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経理見習い程度の仕事しか出来ない俺に正社員の口はなかった。それで仕方なくコンビニで働き始めた。深夜のシフトだったせいかそこそこのカネは貰えた。駅からは遠くて築年数も古いけど家賃を安くしておいてよかったと思った。深夜の仕事はそんなに大変ではなかった。人が切れる時間がある。その時にレジ以外の仕事をやればよかった。それに来るお客さんは常連さんがほとんどだった。その常連の一人が石川だった。
いつもミネラルウォーターとサラダチキンを買っていく。肌も灼けていて鍛えられた身体をしていた。だから最初はスポーツジムのトレーナーかと思っていた。ウェーブのかかった少し長めの髪をしていたけれど、そんなトレーナーもいるんだろうなくらいにしか思っていなかった。いつも日付を過ぎた頃にやって来た。年齢が近いせいもあって、少しずつ話すようになった。最初は寒いですねとか暑いですねとかそんな他愛もないことだ。それからポツポツと話題が広がっていった。最初に話かけてきたのは石川からだったかもしれない。
そのうちにコンビニのシフトの時間が短くなってきた。昼間にシフトに入っていた女性が深夜の0時からという中途半端な時間に入ってきた。俺は朝までの予定が一時で上がることになってしまった。それはだいぶ死活問題だ。どうしてそんな時間に入ることになったか不思議だった。オーナー兼店長は「彼女はシングルマザーだからお金が必要なんだよね」と言っていたが、それは表向きの理由でどうやら店長も店にやってきて二人で会う口実だったようだ。いわゆる不倫ってヤツだな。そうなればいくら俺が生活がかかってると言っても聞き入れてはもらえないだろう。コンビニならもう少し駅の近くに行けば何軒かある。店を代わるべきなんだろうな。
「どうしたの? 元気ないじゃん」
石川はふいに声をかけてきた。誰にも相談出来なかった俺はつい愚痴と共に現状を話した。せっかく仲良くなった常連さんと離れるのは少し寂しい気もしたんだと思う。ふうん、と石川は言った。そしてもうすぐ終わるなら外で待ってるけどと言った。俺はなんとなく、うんと答えてしまった。
仕事を終えて外に出ると本当に石川は待っていた。
「俺ん家近くなんだけど寄ってかない?」そう言った。人の家に遊びに行くというのは小学生以来だった。
石川の家はそう遠くない古いマンションだった。
「エレベーターついてるだけマシだけどね」そう言って笑った。五階建ての四階だった。扉はひと昔前のものだ。鍵を回して中に入った。
「お邪魔します」と声をかけて部屋の中へ進む。短い廊下に中扉、そして広めのリビングにキッチンだ。ただ不思議だったのは何故か部屋の真ん中には大きな作業台みたいな机があったことだ。部屋というより工房といった感じだ。
その辺に座ってと言われ、適当な椅子に座る。椅子もどっちかというと作業をする時に座るようなものだった。石川は何もないけどと言うと缶ビールを俺に渡した。自分はコンビニで買った水を飲んでいた。俺はありがたく頂いた。
「カネ、稼ぎたいと思ってる?」
いきなり不思議な質問をしてきた。俺はまあと答えた。やっぱり生活出来ないのは困る。
「──だったら俺らの組に入らない?」
組? ああ、その焼けっぷりは建築関係だったのか。いつもTシャツにスウェットだったから気がつかなかった。
「手先が器用そうに見えたんだけど?」
「ああ、まあ」父の板金工場で遊んでいたせいか手先はわりと器用な方だと思う。
「だったらより稼げるよ。カネがあって困るってことはないっしょ?」
「そりゃ、生活に困らないほうがいい」
「だったらおいでよ」
「結構キツい?」肉体労働にそんなふうに聞くのも変だけど。
「そうでもないんじゃない? 俺らの組は緩いほうだから」
建築系なら給料もいいんだろう。それに知ってる人がいてくれたら心強い。
「なら面接だけでも受けてみようかな。履歴書っている?」
「いらない。俺の口ききだから」
なるほど。派遣なのかもしれないな。とにかく話は聞いてみる価値はありそうだ。石川は明日一緒に行かないかと言ってくれた。早いほうがいい。