テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
次の日。朝露が草葉の先で眩しく光っていた。
修道院での朝の祈りを終えた僕は、いつものように森へと足を運んでいた。
昨日は本当に怒涛の一日だった…けれど、こうちゃんが戻ってきてくれて本当に良かった。
無事だった、それだけでも跳ね上がる程嬉しい出来事だった筈なのに、僕の頭からはどうしてもあの日の出来事が離れてくれない。
静まり返った礼拝堂での、あの口付け。
照さんの、真っ直ぐで真剣な眼差し。
そして何より、パニックに陥った僕が、自分の両手で照さんの胸を強く突き飛ばしてしまったこと。
思い返す度、胸の奥が締め付けられるように痛かった。
「…今日こそ、ちゃんと謝らなきゃ。」
小さく呟き、僕は自分を鼓舞するように深く息を吐いて、森の奥へと歩みを進める。
やがて幻獣たちの住処へと辿り着くと、そこには相変わらずの穏やかな時間が流れていた。
涼太さんは木陰で体を丸めていて、翔太さんはそんな彼に静かに寄り添っている。蓮さんはいつものように静かに目を閉じ、その角の上では、小さな雛鳥の姿をしたこうちゃんがぷぅぷぅと可愛らしい寝息を立てながら気持ち良さそうに眠っていた。
いつも通りの優しい光景に、肩の力が少しだけ抜ける。
「佐久間?今日は早いな。」
焚き火に薪を焚べながら振り返った照さんは、穏やかな表情だった。昨日のあの張り詰めた空気が、まるで嘘だったみたいに。
けれど、その変わらなさに触れた途端、却って胸がぎゅっと締め付けられた。
「照さん…あの、」
一歩、彼の方へと踏み出そうとした、その時だった。
「…この前は悪かった。」
先に頭を下げて謝ったのは、照さんの方だった。
僕は思わず足を止め、目を見開く。
「え……。」
「無理矢理、キスして。」
照さんの声は、静かだった。
怒りも、焦りも、熱すらない。ただ淡々と、動かしようのない事実だけを並べるような声音。
「俺が、悪かった。」
その一言に、僕は慌てて首を横に振った。
「ち、違います…っ!」
思わず声が大きくなってしまい、僕は慌てて周囲を見回してから声量を落とす。
「、悪かったのは…僕です…。」
僕は俯いたまま、服の裾を両手で強く握り締めた。
「照さんを…突き飛ばしてしまいました。」
あの日の感触が、鮮明に蘇ってくる。
照さんの胸に触れた僕の手。掌に伝わってきた彼の熱。静かな礼拝堂の空間に、空虚に響いた衣擦れの音。
「反射的なこととはいえ、絶対にやってはいけませんでした。」
震える声が、口から零れ落ちる。
「本当に、ごめんなさい…。」
照さんは何も言わない。ただ静かに僕を見つめている。
「照さん、あの時、」
言葉が途中で詰まる。あの日、逃げ出す間際にチラリと見た照さんの表情。
照さんは怒っていたんじゃない。
悲しかったんだ。
まるで今にも泣き出しそうな、傷付いた顔をしていた。
照さんの表情が一瞬だけ僅かに揺れた。
けれど彼は直ぐに僕から視線を逸らすと、静かに息を吐き出した。
「……もう、忘れろ。」
短く低いその声は、そっと肩を押されて一歩だけ距離を置かれたように胸へ落ちた。
「………。」
「あれは一時の気の迷いだ。…もう二度としない。安心しろ。」
照さんの言葉は、どこまでも穏やかで優しかった。でも、
『気の迷い』。
その短い言葉が、刃のように僕の胸の深くまで突き刺さる。
──あぁ。
照さんはもう、諦めるつもりなんだ。
僕が拒んでしまったから。修道士である僕をこれ以上困らせないように。
僕は奥歯をぎゅっと噛み締めた。
本当は…本当は違うんだ。
拒絶したかったわけじゃない、のに、
「…はい。」
結局、僕の口から出たのは、そんな情けない返事だけだった。
水瀬菜音
11,918
#岩本照
絶対辰哉
525
#BL
うさみみ
20
長い沈黙が、二人の間に流れる。
周りの誰もが口を開こうとはしなかった。僕達の会話が聞こえたのかどうかも分からない。でも、二人の間の空気を感じ取って、静かに見守ってくれているかのように静かだった。
森を吹き抜ける冷たい風だけが、サワサワと木々の枝葉を揺らしている。
やがて僕は、必死で口元を緩めて小さく笑ってみせた。
「…じゃあ、今日は帰ります。」
照さんは、静かに頷くだけだった。
「送る。」
「いえ。」
僕は慌てて首を振る。
「まだ日中ですから…大丈夫です。」
今日、謝りたかったことは伝えられた。でも、胸につかえていることに関しては、ほんの少しだけでも一人で歩きながら考えたかった。
照さんは一瞬だけ明るい空を一瞥すると、それ以上は踏み込んでこなかった。
「…そうか。気を付けろよ。」
ただ、その一言だけ残して。
僕は皆に向かって深く頭を下げると、踵を返して森を後にした。
振り返る勇気なんて、どこにもなかった。
もしも今、振り返って照さんの顔を見てしまったら、
《やっぱり一緒に居てください。》
そう言ってしまいそうだったから。
修道院へ戻る寂しい木漏れ日の道を、僕は一人で歩き、胸元に下げた銀のロザリオを強く握り締めた。
神様。
僕は、どうしたらいいのでしょう。
貴方も、照さんも、どちらも僕にとっては、本当に大切なのです。
でも、貴方を選んでしまえば、もう照さんと会ってはいけない気がするのです。
僕の切ない問いかけは答えを得られないまま、静かに、深く、胸の奥へと沈んでいく。
神様。
僕は、まだ答えを出せません。
…でも一つだけ、解ったことがあるのです。
それは──…