「結婚に興味がないなんて言いながら、人一倍温かい家庭に憧れてたのよ、雄大」
雄大さんと立波家に挨拶に行った三日後。
澪さんからお誘いを受けて、食事に来ていた。
雄大さんは昨日から出張で、福岡に行っていた。帰って来るのは、明日の夜。
『飲み過ぎるなよ』
澪さんと食事に行くことをメッセージで伝えると、すぐに返信がきた。
『二十三時には帰るように!』
ホント……心配性なんだから……。
「本当は早く子供が欲しかったのに、失敗するのが怖くて結婚に興味がないなんて言い張ってたの」
澪さんが連れて来てくれたのは、行きつけのBar『Select』。
料理のメニューが豊富で、女性客が多い。
私はソーセージをフォークに刺した。
「意外です」
「でしょ? ま、雄大が失敗を怖がってたのは、私のせいでもあるんだけどね」
澪さんは赤ワインを飲んでいる。ワイングラスがよく似合う。
「私が二度も失敗したから」
澪さんに二度の離婚歴があることは、雄大さんから聞いていた。
「しかも、あいつの付き合う女って私に似たタイプだし」
「澪さんに?」
「そ。気が強くて自立しているスレンダーなキレイ系」
雄大さんの元カノは春日野さんしか知らないけれど、確かにそういうタイプだ。
「雄大さんがお姉さんを大好きなのはわかります」
「いい年した男が、恥ずかしいわよね」
「羨ましいです」
「え?」
「私と妹は年が離れているから、一緒に遊んだ記憶どころか、一緒に暮らした記憶もあまりなくて……」
「そっか……」
澪さんが私と桜のことをどの程度知っているのか、気になった。
「私と妹のことは……聞いてるんですよね?」
「立波リゾートの会長の姪だってことは、聞いたわ。妹さんとは異父姉妹だってことも」
「じゃあ——」
私は澪さんが好きだ。
こんな素敵な女性が義姉になってくれたら嬉しいと、心から思う。
雄大さんも澪さんを大切にしている。
だから、澪さんには全てを知っておいてもらいたい——。
「私と結婚することで、雄大さんが立波リゾートの社長になることは……?」
「え——?」
澪さんがその事実を知らされていなかったことは、表情でわかった。
「ご存知かもしれませんけど、今の立波には後継者がいません。現社長も次期社長だった那須川勲が亡くなったことで担がれてしまったんです。そして、現社長には子供がいない」
澪さんが、頷く。
「私と妹は立波家とは血の繋がりはないけれど、戸籍上は親族です。元々、立波ではなく那須川の義父を後継者にと考えていたこともあって、前社長は私か妹の夫となる男性に立波リゾートを任せたいと言い出しました。現社長は私か妹が結婚するまでという期間限定で、社長就任を受け入れたんです」
「馨ちゃんはそれを受け入れたの?」
「義父が亡くなった時……妹はまだ高校に入ったばかりでした。私はようやく仕事を覚えたところで、妹の面倒を見る余裕がなかったんです。……金銭的にも……」
「そっか……」
カウンターに座っていた女性がグラスを落とし、割れる音が店内に響いた。雑巾とバケツを持ったバーテンダーが、急いで床を拭く。
「ご両親が……私との結婚を反対なさることは……わかっています。けど——」
「馨ちゃん。雄大は馨ちゃんの事情を知った上で、結婚したいと言ったんでしょう?」
私は、小さく頷いた。
「だったら、両親は関係ないわよ。反対されても、勘当されても、馨ちゃんは雄大を信じていればいいの」
「だけど……」
「確かに、親は雄大に跡を継がせたがっているけど、雄大はきっぱりと拒否しているんだし、それと馨ちゃんの結婚とは関係ないもの」
「そう……だといいんですけど……」
私はバッグから小さく折りたたんだ紙を取り出し、広げて澪さんに手渡した。
「何!? これ」
「雄大さんは、悪くないんです」
「そんなわけないじゃない。馨ちゃんがいるのに——っ」
「あ、違うんです! 浮気とか……じゃなくて……」
焦って声が大きくなり、隣のテーブルのカップルが振り向いた。
「彼女が躓いたのを、雄大さんが支えただけなんです」
「いや、そんな言い訳——」
「本当なんです。彼女と食事に行くように勧めたのも私で……。それに、雄大さんはその写真を撮られた後すぐに帰ってきましたから」
澪さんは雄大さんと春日野さんが抱き合っているように見える写真を元通りに折りたたんだ。
「写真を撮ったのは、あの女?」
あの女、が春日野さんを指していることはわかった。
「違います。会社の若い子が……居合わせて……」
「居合わせただけでこんなに綺麗に撮って、こんなにデカデカとプリントする?」
察しがいい。
「写真を撮った若い子は……雄大さんに気が合ったようなんですけど、相手にされなくて……」
「で、こんな嫌がらせ? 枕営業ってことは、雄大の上司にでも送られた?」
「社内メールで一斉送信されました」
はぁぁぁーーー、と澪さんが特大のため息をつく。
「で? 処分は?」
「注意だけ。けど、その若い子は退職しました」
「当然ね」
「ただ、その写真を使って、雄大さんを陥れようとしてる人がいて——」
「暁不動産の隠し子?」
私は頷いた。
「黛賢也っていうんですけど、その写真を私の伯父にも見せたんです。なので——」
「ウチの両親にも送り付けるかもしれない、と……?」
もう一度、頷く。
澪さんが困った顔で、グラスに残っていたワインを飲み干した。お代わりを注文する。私はバラライカ。
「馨ちゃん。私にこの写真を見せること、雄大は知ってるの?」
私は首を振った。
「心配するな、って言われました。だけど——」
「心配するわよねぇ」
「ズルいのはわかってます。何かあった時、澪さんに執成してもらおうなんて。だけど——」
「取り成して欲しいってことは、馨ちゃんは雄大との結婚を本気で望んでるってこと?」
「——はい」
昊輝の時は思わなかった。
何を犠牲にしても、犠牲にさせても、一緒にいたい————。
「わかったわ」
澪さんが写真を破った。
「私も馨ちゃんに義妹になってもらいたいし、何より弟に幸せになってもらいたいもの」と言いながら、更に小さく破っていく。
「けど、あまり期待しないでね? 私も親の反対を押し切って結婚した挙句にバツ二になって、滅多に連絡を取ってないの。仮に両親がこの写真を見たとしても、私に連絡してくるかはわからないから」
「はい!」
バーテンダーがグラスを運んできて、空のものを下げて行った。
「じゃ、とりあえず乾杯しましょ。雄大と馨ちゃんの幸せに」
グラスがぶつかり、キーンと音がした。