。
(坪井くんにとっての恥ずかしい彼女になりたくなかったのになぁ)
唇に力を込めた。
そうでもしなければ、涙が出てきてしまいそうで。
しん……と、声が止まる。
坪井の発言に、驚いたからだろう。
代わりに突き刺すような、物珍しいものを見るような視線で、目の前の男女は真衣香を観察するように眺めだした。
そんな居心地の悪さから真衣香を救ったのは、カウンターの中から顔を出した男性の声。
「お前らいつまでそんなとこ突っ立ってんだよ、閉めろや寒いだろが」
「あ、マスター久しぶり。ごめんごめん」
坪井が陽気な声で謝りながら扉を閉める。
マスターと呼ばれた男性は、歳は八木と変わらないくらいだろうか?30代前半に見え、強面の凜々しく彫りの深い顔立ちに、大きく耳たぶに穴が開いたようなピアス。
またもや、真衣香は関わったことのない身なりの人物の登場に、慄く。
その動作に気がついたのか、抱き寄せる坪井の腕に、また少し力が込められた。
真衣香と坪井の方を振り返りながらも、咲山は2人の様子を気にすることなくマスターと呼ばれる男性に話しかけた。
「ね、マスター。投げてから飲むから適当にすっきりするやつ作っててね」
頷くマスターを確認した後、咲山は「涼太早く」と坪井に呼びかけながら他の客たちと奥へと進んだ。
そんな咲山に「はいはい」と短く返事をしながら、視線を真衣香へ移した坪井は「ね、無理してない?立花」と心配そうな声で聞いた。
「大丈夫だよ、私が来たいって言ったよ」
真衣香は笑顔を無理やり作って答える。
「や、そうなんだけど……。なんてゆーか」
言葉を濁らせた坪井が、ガシガシと頭を掻き乱しながら、何を言おうとしたのか。
真衣香にはなんとなく想像がついてしまったような気がした。
今、悶々と考え込んでいた内容そのままなんだろう。
場違いでしかないし、さっきも……店に入った時、あの時も。
きっと坪井が割り込んできてくれなければ、
咲山と坪井というお似合いの二人についてきた『地味なよくわからない女』でしかなかったんだろう。
(私、意地になってきたけど……。坪井くんの迷惑になるかもなんて考えてもなかったよね。最低だ)
「坪井くん、咲山さん行っちゃうよ」
滅入りそうな真衣香は声を奪われてしまったかのように、小さく頼りない声で、咲山の方へ言ってくれと言わんばかりの言葉を坪井に向けた。
そんな真衣香を見て、坪井の心配そうな顔がさらに強まる。
「あー、うん。それは、別に勝手にしたらいいよ、お前はどうする? 奥にダーツあるんだけど」
当たり前のように、咲山よりも真衣香を優先するような発言。
ドキッと胸は確かに高鳴ったのに。
なのに。
そんな優しい姿を見ても、気を遣わせてしまっている……と。
素直に喜ぶこともできないほどに、今、真衣香からは自信が消え去ってしまっていた。