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コメント
1件
ああ、読み終わりました……。千歳さんが「御堂の妻です」って言ったところ、すごく苦しくて、でも胸が熱くなりました。届も出てないのに、って笑われる中で、それでも「妻です」と声に出せたこと。そして玲司さんが、ずっと隠していた依頼状をこのタイミングで出す決意──最初から千歳さんを妻に迎えたくて書いたものだったんだな、と涙が出そうです。続き、気になりますね。
草原草原(くさはらそうげん)

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local99
#大人の恋愛
瑠璃マリコ
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玲司は玄関に立って、式台の白鳥夫人を見下ろした。
夫人は扇の陰で、何も言わなかった。千歳の手は、まだ夫人の袖を握っている。
「親族会まで、ここにいればいい」
玲司はそれだけ言った。何を聞くでもない。柘植に「客間を」と言って、書斎へ戻っていった。
白鳥夫人は客間に泊まり、二日間、部屋から出てこなかった。食事は文が運び、文は戻ってくるたびに「泣いてました」と千歳に報告する。千歳は聞きに行かなかった。御堂様から、と夫人が言いかけたその先を、玲司のいないところで聞いてしまうのが、怖かった。
二十八日の午後、広間に十人が座る。
上座に恭介。扇子を膝に置いている。その両脇に、親族の年寄りが二人。名前は柘植が教えてくれたが、千歳の頭には残らなかった。二人とも恭介を見て、恭介が頑くと頑く。
白鳥夫人は、恭介から少し離れた席にいる。有明の二人の、斜め向かいだ。千歳が頼んだ席順のとおりに。
有明の二人。藤乃は襟を正して座り、梢は借り物の振袖で笑っている。紫で、梢には少し大きく、肩が落ちている。
玲司と千歳は、一番下の席にいた。
膳は、千歳が整えたものが並んでいる。上座の四人は同じ塗りの椀。向かいも同じ。誰も気づかない。気づかないように、整えた。
「では」
恭介が扇子を取った。
「始める」
藤乃が先に口を開いた。
「このたびは、親族の皆様にお集まりいただき、恐縮でございます」
整った言葉だった。千歳は膝の上で手を組んだ。右手の上に、左手を重ねる。
「御堂様は、騙されておいでです。私どもの娘、梢との縁談でございましたのに、来たのは姉のほう。これは、有明の恥でもございます」
藤乃は頭を下げた。顔を上げたとき、目が千歳を一度だけ通った。
「梢は、有明の血と、母方に旧家の血を引く娘でございます。こちらは、商家の娘の子。使用人の仕事しか、知らぬ娘でございます。御堂様の奥に置くには、あまりに」
親族の年寄りの一人が、頑いた。恭介が頑いたからだ。
「正しい娘を、お納めいたします。姉は、私どもで引き取ります」
梢が、袖を直した。肩が落ちた袖を、二度。
「仲人」
恭介が扇子の先を白鳥夫人に向けた。
「有明家の娘は、一人だと聞いていたな。お前が玲司にそう伝えたのだろう」
白鳥夫人の扇が、揺れた。斜め向かいの藤乃が、夫人を見ている。夫人は藤乃を見て、それから千歳を見て、扇の陰で口を開いた。
「……お一人、と。そのように、申し上げました」
申し上げました。言い方が、過ぎたことのようだった。藤乃の目が細くなった。
「仲人がそう言うのだ。有明の娘は梢殿で、来たのは姉。はっきりしている」
恭介は扇子を戻した。
玲司は何も言わなかった。
千歳は、玲司の横顔を見なかった。見れば、この人が何を考えているのか、分からないことが分かってしまう。それが怖かった。膳の椀を見ていた。同じ塗り。十個。
「玲司」
恭介が言った。
「届は、出したのか」
広間が静かになった。
「役所の届だ。妻の名を、どちらで書いた」
玲司は顔を上げた。
「出していない」
藤乃の背が、伸びた。
「まだ出していない。祝言は上げたが、届は、私が出す。急いでいない」
「ほう」
恭介が扇子で膝を打った。
「では、何でもないことではないか。祝言など、家の中の話だ。届を出していないなら、この女はまだ御堂の妻でも何でもない」
「仰るとおりでございます」
藤乃の声が、少しだけ高くなった。
「正しい娘の名で、届をお出しいただければ、それで済むこと。梢、ご挨拶を」
梢が頭を下げた。笑っていた。
千歳は椀を見ていた。十個の椀が、滲んで見えた。届は出ていない。この家の妻でも何でもない。恭介がそう言って、藤乃が仰るとおりと言った。
「夫人」
恭介の声が、千歳に向いた。
「お前は、誰だ」
顔を上げた。恭介が見下ろしていた。親族の二人も。藤乃も、梢も。白鳥夫人だけが、扇の陰で目をそらしていた。
誰だ。
有明千歳です、と言えば、藤乃の言うとおりになる。姉のほうです、穴埋めです、商家の娘の子です。梢です、と言えば、嘘を重ねる。この席で、玲司の隣で。
「……御堂の、妻です」
声は小さかった。けれど、言った。
恭介が笑った。
「届も出ておらんのに」
「届も出ていないのに、妻ですって」
梢が、口元を袖で隠して言った。借り物の袖で。
「お姉さま、それ、母様の前で言えるの?」
千歳は梢を見た。梢は笑っていた。三日前に泣いていた声も、戸の隙間で叫んだ声も、全部この笑いに畳まれている。
藤乃が「梢」と小さく言った。たしなめる声とは違う。
千歳は膝の上の右手を、左手で押さえた。押さえていないと、袖で隠してしまいそうだったからだ。隠さない。この席で、この手を隠すのは、自分が穴埋めだと認めるのと同じだ。そう思ったのは、初めてだった。
「叔父上」
玲司が、懐に手を入れた。
封書が出てきた。白い封筒で、宛名は白鳥夫人になっている。
「仲人に出した依頼状だ。この縁談を頼んだとき、私が書いた。控えは柘植が持っている。原本は」
玲司は白鳥夫人を見た。夫人の扇が、止まった。
「仲人の手元にあるはずだが、今日は私のほうから出す。叔父上、読まれよ」
恭介は封書を受け取った。扇子を置いて、中の紙を出した。読む気はなさそうだった。読まずに突き返すつもりの顔だった。
目が、紙の上で止まった。
「……読まれよ」
玲司がもう一度言った。
恭介は、読んだ。声が、途中で変わった。
「有明子爵家の、長女」
藤乃の手が、膝の上で動いた。
「千歳殿を、御堂の妻に迎えたく、仲人を、お願い申し上げる」