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第9話、読み終わりました。 「全部……俺が言ってたことだ」 この気づきのシーン、本当に胸が詰まりました。これまで里奈にかけてきた言葉が、今度は自分自身に跳ね返ってくる——構造としての伏線の回収がとても巧みで、しかも痛いくらいリアルでした。 「出産は終わっても、産後はここから始まる」という一文も重くて。 連載の続き、IFの世界で圭人がどう変わるのか、気になります。
翌朝。
圭人は桜の泣き声で目を覚ました。
「おはようございます。今日はミルクの練習をしていきましょう」
「……もうですか?」
「退院したら毎日のことになりますからね」
傷の痛みに顔をしかめながら、恐る恐る桜を抱き上げる。
教えられた通りに哺乳瓶を傾けても、桜はなかなか飲んでくれない。
「焦らなくて大丈夫ですよ。赤ちゃんも練習中ですから」
何度か角度を変えると、ようやく小さな口が動き始めた。
「……飲んだ」
ほっとした、その瞬間。
下半身に鋭い痛みが走った。
「っ……!」
「まだ無理しないでくださいね」
(無理するなって言われても……)
自分がどれだけ痛くても、桜のお世話は待ってくれない。
*
午後、里奈が見舞いにやってきた。
「どう? ミルク、覚えられた?」
「……思ってたより難しくて」
そのとき、桜が泣き始めた。
圭人は反射的に立ち上がろうとして、傷の痛みに息を呑む。それでも桜を抱き上げ、ぎこちなく身体を揺らした。
「抱っこ、まだ慣れないね」
「……」
「まあ、そのうち慣れるよ」
(そんな簡単に言わないでよ……)
桜はなかなか泣き止まない。
「じゃあ私、そろそろ帰るね」
「え……もう?」
「明日も仕事あるし。病院なんだから安心でしょ?」
「でも……」
「ごめんね。あとはお願い」
里奈はそのまま病室を出ていった。
扉が閉まる。
残されたのは、泣き続ける桜と圭人だけだった。
(病院にいたって……桜が泣けば、俺が起きるんだ)
*
午前二時。
圭人は再び、桜の泣き声に起こされた。
「ごめん……今やるから……」
眠気で霞む頭のまま身体を起こす。
傷が痛む。それでも桜を抱き上げ、ミルクを飲ませ、背中をさす。
ようやく眠った桜をコットへ戻した頃には、時計の針は午前三時半を回っていた。
圭人はベッドへ腰を下ろした。
「……っ」
また傷が疼く。
その瞬間、堪えていた涙がこぼれた。
(眠れない)
(痛い)
(怖い……)
出産を終えれば、あとは身体を休められると思っていた。
けれど実際は、身体がボロボロのまま、命を守る役目が始まる。
(誰か……助けて)
静かな病室に、答える声はなかった。
*
数日後。
退院を迎えた圭人に、助産師が説明する。
「夜の授乳は二、三時間ごとになります。まだ身体も回復途中ですから、無理はしないようにしてくださいね」
(二、三時間ごと……)
すでに何日も、まともに眠れていない。
(これから家に帰っても、ずっと続くのか……)
出産は終わった。
けれど、産後はここから始まるのだ。
*
自宅へ戻ると、洗濯物や荷物があちこちに残されていた。
「あー、ごめん。片付けるつもりだったんだけど、仕事忙しくてさ」
里奈は悪びれる様子もなく笑う。
「まあ、生活しながら片付ければいいよね」
(生活しながら……?)
圭人は立っているだけでもつらい。
そのとき、桜が泣き出した。
「オムツかな……」
立ち上がった瞬間、傷がずきりと疼く。
「そんなに痛いの?」
里奈が不思議そうに尋ねた。
「退院した人って、普通に歩いてるイメージだった」
(“イメージ”だけで、俺の痛みを決めつけないでよ)
*
その夜。
ようやく桜を寝かしつけ、圭人はベッドへ倒れ込んだ。
身体中が重い。
傷は脈打つように痛み、もう指一本動かしたくなかった。
そこへ、里奈がそっと身体を寄せてくる。
「ねえ……少しだけ、ぎゅってしたくなっちゃった」
「……今?」
「だって退院おめでとうだよ? 今日くらい、夫婦として……さ」
圭人の身体が強張った。
「ごめん……身体が、本当に無理で……」
「……そっか」
里奈の表情が曇る。
「なんか……拒否されたみたいで、寂しいね」
「違う。そういう意味じゃ……」
けれど、それ以上説明する力さえ残っていなかった。
里奈は背中を向ける。
(なんで……俺が悪いみたいになるの?)
