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倍相岳斗との電話の後、持参していた服に着替えて太ももを隠してしまった羽理に、大葉の方はまだ部屋着姿のまま朝食を振る舞った。
メニューは炊き立ての飯、豆腐となめこの味噌汁、甘めに味付けしたプレーンの玉子焼き、鮭の塩焼き、冷凍していた作り置きのきんぴらゴボウと言った、いわゆる〝ザ・日本の朝食〟。
「旅館の朝食みたいです! こういうこと出来る人、ホント尊敬しちゃいますっ!」
羽理はそう言って、嬉し気に全部綺麗に平らげてくれた。
食後のデザートにと桃の缶詰を細かく刻んだヨーグルトを出したら「わぁっ、デザートまで! 部長はいつでもお嫁さんに行けますねっ♪ 私、家事全般ホント苦手なので尊敬します!」と照れたように「えへへ」と微笑まれて。
思わず「いや、俺は嫁に行くつもりはないし、何なら家事全般が苦手な嫁を貰ってサポートしたいくらいなんだが……」とアピールしてみた大葉だったのだが、「へぇ、そうなんですねー」と華麗にスルーされてしまった。
(今の流れで『もしかして部長、私のことを……』ってならないのは何でだ!)
とか思った大葉だったけれど、結局言えず仕舞いだった。
***
化粧品はメイク直し用に鞄へ常備してあった化粧ポーチの中身であらかた何とかなりそうだが、基礎化粧品がない!と騒ぎ始めた羽理のために、作業服へ着替えた大葉は、マスクで顔を覆い隠した羽理を連れて近所のコンビニに車を走らせた。
コンビニには急なお泊りに備えてだろう。
スキンケアセットが結構何種類も完備されていて驚いた大葉だ。
「どうせなら一回使いきりのじゃなくて、もう少し沢山入ったやつにしとけ」
一日分しか入っていないパウチパック入りのスキンケアセットを手に取った羽理へ、下心満載でそう言ったら「大きいのを買うならいつも使ってるお気に入りのがいいですよぅ。コンビニのは割高ですし」と言われて、それもそうだなと思って。
歴代の彼女たちのことを思い出して、「いつもはデパートの化粧品売り場で買ってるのか?」と聞いたら「まさかっ。ドラッグストアで買えるプチプラのやつですよっ」と首をブンブン振られてしまう。
今までデパートのブランドコスメ品にしか興味がないような女性とばかり付き合ってきた大葉には、その答えがとても新鮮に思えて。
(荒木ぃ~、お前ってやつは、なんて可愛いんだ!)と、羽理を大好きな気持ちに拍車がかかってしまう。
そのせいだろうか。
「そうか。ドラッグストアなら仕事後にも行けるな。今日、仕事が終わったら一緒に買いに行くか」
無意識のうちにそう誘い掛けていた。
***
「えっ?」
突然の大葉の申し出に、羽理は(この男はいきなり何を言い出すんでしょうね!?)と思わずにはいられない。
だって――。
「家にスキンケアグッズ完備とか。……そんなの、まるでカレ・カノの所業じゃないですかっ」
思わず言ったら、大葉が一瞬瞳を見開いてから、何故かそわそわと瞳を揺らせて。
「ま、また今回みたいにうちへ飛ばされてきたら困るだろうがっ!」
と、怒ったみたいに言う。
羽理は「そんなに何度も飛ばされますかね!?」と聞いてみたのだけれど。
「備えあれば憂いなし」
ポツンとそう落されただけで、それ以上は返事をもらえなかった。
***
無事メイクを完了した羽理に、大葉は彼女のために作った弁当とデザートをモスグリーンの若松菱模様の小風呂敷で包むと、「ほら、弁当」とぶっきら棒に手渡した。
若い女子社員が持つには渋過ぎの風呂敷だが、手元に包めそうなのがそれしかなかったのだから仕方がない。
羽理のために可愛い弁当袋も用意しておこうと密かに心に誓った大葉だ。
(あと、女物の箸もいるな)
今日のところはひとまず棚にストックしてあった未開封の割り箸を忍ばせておいたのだが、羽理用に可愛い弁当用の箸もあった方がいいだろう。
足元でこちらを見上げてくるキュウリに、(うっ、ウリちゃんにも今度可愛いフリルの付いた首輪、買ってあげまちゅからね)と心の中で言い訳をした大葉だ。
だが当の羽理は風呂敷包みや割り箸よりも、弁当箱の中身の方が気になったらしい。
「わぁ~! これ、もしかして屋久蓑部長の手作りですか? ふたを開けるの楽しみですっ!」
風呂敷包みを矯めつ眇めつしながら、目をキラキラと輝かせる。
「ああ。朝飯作るついでに作った。昨夜、朝と昼、作ってやるって約束したからな」
「えっ?」
何の気なしに言ったら、弁当箱を持つ手をフリーズした羽理に、思いっきりキョトンとされてしまった。
(まぁ、分かってたけどな)
酔っぱらった羽理を、ソワソワと大葉が迎えに行ったことも。
一度は彼女の家まで送り届けてやったことも。
もっと言うと危ないから駄目だと言ったのに、酔ったまま風呂へ入ってこちらへびしょ濡れ真っ裸で飛ばされてきたことも。
全部全部すっかり忘れているらしい羽理が、そんな些細なことを覚えているはずがないではないか。
(当然俺の股間に触れて来たことも覚えてねぇよな)
覚えていられても恥ずかしいけれど、覚えられていないと言うのも触られ損な気がするとか言ったら「どっちなんですか!」と叱られるだろうか?
