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#ワンナイトラブ
猫塚ルイ

専務室でのあの囁きから、仕事が全く手につかなかった。
結局、残務を片付けているうちに時刻は21時を回り、フロアには私一人だけが残っていた。
「……はぁ。結局残業になっちゃった」
涼さんのあの熱い視線を思い出すだけで、指先が震える。
カチ、カチと静まり返ったフロアに響く時計の音。
帰らなきゃ、と思うのに、なぜか腰が重い。
彼が待つあのマンションに帰るのが、楽しみなような、怖いような。
「まだ頑張っているのかい? 根を詰めすぎるのは感心しないよ」
不意に背後から聞こえた声に、心臓が口から飛び出しそうになった。
振り返ると、ジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲り上げた涼さんが立っていた。
「りょ、涼さん……! まだ残っていらしたんですか?」
「専務室の明かりがついていたら、社員が帰りづらいだろう? だから消して、君が終わるのを待っていたんだ」
涼さんは私の隣のデスクに腰を下ろし、ふわりと微笑んだ。
会社で見せる「冷徹な仮面」が外れ、家での「優しい王子様」の顔。
でも、その瞳の奥には昼間の独占欲がまだ燻っているように見える。
「すみません、お待たせしてしまって……。すぐ片付けます!」
「いいよ。……それより、さっきの続き」
涼さんの手が、私のマウスを握る手の上に重ねられた。
大きくて、熱い掌。
逃げようとしたけれど、彼は椅子ごと私を自分の方へ引き寄せた。
「あの、り、涼さん…?だ、誰か来たら……っ」
「警備員以外はもう誰もいないよ。防犯カメラも、この角度なら僕の背中で君は見えない」
彼は私の腰に腕を回し、グイと自分の膝の間へ引き寄せる。
昼間、河野くんに触れられた肩に、彼はゆっくりと顔を埋めた。
「……いい匂いだ。一日中、この匂いを思い出して仕事にならなかった」
「っ、……涼さん、変ですよ…っ」
「そうかもね。君が他の男に笑いかけるたびに、変になっているよ」
耳元に触れる唇
彼は私の項を甘噛みするように啄むと、そのまま鎖骨のあたりまで顔を下げていく。
「……っ、ん……あ…♡♡」
「可愛い声。……本当は、今すぐここで、僕のものだって刻みつけてしまいたい」
ハイスペックで完璧なはずの彼が、私一人のために余裕を失くしている。
その事実が、怖いくらいに甘美で。
彼は私の唇に指を這わせると、蕩けるような熱い視線で見つめてきた。
「……帰ろうか、琴葉。家に着いたら、もう一秒も離さないから」
そう言って彼は、私の指に絡めるようにして手を繋いだ。
オフィスの非常灯の赤い光が、二人の影を長く伸ばす。
これがただの「契約」だなんて、もう誰にも、自分にさえも証明できない。
夜の静寂に紛れて、私たちは「上司と部下」という最後の一線を踏み越えようとしていた。
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