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連れて行かれたのは昔ながらの一戸建ての家だった。この辺にしては珍しくちょっとした庭がついた二階建ての家だ。何故か木製の板に〈紅玉組〉と書かれていた。林檎の品種か? 石川は横開きの玄関を開け、そのまま入って行った。廊下は埃っぽく少しざらついていた。入ってすぐの部屋の扉をノックした。中から返事があり、石川は扉を開けると入って行き俺もそれに続いた。ソファセットに木製のローテーブル。立派な事務机。その側には神棚があった。そして『質実剛健』と書かれた書が飾られていた。出迎えてくれたのは白髪混じりの恰幅いい七十歳くらいの着物の爺さんだった。今どき着物の男の人なんて正月でもあまり見かけない。珍しいなと思った。俺たちはソファに座るように言われた。ソファは少しくたびれていて、座り癖のせいなのか変なところがへこんでいた。爺さんはどこからか朱塗りの盆を持って戻ってきた。
「親父、これって正月用の屠蘇セットじゃないすか」石川は眉を顰めてそう言った。
「めでたい日なんだからいいじゃないか」
確かにおめでたい感じはする。屠蘇台も銚子も盃台も盃も美しい朱塗りだった。
「酒は飲めるのか? 今どきの若え者は酒が飲めないっていうからな。まあ、形だけでもいいから舐めるくらいでいい」そう言って爺さんは俺に盃を手に取るように言い、透明の液体を盃に注いだ。俺は盃を持ったまま固まった。どうすればいいんだ? 爺さんはワクワク顔で俺を見ている。人をもてなすのが好きな年寄りは少なくない。酒とは言っているが、なんの液体かは分からない。だがここで断るという選択肢はない。俺は一気に飲み干した。よかった、本当にただの日本酒だ。
「よし! これで親子盃が済んだな。あ、盃は持って帰るなよ? 数がねえんだ」
いや、他人の盃を持って帰るという癖は俺にはない。盃を盃台に返すと爺さんは残りの盃に酒を注いで神棚に置いて手を打った。何かをブツブツ言っている。どうも信心深い爺さんのようだった。俺が石川をみると石川は呆れたように爺さんを見ていた。石川は信心深くないのかもしれない。
「それで、えーと……」爺さんは振り返ってそう聞いた。
「木崎です。木崎碧(あおい)。あおいは“へき“っていうか、王に白、下に石って書きます」
「おうおう〈金碧輝煌〉の“へき“か。美しく光り輝く。いい名前じゃないか」
「ありがとうございます」少し大袈裟だとは思うが、褒められて嫌な気分はしない。
「じゃあ今日からよろしくな」爺さんはそう言った。合格ってことでいいんだろうか? 俺は「ありがとうございます」と言って深く頭を下げた。