低い声でそう呟いた坪井が真衣香の顔から手を離した。
その手で次は真衣香の手首を握り、強く掴んだままだった坪井のスーツの胸元から手を離させた。
そう。
一気に坪井との間に距離ができてしまった。
聴き慣れない低い声が、離れてしまった手が。
不安を呼ぶ。
(え、なに? 怒らせちゃった? どうしよう、何を怒らせたの!? どう謝るのが正解??)
怒らせた理由がわからなければ、許してもらえる謝り方を予想できない。
焦る真衣香を前に坪井が天を仰いだ。
そして大げさなため息を三度ほどわざとらしく繰り返して、言った。
「……ほんっっっと、お前さぁ〜、毎回毎回反則すぎるんじゃない?」
「え、反則?」
手のひらで覆われて表情が見えないが、聞き返した真衣香に恨めしそうな声が届く。
「〝思ったの〟って何……その顔マジ無理だわ」
聞いても知りたい答えは返ってこないうえに、声が徐々にヒートアップしていくが何を言っているのか、真衣香にはよくわからない。
「つ、坪井くん……? どうしたの?」
「どーーしたのじゃないだろ、この前も言ったけどダメ。上目遣いダメだ凶器! てかお前基本武器が多いよね、え? 何でそれ今まで使ってこなかったの? いや、使ってなくてよかったんだけどさ」
捲し立てるような言い方。 その言葉は真衣香に言っているようで、しかし自問自答のようでもあって。
「武器……」
小野原の気持ちの話題から、なぜ武器に辿り着いているのか。
さっぱりわけらないが、とりあえず坪井の次の言葉を待ってみる。
待ってみていると、上を向いてしまっていた坪井がハッとしたように真衣香に詰め寄ってきた。
「てか何でそう思ったの? 小野原さんの方にいくって発想どっから? 俺そんな素振りこの間してた?」
どうやら、会話の続きが始まるらしい。
「え? そりゃ、だって、美人だし小野原さん」
「あー、そっか美人ねえ」
ふんふんと頷きながら後頭部で手を組んで、小野原の顔を思い浮かべているように数秒目を閉じて。
「まあ、そうなんだろうけどね、ただ俺にも好みあるし。 好かれてんのは知ってたけどのらりくらりかわせてたんだけどな〜」
そう言いながら、瞬いて真衣香に笑いかけた。
「好み……」
「あと、お前とのこと知ったら諦めるかな、とか。迂闊だったな、ほんとごめんな」
坪井は何やら話を続けているが、真衣香の中では即答されたセリフがグルグルと回り続けている。
「坪井くんの、好みって」
「今更そこ気にしてんの? お前もしかして俺が女なら誰でも見境なくオッケーな男だと思ってる?」
先程の駄々をこねている幼い子供のような仕草から一点、意地悪に真衣香を試すようにして楽しそうな声で聞いてくる。
いや違う。 もう既に楽しんでいる声だ。
からかおうとしているのだとこれまでの数度の経験から瞬時に悟り、威嚇するように答えた。
「……だ、だって私に付き合おうとか可愛いとか言うから!」
「うん、だってお前可愛いじゃん」
(また、即答された……)
思わず会話が終了しそうな破壊力にも負けじと真衣香は力んで更に続けて言った。
「わ……、私がそうなら他の大体の女の子たちが坪井くんにとってそうなっちゃうよ!?」
そんな真衣香を見つめることを、まるで楽しんでいるかのように。
膝に肘を置き、頬杖をしながらニコニコと言葉を重ねる。
「はは、そうなっちゃうってどうなるんだよ。 お前マジで可愛いって。 俺何回も言ってるじゃん、自己評価おかしいって」
こんなことを言う時に限って坪井は曖昧な表現を使わない。真っ直ぐに真衣香を見据えて言う。
そして、そんな発言を繰り返す坪井に真衣香は弱いのだ。
可愛いだなんて言い慣れてるかもしれない坪井に対して、真衣香はもちろん慣れてなどいないから。
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