(痛くて、立つことすらつらいのに)
(俺のしんどさ、見てたはずだろ……?)
すぐそばにいるはずの里奈が、ひどく遠く感じた。
*
退院してからも、圭人に休む暇はなかった。
ミルクを飲ませ、オムツを替え、寝かしつける。
ようやく眠ったと思ってベッドへ置けば、また泣き出す。
ある日、何時間も桜を抱き続けた圭人は、とうとう里奈へ助けを求めた。
「……里奈。少しだけ抱っこ代わってくれない?」
「えー……私、抱っこすると腕パンパンになるんだよね」
「でも俺も、もう限界で……」
「分かった分かった。ちょっとだけね」
ようやく桜を渡せた。
圭人が壁にもたれて息を吐く。
(助かった……)
けれど、五分も経たないうちだった。
「やっぱ無理。はい!」
「……え?」
「腕疲れた~。やっぱり圭人の方が上手なんだよ。その方が桜も安心してるし」
桜を返され、圭人は呆然とする。
(俺は今日だけで、何時間抱いてると思ってるんだよ……)
「……都合いいときだけ、そうやって言うよね」
「は?」
「俺だって、ずっと抱いてるんだよ」
「疲れてるなら少し休めばいいじゃん」
「休ませてくれないから言ってるんだよ!」
思わず声を荒らげると、桜が驚いて泣き出した。
「……ごめん。ごめんな、桜」
圭人はすぐに抱きしめる。
(どうせ……言っても分かってもらえない)
そんな諦めが、少しずつ夫婦の間に積もっていった。
*
ある深夜。
圭人は眠気でふらつきながら、泣き続ける桜を抱いていた。
「大丈夫だから……パパがいるから……」
そのとき、布団が勢いよくめくれた。
「ちょっと! うるさいんだけど!」
里奈が不機嫌そうに起き上がる。
「私、明日も仕事あるんだから! 寝不足になりたくないんだけど!」
その一言で、圭人の中に張り詰めていたものが切れた。
「……いい加減にしてよ」
「え?」
「なんで全部俺なの?」
声が震える。
「抱っこも、ミルクも、夜泣きも! 全部俺がやってる!」
「そんな大きな声出さなくても――」
「俺、まだ身体中痛いんだよ!」
もう止められなかった。
「まともに座ることもできない! 全然眠れてない! 精神的にだって限界なんだよ!」
桜の泣き声が響く。
「少しは気遣ってよ!」
里奈はしばらく黙っていた。
やがて、冷めた声で言う。
「……それ、産後クライシスとでも言いたいの?」
圭人の呼吸が止まった。
「私だって毎日仕事してるよ。上司に頭下げて、疲れて帰ってきて。それでも家族のために頑張ってる」
「里奈……」
「圭人のは、産んだら誰でも通る道じゃん。みんな乗り越えてるよ」
どくん、と心臓が鳴った。
そして、里奈はとどめを刺すように言った。
「……子ども産んでから、変わっちゃったよね。圭人」
「……え」
聞いたことがある。
――母親になったら誰でも通る道じゃん。
――家にいるんだから休めてるだろ。
――最近の里奈、情緒不安定すぎじゃない?
――やっぱり里奈の方が慣れてるじゃん。
――子ども産んでから変わっちゃったよね。
「……あ」
圭人の目から、涙がこぼれた。
(全部……俺が言ってたことだ)
目の前の里奈が、過去の自分と重なった。
身体が痛くても休めない。
眠れない。
助けてほしいのに、助けてもらえない。
そして何より苦しいのは、一番分かってほしい相手に、つらさを理解してもらえないことだった。
(里奈は……ずっと、こんな気持ちだったのか)
(俺は、里奈を一人で戦わせてたんだ)
桜を抱いたまま、圭人はその場に座り込んだ。
「……ごめん」
涙が止まらない。
「俺……何にも分かってなかった」
そのとき、スマートフォンが白く光った。
《Re:Birthプログラム体験はここで終了です》
《現実世界へ戻ります》
「もし戻れたら……」
圭人は桜を抱きしめた。
「今度こそ、ちゃんと里奈に向き合う」
白い光が、部屋を満たしていく。
「俺が……変わるから」
桜の泣き声が遠ざかり、やがてすべてが光に飲み込まれた。
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