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転移門を抜けると、そこは初めて見る沼地の前だった。
腐った水の匂いが鼻をつんざき思わず顔をしかめた。
ニーノの大浄化魔法によって夜の国全ての瘴気は浄化されたかに思えたが、やっぱり瘴気の発生源だけは浄化しきれなかったみたいだ。
でも、沼から立ち昇る禍々しい漆黒の瘴気が私達に正解を告げていた。
「ニーノ、お前の持っている神獣ヴェルズの魔石ペンダントをオレに寄越せ。それはジークフリートの最愛の妻、聖女リンの形見なのだ。それを彼に返せば間もなく悪夢は終わる」
ルークは真紅の双眸に穏やかな色を浮かべながらニーノに手を差し出した。
ニーノは頷くと、首からペンダントを外しルークに手渡す。
「最も偉大なる夜の魔王ジークフリートよ、汝の願い通り神獣ヴェルズの魔石ペンダントを捧げに参った! おられるのであれば御身の姿を我らの前に現したまえ!」
神獣ヴェルズの魔石ペンダントを掲げながらルークが叫ぶと、突然、沼地から膨大な量の瘴気が噴き上がる。
噴き上がった瘴気は一つに固まると、たちまち人の姿に変貌する。
瘴気の沼地から闇の衣を纏った獣人、ジークフリートが現れた。
ジークフリートはルークの前にやって来ると、差し出された神獣ヴェルズの魔石ペンダントを手に取った。
「おお……おお……これはまさしく我が妻に贈った神獣ヴェルズの魔石ペンダント……!」
ジークフリートは呻くようにそう呟くと、漆黒の瞳から黒い涙を流した。それは嘆きの慟哭か歓喜の慟哭なのかは私には分からなかった。
「礼を言うぞ。よく妻の形見を届けてくれた。これで、ようやくオレの願いが叶う……」
これで終わったんだ。そう思った次の瞬間、突如としてジークフリートの亡霊から闇が溢れ出した。
「神獣ヴェルズの魔石ペンダントの奇跡の力を使って、光の世界の者どもを皆殺しにするという願いがな!」
その瞬間、ジークフリートの亡霊は闇と同化し、ルークに襲い掛かった。
「何だと⁉」
不意を突かれたルークは闇に呑み込まれる。必死に抗うが、突然、ルークの動きが止まる。何度か全身を激しく痙攣させると、がっくりとうなだれ首を垂れたまま動かなくなってしまった。
「ルーク?」
私の呼びかけにもルークは何も答えない。
すると、呻くような笑い声が響いてきた。それはルークの声だったけれども、明らかに別人のものだと瞬時に悟る。
「ニーノ、下がっていて!」
私はニーノを後ろに下がらせると、両手に神聖魔力を集中し始める。いつでも浄化魔法を放てるように密かに詠唱を始めた。
突然、ルークは両手を広げ、天を仰いだ。そして、クックック、と闇の底から響いて来るような禍々しい笑い声を上げる。
「これが現代の夜の魔王の身体か。ふむ、悪くない。多少魔力は劣るが、神獣ヴェルズの魔石ペンダントの魔力増幅の力を借りれば事足りるな」
「あ、貴方は、もしかしてジークフリートなの⁉」
ぐるん、とルークは私に振り返ると、憎悪に吊り上がった真紅の双眸を私に向けて来た。もうそこに慈しみも優しさの感情の欠片も感じられなかった。あるのは底知れない憎悪の念。
「魔女めが、気安くオレに話しかけるな!」
ルーク、いや、ジークフリートは激高した叫びを上げると、私に魔力を放って来る。
私は詠唱を中断し、魔法障壁を展開する。
「きゃあ⁉」
魔法障壁は一撃で粉々に砕かれ、私は勢い余って後ろに吹き飛ばされる。
「ミアお姉さま⁉」
ニーノが私に駆け寄って来るのが見える。
すると、ジークフリートは口の両端を吊り上げると、残酷な笑みを浮かべながら片手をニーノに向けて上げた。彼の手に禍々しい魔力が充填されるのが見える。
「ダメ!」
私はニーノを守るために咄嗟に魔力をジークフリートに向けて放った。
ジークフリートの魔力と私の神聖魔力が衝突した瞬間、私達は再び灰色の世界に飛ばされた。
今回は私一人ではなく、ニーノもいた。いないのはジークフリートとルークだけ。
どうやら私とニーノだけが魂の共鳴現象を受けたのだろう。
「ここは、またあの灰色の世界?」
ニーノがぼそりと呟いた。
どうやらニーノもこの灰色の世界に来たことがあるみたいね。なら説明は不要だと思い、私は何も語らなかった。
すると、目の前に四角い窓枠のようなものが現れると、そこに生前のジークフリートの姿が映し出された。これがジークフリートの記憶の世界であることを瞬時に悟る。
彼は泉の前で血の涙を流しながら慟哭していた。
「光の世界の人間共め、我が民を虐殺した恨みは決して忘れぬ! 我が最愛の妻、リンを無惨に焼き殺した罪は未来永劫忘れぬ! 我死すともこの憎悪は呪いとなって永遠に存在し続けるであろう!」
