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凄まじい突風に見舞われ、クレイは身をかがめる。目の前にいたイルネスの身体を抱く誰かがいた。灰青の長い髪に深紅のローブを着た魔導師。手には大きな竜翡翠の杖を握り締めた、彼にとっては誰よりよく知る者。
「……ヒルデガルド! どうしてここにいる!?」
その言葉が聞こえないかのように背を向け、ヒルデガルドはイルネスを運んでシャロムに預ける。ローブの中から治癒のポーションがたっぷり詰まった瓶を置いて「これを飲んでおけ」と優しく微笑んだ。
「おい、無視するな! なんでお前がここに──」
「うるさい、耳障りだ。少し黙って待ってろ」
軽く杖を地面に立てただけで、巨大な氷の壁が二人を隔てた。魔力の通った氷の壁は、簡単に砕けるほどやわなものではない。その隙に彼女は、シャロムたちに「遅れてすまない。少々、面倒事に巻き込まれてな」と謝罪する。
『この二ヶ月、おまえはどこにいたんだ?』
シャロムが疑問を投げかけると、彼女はため息をつく。
「──冥界だ。抜け出すのには苦労したよ」
薬を飲んで回復したイルネスが、むくっと起き上がって目を丸くした。「あれは生きた人間の入る場所ではなかろう」と、彼女が生きているのを奇跡とさえ言った。冥界は死者の国であり、生きた人間が入れば、その肉体と魂が乖離することになり、二度と冥界から出られなくなるからだ。
氷の壁が粉々に砕ける。クレイ・アルニムは怒りの形相でヒルデガルドを睨みつけた。
「冥界から出られる手段がどこにあった!? お前にはデミゴッドの監視までつけておいたはずだ! なぜ、どうやって、ここへ駆けつけた!」
叫ぶ彼の背後に、ぬうっと大きな影が差す。振り返れば、大きな黒いローブに赤い縁取りをした骸骨が、歪に光る目を持って、彼を嘲ってみていた。
『これはこれは、クレイ・アルニム。ワタシのプレゼント、喜んで頂けました? 随分探すのに時間掛かっちゃいましたよ。三分くらいネ!』
アバドンがケタケタと笑って、クレイの頭に手を置く。
振り払うように無言で剣を振られた。そこには殺意があったが、アバドンはそれを平然と指でつまむように止め──。
『いけないなあ、クレイくん。相手は選ばなきゃ』
指先で剣の刃をこする。まるで劣化したかのように、突然、彼の剣は刃毀れした無様な姿になり果てた。ヒルデガルド以外の誰もが、ゾッとする光景だった。ヒルデガルドだけが、それを知った眼差しで見つめている。
「なぜだ、アバドン。どうしてオレを裏切った?」
張り詰めた空気の中、アバドンはプッと噴き出す。
『ワタシには、おまえの考える世界が実に下らなくて退屈にしか思えない。そしてなにより、これはワタシの求めた絶望の形ではない。せいぜい、あとは女狐に出し抜かれないように頑張りなさい。ワタシは高みの見物でもしていましょう』
ふわっと彼の姿が黒い霧になって消えた。高笑いだけが虚空に響き、彼がどこかで見ているのだと思うと、クレイは腹が立って仕方がない。
「あの裏切り者め……。まあいい、お前らを片付けたあとで、あいつも始末してやる。どいつもこいつも、ヒルデガルド、ヒルデガルドと……!」
「君と私の違いだな。他人のせいにするのはさぞ楽しそうだ」
杖を構えたヒルデガルドは、イルネスたちを振り返って──。
「今、避難区域でエルンたちが戦ってくれているが状況が芳しくない。ワイバーンの数が多すぎるんだ、イルネスはそちらに向かってくれ。シャロムは外にいる冒険者たちを頼む。ドラゴンロードだけでは限界もあるはずだ」
「ぬしはどうするつもりじゃ、そのボロボロの姿で?」
状況に呆気に取られていたが、よく見ればヒルデガルドは傷だらけのボロボロだ。冥界で何があったのかとは聞かなかったが、心配になった。彼女とクレイを比べれば、どちらが消耗しているかは一目瞭然だ。
しかし、堂々と彼女は。
「安心したまえ。私には──誰よりも心強い味方がいる」
空がきらっと光った。飛んできた雷撃を剣で弾いたクレイが視線を流した先、少し遠くに杖を構えたイーリスと、アーネストが立っている。怪我はしているが、決してひどいものではなく、打ち所が悪くて少し気絶していただけだ。
「ヒルデガルド! 無事だったんだね!」
「ああ、遅れてすまなかった。だが、もう大丈夫」
すう、はあと深呼吸をする。対峙するクレイに、彼女は告げた。
「君をここで許すわけにはいかない。冥界に閉じ込められていた二ヶ月分、その苦痛を君にも味わってもらうことにしよう」
「……そうかよ。やっぱりお前は、俺を見てくれないんだな」
剣を握る手が怒りにぶるぶる震えた。こんなことがあってもいいのか。入念に準備してきて、全てを台無しにされ、目の前でヒルデガルドに告げられた言葉は、彼の冷静さを焼き尽くすに余りあるほどの影響を与えた。
「なら全員、まとめて始末するまでだ!──〝雷霆の裁き《ケラウノス》〟!」
イーリスたちに放ったときよりも遥かに高い威力で放とうとするのを、ヒルデガルドはぐるんと杖を大きく回して──。
「私がいて、そんなものが使えると思うなよ」