コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
前に食べたジャムは本当に美味しくて堪らなかったのに、今日は味がしない。目の前の雄大さんの機嫌が、この上なく悪いから。
原因は、私。
雄大さんの腕の中で目覚めた私は、その状況がわからなかった。
「このネクタイも覚えてないのかよ?」
きつい結び目のついた、切断されたネクタイ。
「何? これ」
一瞬にして、雄大さんの表情が変わった。
「お前、しばらく酒飲むな」
「え?」
「飲むなよ!」
『馨、日本酒飲むの禁止な』
付き合っている頃、昊輝に言われたことを思い出した。あの時も、いくら聞いても理由を教えてもらえなかった。
そうだ。
あの時も目が覚めたら全身筋肉痛だった。
セックスしたことはわかった。けれど、まるで記憶がなかった。
今日も、そう。
部屋の様子と身体の状態から、セックスをしたことは確かだけれど、全く憶えていない。
あのネクタイ、昨日雄大さんが着けていたのだよな……。
あれを私に見せたってことは、私が切ったの?
どうして?
食パンをかじりながら、雄大さんの顔を見た。眉間に皺を寄せて、険しい表情でジャム入りのヨーグルトを食べている。
もう一度、昨夜のことを聞こうか迷って、やめた。とても聞ける空気じゃない。
「やっぱり日本酒が——」
「日本酒?」
聞き返されて、無意識に口にしていたことに気付いた。
「あ……いや……」
「何だよ」
「えっと……」
「言え」
これ以上、怒らせたくはない。
「日本酒……飲まないように言われてたんですけど、昨日は課長に勧められて一杯だけ——」
日本酒初心者でも飲みやすくて美味しいからと言われて、一杯だけ飲んだ。
「誰に言われた?」
「え?」
「日本酒飲むなって、誰に言われた?」
元カレに言われたなんて言ったら、余計に機嫌が悪くなるんじゃ……。
「財布の元カレか」
返事を考えている間に、先を越された。
頷くしか出来なかった。
「理由は?」
「わかりません……」
「昨夜のこと、本当に何も憶えてないのか?」
「……」
課長にタクシーで帰るように言われて、乗ったのは憶えてる。けど、どうして雄大さんの家に行ったのかは憶えていない。
「あのネクタイを切ったの……私?」と、恐る恐る聞いてみた。
「結んだのも切ったのも、お前だよ」
結んだ……?
「なんで……?」
「お仕置、だって」
お仕置……?
『浮気なんてしてねーし』
頭に雄大さんの声が響いた。
『どうして唇に口紅がつくの?』
「そうだ! 浮気!!」
「はあ?」
「思い出した! 雄大さんが浮気したから——」
「してねーって!」
「嘘! 唇に口紅がついてたじゃない! だから——」
だから……。
「だから……ネクタイ? なんで……?」
雄大さんがため息をつく。
「憶えてないなら、もういい。とにかくお前は二度と日本酒を飲むな」
「はい……」
「それから、俺は浮気なんてしてない!」
「口紅……」
「事故だ! この話はこれで終わり! いいな!!」
もう二度と日本酒は飲むまいと、誓った。
朝食の後、私の荷物を雄大さんの家に運び込んだ。必要最低限の荷物でいいと思ったけれど、雄大さんが不自由のないようにあれもこれも持って行こうと、SUVがいっぱいになるまで詰め込んだ。
結果、夜になっても荷解きは終わらず、続きは明日にすることにした。
一緒にお風呂に入ろうとする雄大さんを、本当に疲れているから一人でゆっくり入らせて欲しいと説得した。雄大さんは渋々引き下がった。
雄大さんが求めてくれることは嬉しかったけれど、それに応える気力も体力もなかった。私は、雄大さんがお風呂から上がる前に寝落ちしてしまった。
「いびきかいてたぞ」
目覚めて第一声がそれ。
「嘘!」
「ヨダレ垂らしてたし」
「……!」
恥ずかしさに背を向けて蹲る。
「嘘だよ」
耳元で囁かれ、ドキッとする。
こんなん……慣れる気がしない——。
後ろから抱き締められて、お尻に当たるモノに気付いた。
「朝ご飯……は、私が用意しますね」と言いながら、起き上がろうとする。
けれど、雄大さんは私を離さなかった。
「知らんぷりとか冷たくない?」
お腹をグイッと引き寄せられて、わざと押し当てられる。
「別に……」
「安心しろ。朝は割と早いから」
「はあ?」
昨夜は雄大さんがパスタを作ってくれた。だから、朝は簡単なものでも私が用意しようと思ったのに、出来なくなった。
どこが早いのよ!
朝から執拗に攻められて、ようやく離してもらえた時にはぐったりで、結局、朝食も雄大さんが用意してくれた。
「一息ついたら、指輪取りに行こうぜ」
食器を洗っている時、雄大さんが言った。
正直、忘れていた。
「そう……ですね」
「お前、忘れてたろ」
「そんなわけないじゃないですか」
「ふぅぅぅん……」
疑いの眼差しを直視できず、キュッキュッと食器が鳴くまで磨いた。