すると、無数の獣人達の屍の山が現れる。それは悪夢とも呼べる光景。そして、獣人達の屍から瘴気が噴き出すと、それは様々な魔物の姿に変貌していった。
「いつか必ずこの恨みは晴らす。例え邪霊になり果てようとも……!」
そう呟き、ジークフリートは泉に身を投げた。
次の瞬間、泉は瘴気が噴き出す沼地へと変貌を遂げる。
そして、沼地から噴き出た瘴気は夜の国全体を覆い尽くした。
「これが夜の国の真実……双子聖女伝説の結末……」
私はがっくりとうなだれ、膝から崩れ落ちそうになった。
聖女リンの形見の神獣ヴェルズの魔石ペンダントをジークフリートの亡霊に返せば全てが終わる。考えなくても分かることだった。あれほどの憎しみを持ち邪霊と化したジークフリートが復讐を果たさないまま大人しく浄化されるわけがないのだ。
突然、灰色の世界がぐにゃりと歪むと、私達は元の世界に戻っていた。
戻るなり私達はキツイ洗礼を受ける。
ジークフリートの放った魔力を受け、私達は吹き飛ばされ地面を転がった。
幸い、私の放った神聖魔力のおかげで大けがを負わずに済んだものの、呼吸が出来なくなる程度の痛みが全身を駆け巡った。
「現代の聖女よ。お前達の始末は後回しだ。まずは光の世界。そしてこの国を常闇の世界とする」
「ちょっと待ちなさい⁉ ライセ王国を滅ぼすのは分かるとして、どうして自分の国まで滅ぼそうとするの⁉」
ジークフリートの憎しみは理解できる。でも、何故、それが自国民に向けられなければならないのか理解不能だった。
「我が妻への弔いとして、夜の国の民を捧げるのだ! そうすればリンも寂しくないはずだ。そうだ、そうに決まっている。リンの喜びはオレの喜び。オレの喜びは民の喜びなのだ。きっと皆も喜んでその身を捧げ、共に闇に堕ちてくれるだろう」
「それって、全員を魔物にしてしまうってこと⁉」
背筋が凍てつくのが分かった。狂っている。私の考えは甘かった。ジークフリートに理性があると少しでも思ったのが私の大きな過ちだった。
このままでは世界が滅んでしまう。でも、ルークはジークフリートに囚われたまま。援軍は期待できない。
なら、ここは私が何とかしなくては……!
「そんなことはさせない! ジークフリート、貴方は私がここで倒します!」
私は再び浄化魔法の詠唱に入る。
「浄化魔法か。確かにそれならばオレにダメージを与えることが出来るだろう。しかし、それを黙って見ているほど、オレは愚かではない。その恐ろしさも弱点もオレはよく知っているからな」
そんなことは分かっている。でも、私には勝算があった。
私はジークフリートの言葉には耳を貸さず、そのまま詠唱を続けた。
「光輝く聖なる乙女よ、女神の加護に守られし者よ、闇を照らし、光を纏え。
聖なる光の煌めきが盃に満たされし時、不浄を祓う清らかな風が大地をそよぐ。
闇の奈落に囚われし不浄なる者よ、我が魂に宿る浄化の力を解き放ち、光の世界へと導かん。
漆黒の闇の糸を断ち切り、深淵に漂う魔の影を祓いたまえ」
詠唱は完成した。後は叫ぶだけ。
「だから、させるわけがないだろうが⁉」
ジークフリートの嘲りが響くのと、異変が起こったのは同時だった。
突然、ジークフリートは自分の首を右手で締め始めたのだ。
「何だと⁉ まさか、こやつ、オレの支配から抜け出したのか……⁉」
『今だ、ミア!』
その時、ルークの声が私の魂に響いた。
「ゴッド・ブレス!」
柑子色の魔力が放たれると、たちまちジークフリートの全身を覆い尽くす。
「おのれ、魔女めが! 滅びぬ、恨みを晴らすまでオレは滅びぬぞ!」
光の柱が天より現れ、ジークフリートの瘴気を打ち払う。
浄化の息吹は光の粒子と化し、ジークフリートの魂を浄化していった。
光がおさまると、ジークフリートは膝から崩れ落ち身動き一つしなくなった。
これで終わった……と思う暇も与えられず、ジークフリートは不気味な笑い声を上げた。
「惜しかったな……オレはまだ滅んではおらんぞ⁉」
ジークフリートは高笑いを上げながら立ち上がるも、その足元はふらついていた。どうやら私の予想以上にダメージを与えることは出来たみたいだ。
なら、もう一度浄化魔法を放つまでよ⁉
「もう一度浄化魔法を放とうとしても無駄だ。オレにはこれがあるからな⁉」
ジークフリートは勝ち誇った笑みを浮かべると、神獣ヴェルズの魔石ペンダントを取り出して見せる。
「このまま滅ぼされるくらいならば、我が魂を触媒にして奇跡の力を起こし全てを滅ぼしてくれる!」
いけない! このままでは本当に世界は滅ぼされてしまう!
しかし、私がそう思った次の瞬間、ジークフリートはペンダントに魔力を込めた。
そして、全てが終わった。
結果だけを述べるなら、奇跡は再び起こったのだ。
私達はその時、ジークフリートの涙を垣間見るのだった。