「お待たせ」
「ありがとうございます」
目の前に置かれたグラスに手を伸ばし、数口飲んで喉を潤した途端、どっと疲れが出た。
「疲れた……」
私のため息に気づき、田上が目元を緩める。
「仕事?」
「違います。疲れる合コンに行ってきたんです」
「合コン?」
田上は目を丸く見開き、続いてにやりとした笑みを浮かべた。
「いい人はいた?」
「全然。ものすごく嫌な人はいましたけど」
高原の顔を思い出してしまい、顔をぎゅっとしかめる。
「それは残念だったねぇ。でも、ものすごく嫌って、いったいどんな奴?」
田上は笑う。
「でもそれ以前に、佳奈ちゃんは理想が高そうだからなぁ」
「そんなことないですよ。普通です、普通」
「普通ねぇ……。個人的には、金子なんかがお似合いだと思ってたんだけどね」
金子とはその昔、ここで一緒にアルバイトをしていた。実は当時、彼に淡い気持ちを抱きかけたことを、恐らく田上は知らない。
「金子君は友達ですよ」
「そうか、友達かぁ。……ところでその金子なんだけど、佳奈ちゃんは連絡とか取ってる?ここ何か月か、全然顔を見てないんだよ。どうしてるのかなぁと思ってさ」
小腹がすいて注文したミニピザをつまみながら、私は答えた。
「私もしばらく連絡は取ってないですねぇ。仕事が忙しいんじゃないですか?……というか、マスターも連絡先を知ってますよね?電話してみればいいのに」
「そうなんだけどね」
田上は口ごもる。
「俺が電話するとさ、飲みに来いって催促してるみたいじゃない?だから、佳奈ちゃんに聞いた方がいいかなって思ったんだよ」
「私たち、もとからそんなに頻繁に連絡を取り合ってたわけじゃないですよ。……あ、マスター、お客さんが呼んでる」
「注文かな」
田上は素早い動きで奥のテーブルに向かう。
その時、ドアベルの柔らかい音が響いた。
何気なく入り口の方に首を回した私は、そこに顔見知りの姿を見つけて驚いた。今まさに噂をしていた金子悠太だったのだ。私は片手をひらひら振りながら声をかけた。
「金子君、久しぶり!もしかして、一年ぶりくらい?」
「佳奈ちゃん?」
金子もまた驚いた声を上げる。
「ほんと、久しぶりだね!って、なんで一人で飲んでるんだよ」
「一人じゃ悪い?今夜はね、酔えなかったから、飲み直ししているの」
「飲み直し?」
「そ」
金子に気づいた田上がいそいそと戻って来た。
「いらっしゃい。久しぶりだなぁ」
金子は前髪をかき上げながら、田上にぺこりと頭を下げた。
「ご無沙汰しちゃって、すいません」
「いやいや、元気ならいいんだよ。しかしすごいねぇ、噂をすればなんとやら、ってやつだ。さっき、佳奈ちゃんと話してたところなんだ。金子は元気なのか、ってね」
「そうなのよ。だからすごくびっくりしちゃった」
「席は佳奈ちゃんの隣でいいよな」
田上はさっさと席を整えて、手早く準備したボトルやらグラスを私たちの前に置く。
「食べ物は適当に出すね」
お酒の準備ができたところに、料理が次々と並べられる。
私は金子とグラスを傾け合った。
「乾杯!」
一口二口とグラスに口をつけてから、金子が言った。
「さっきも聞いたけどさ。こんな時間に、どうして一人でここにいるんだよ」
「あぁ、それは……」
私が答えるよりも先に、田上が脇から口を挟む。
「合コンだったらしいよ」
「合コン?」
「――という名前の飲み会ね」
私は肩をすくめながら付け加えた。
「そういう顔をするってことは、いい出会いはなかったってことかな?」
金子の問いに私は顔をしかめた。
「出会いがあるどころか……。さっきマスターにも話したけど、すっごく感じ悪い人がいてね。おかげで全然酔った気がしなくて、ここで飲み直してたの。不愉快だわ、余計な気を遣うわ、まったくとんでもない飲み会だったんだから」
金子がくすっと笑う。
「それは残念だったね。ていうか、佳奈ちゃんは今フリーなのか。出会い、探してんの?」
「別に、積極的には求めていないかな。焦ってもいないし」
「もしもいい人がいたら、っていう感じ?」
「そんな感じ。だってこういうことって、焦ってもどうしようもないでしょ?」
「それもそうかもね」
金子は相槌を打った後、不意ににやりと笑った。
「いよいよマズイってことになったら、その時は俺と付き合おうか。というか、もう俺の彼女になっちゃう?」
「は?彼女がいるのに、そういういい加減なことを言っちゃだめだよ」
金子の顔に苦笑が浮かんだ。
「……フラレたんだ」
「え?どうして?」
「誰にでも優しすぎて安心できないんだってさ」
「なるほどね……」
金子は人当たりがいい。そして、容姿も性格もその軽さもちょうどいいイケメンだから、少なくとも私が知るアルバイト時代の彼は女の子にもてていた。彼を目当てにやってくる女性客も多かった。彼を取り巻くそういった環境は恐らく、社会人になってからもほとんど変わらないと思われる。
私と金子が最後に会ったのは、一年ほど前。それ以降連絡を取り合っていなかったのは、彼に彼女ができたからだ。その彼女に変な誤解を与えないようにと、私なりに気を使ってのことだった。しかし、私一人が連絡を控えたところできっとたいした意味はなく、彼女の不安が消えることはなかったのかもしれない。
別れたその彼女ではないけれど、私も特別な優しさは自分だけに向けてほしい。そう考えると、学生時代の私は金子を好きになりかけたが、その気持ちが発展しなくて良かったなどと思ってしまう。
「金子君がモテない人だと良かったのにね。そしたら彼女も安心できたのに」
「俺、別にモテないよ」
「そんなことないでしょ?少なくともバイト時代は、女の人たちがきゃあきゃあ言ってたもの」
「あれはみんな、俺をからかって楽しんでただけでしょ。モテるって言うんなら、佳奈ちゃんだってそうじゃん。バイト時代、お客さんたちに可愛がられてただろ。まぁ、中には『行きすぎ』な人もいたけどね。あっ、ごめん……。俺、つい……」
金子が慌てて口を手で覆った。
顔を歪めている彼に、私はにっこりと笑いかける。
「あれからもう五年もたって消化できてるから、全然大丈夫よ。気にしないで」
「なら、いいけど……。今は、そういうことはないんだよね?」
「そういうこと?」
「ん、例えば面倒な男に言い寄られてるとか、色々さ」
頭の中にある出来事が浮かんだが、私は首を横に振る。心配させるようなことをここでわざわざ言う必要はない。
「別に何も。至って平和だよ」
私は軽い調子で金子に答えた。