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「何か裏がありそうね、馨ちゃんとの結婚」
マンションに帰ると、姉さんが言った。
「この結婚で犠牲になるのは雄大だって、馨ちゃんが言ってた」
犠牲……。
馨が、この結婚に罪悪感を持っていることはわかっている。
「どういうこと?」
「素直じゃないんだよ、馨」
俺はバリスタのスイッチを入れた。
「姉さん。立波リゾートについて、何か知らないか?」
姉さんとは近々会う予定だった。恋人と喧嘩したお陰で、それが早まった。
「立波リゾート?」
「ああ」
「なんでまた?」
「馨は立波の経営者一族なんだ」
「は?」
俺はカップを二つ、ダイニングテーブルに置いた。姉さんは身に付けているアクセサリーを外す。
「前副社長が誰か知っているか?」
「那須川勲でしょ? 前社長の義弟で、次期社長と言われていたけれど、三年前に亡くなった」
姉さんはカップを持とうとして、やめた。気がついたらしい。
「……って、那須川?」
「そう。馨と妹の桜は連れ子だから那須川勲とは血縁関係にないけれど、戸籍上は立波一族だ」
「立波……」と、姉さんが呟く。
少し考えて、コーヒーを一口飲んだ。
「二年前に就任した立波亮介は、お世辞にも出来る経営者とは言えないわね。那須川勲が亡くなって、なし崩し的に社長にさせられたのだから、仕方がないけど」
「会ったこと、あるのか?」
「インタビューしたことはあるわ。前社長の右腕だった秘書がつきっきりでフォローしてたの。就任して間もなくとはいえ、あまりの無知に、質問するのが可哀想になったわ」
「そんなにか……」
姉さんはジャーナリストで、政治・経済の雑誌の編集長。話題のイケメン社長から老舗の大企業のスキャンダルまで、幅広く手掛けている。
「馨ちゃんが、あの那須川勲の娘か……」
「会ったこと、あったのか?」
「ええ。亡くなる半年くらい前に特集を組んだの。既婚者じゃなければ、うっかり惚れちゃうくらいいい男だった。優しい口調に穏やかな笑顔で、社内でも人気だったみたい」
姉さんは惚れっぽい。
結婚も離婚も経験して、それでも簡単に男と一緒に暮らしてしまう。
「惚れちゃうって……いくつだよ」
「私の三つ年上」
「はあ!? そんな若いのかよ?」
馨の義父だというから、五十くらいのおっさんを想像していた。
「そ。確か、前社長の年下妻の年の離れた弟で、前社長とは父子ほど年が離れてたの。ん? けど、そうなると馨ちゃんと勲は十歳しか違わなかったってこと?」
「馨は母親が十九歳で生んだ子供なんだと」
そう考えると、そんなにおかしなことではない。
馨の母親は九歳年下の男と結婚し、馨は十歳年上の義父が出来た。
いや、やっぱりおかしい気がするな……。
「馨ちゃんの相手でもおかしくなかった年よね。なんか……微妙……」
「思い出した!」と、姉さんの声のトーンが上がった。
「勲のデスクの上の写真。あれは若い頃の馨ちゃんと妹さんだったのね」
「写真?」
「そ。二十代前半の女性と小学生くらいの女の子の写真がデスクにあったの」
「良く覚えてるな、そんなの」
「機嫌よくインタビューさせてもらうために、デスク周りの観察は必須なのよ。家族や趣味について聞いてから本題に入ると、気難しい人でも饒舌になるのよ」
女としてはかなり隙だらけで危なっかしいが、社会人としての姉さんはかなりのキレ者で、ヤリ手。
本人には言わないけれど、尊敬している。
「なるほど」
「けど、記憶では、写真の女の子はあまり似ていなかった気がするのよね……」
「ああ。異父姉妹なんだ」
「なんか……複雑。私はてっきり、奥さんと娘の写真だと思ったのよ。それにしては随分若い奥さんと、随分大きな娘だとは思ったけど。だから、『ご家族ですか?』って聞いたの。そしたら、『はい。僕の宝物です』って笑ったの」
宝物……。
雑誌のインタビューでよくそんなクサいことが言えるな、と思った。
「でも、おかしくない? あの写真が馨ちゃんと妹さんなら、奥さんは? デスクに写真はなかったはずよ?」
馨の母親……。
「亡くなっているからって、ちょっと薄情よね」
「確かに……」
そう言えば、馨から、共犯者として必要な情報は聞いたけれど、婚約者としては何も知らないことに気付いた。
聞いたら答えるかな。
てか、馨も俺のことは聞いてこないよな。
男としては興味なし、ってことか……?
馨の玲への反応は、明らかに嫉妬だった。
素直じゃない馨の『嫌い』は、『好き』に聞こえる。
俺の思い込みか……?
いや、いくら契約だと言っても、嫌いな男に抱かれるような女じゃないだろ。
だが、『嫌いじゃない』というだけで、『好き』とイコールになるか?
「顔、気持ち悪い」
「え?」
「雄大。馨ちゃんはあんたが犠牲になるとか言ってたけど、私からしたら馨ちゃんはあんたの罠にかかったようにしか見えないのよ。何を企んでるのか知らないけど、あんないい子を泣かせるなんて最低だからね!」
姉さんはよほど馨を気に入ったらしい。
「わかってるよ」
「わかってない! 馨ちゃんに言ってないんでしょ? 実家のこと」
「必要ないだろ?」
「あるでしょ! 実家と立波リゾートが姻戚関係となれば、否応なく――」
「わかってる!」
姉さんの言葉を遮り、俺はピシャリと言った。
姉さんが呆れ顔でため息をつく。
「……三日、泊めて」
「三日?」
「そ。三日経っても連絡がないなら別れるから」
「相変わらずい潔いな」
俺は、ハハハと小さく笑った。
「褒め言葉だと思っておくわ。で、泊めてくれるお礼に頼みを聞いてあげるわ」
「頼み?」
「そ。立波リゾートについて調べるんでも、あんたのパンツを洗うんでも、頼まれてあげる」
「……。俺のパンツは洗わなくていいから、自分の下着くらいは自分で洗ってくれ」
姉さんは家事全般が苦手だ。だから、俺のマンションに来ると、俺が姉さんの食事の支度から下着の洗濯までするハメになる。
「それが頼み?」
「んなわけねーだろ。暁不動産について調べてくれ」
「暁不動産?」
「ああ」
姉さんはコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
「了解! 理由は明日にでも聞くわ。今日は疲れたから」
「お休み」
「お休み。……あ! 明日は七時半には出るから、朝ご飯よろしく。いつものジャムね」
早めに買い足しておいて正解だったな。
馨に食べさせようと、定期便を待たずに追加購入しておいて良かった、と思った。