小さく吐息を落としながら「お前、昨夜身一つでうちに飛ばされてきたからな」と言ったら「ふぇ!?」と間の抜けた声を落とされた。
「あ、あの……それって、つまり」
「ああ。前と同じことが逆パターンで起こったってことだ」
「嘘……」
「嘘じゃねぇよ。だから化粧品とかスキンケアグッズとか……普通サイズのを置いといたほうがいいんじゃねぇか?っ言ったんだよ」
今朝羽理がどうにかこうにかメイク出来たのは、ひとえに大葉が羽理の家まで鞄を取りに行ったからに他ならない。
毎度毎度そんなことが出来る時間的ゆとりがあるとは限らないのだ。
「まぁ、あれだ。緊急事態とは言え……勝手にお前ん家入って悪かったな」
ついでにポツンと吐き捨てるように言ったら、「それは助かったのでいいんですけど……」と案外すんなり許してくれて胸を撫で下ろした大葉だ。
ついでに合鍵のことにも気付かれなくてホッとする。
「まぁさ、よくは分からねぇけど……同じタイミングで風呂入ったら駄目なんじゃねぇか?」
あと――。
「恐らく先に風呂から出ようとした方が相手の家に飛ばされるシステムじゃねぇかと思うんだ」
自分が飛ばされた時を思い出してみるに、風呂から上がろうとして扉を開けたら、何故か羽理の家の風呂場の扉を開いていた。
そうして、昨夜は自分が開ける前に風呂場の扉が開いて……裸の羽理が目の前にいた――。
だから、多分そうなんじゃないかと思う。
「確信はねぇがな」
「そんな……」
大葉の言葉に、少なからずショックを受けているらしい羽理を慰めようとしたら「それって……屋久蓑部長、また私の裸見たってことですよね!?」と詰め寄られてしまう。
「み、見たけどっ、不可抗力だっ!」
咄嗟のことに見ていないと言えなくて、慌てて言い訳をした大葉に、「私は今回部長の裸を見たの、ちっとも覚えてないのに! 何かズルイです!」とか。
羽理が、そこじゃないだろ!?と言う不満を口にしてくる。
(いやいやいや! そもそもお前、裸を見るどころか俺の息子、握ったからな!?)
などと、羽理の胸を直にムニッ!と掴んだことを棚上げして思ってみたり。
大葉はプンスカする羽理をなだめつつも、「とりあえず」と前置きをして。
「週末にもう一度実験をしてみよう」
そう誘い掛けた。
***
屋久蓑大葉の家から会社までは徒歩五分。
目的地はすぐそこ!なはずなのに、国道沿いじゃないというだけでマンションのエントランスを出た途端、「どっち方面へ向かえばいいんですかね!?」と途方に暮れた羽理だ。
そんな羽理に大葉が、「お前、前に俺を車で送ってくれたよな!? そん時はどうやって自宅まで帰り着いたんだ!」と至極ごもっともな質問を投げ掛けてきて。
羽理は「カーナビの指示通りに走っただけに決まってるじゃないですかー!」と己の方向音痴ぶりを豪語した。
「あの距離でか!」
羽理の告白に瞳を見開いた大葉が、「荒木、お前、ランチタイムも一人では外に出るなよ!? 遭難するぞ!」とクソ真面目に言ってくる。
結局「仕方ねぇな」とつぶやいた大葉が、「俺の後ろをついて来い」と言ってくれて、まるで探偵気分。
羽理は作業服を卒なく着こなした長身の屋久蓑の後ろを、ストーカーみたいに二メートルばかり距離をあけて歩いている。
そうしながら心の中で密かに、
(何で部長、今日は髪を下ろしてるんでしょうね!? 私のせいでセットする時間がなかったんでしょうか?)
なんて気にしていたり。
まさか酔っ払った自分が、〝キッチリ整えているよりもボサボサな髪の方が可愛い〟とか何とか言ったのを、大葉が真に受けているだなんて、微塵も思ってもいない羽理だ。
(まぁ、下ろしてる方が取っ付きやすい印象で、私は好きですけどね)
面と向かって言ってあげたなら大葉が飛び上がって喜びそうなことを思いつつ、お澄まし顔で大葉から四歩ばかり後方を歩いている羽理だったのだけれど。
曲がり角に差し掛かるなり「はぐれるなよ!?」と後ろを振り返って声を掛けてきた大葉に、「そんなことしたら離れて歩いている意味ないじゃないですかー!」と大声で叫んで、通勤途中の会社員の皆さんや、通学途中の学生さんたちに【何事ですかね!?】と注目されてしまう。
その様にクルリと向きを変えて歩き始めた大葉からすぐさま電話が掛かって来て。
何の用ですか?と思いながら出てみたら『お前こそ目立ち過ぎだろ!』と機械越しに文句を言われてしまった。
そんなこんなで、結局連れ立って歩いた方が目立たなかったんじゃないの?と思ってしまった羽理だった。
***
朝のアレコレを思い出してほぅ、っと切なく吐息を落とした荒木羽理は、すぐ隣に座っている法忍仁子から、興味津々に反応されてしまう。
「なに、なに〜? 朝から色っぽい溜め息なんて吐いてぇ〜。さては例の裸男と何かあったなぁー?」
ニマニマしながら小声で問いかけられた羽理は、内心心臓バクバクで「まさかっ」と大慌てで手を振った。
今の仁子に、「裸なのは彼の方だけじゃないの」だなんて事実は、口が裂けても言えるはずがない。
「倍相課長は可愛い女の子も一緒に住んでるみたいですって言ってたけど、絶対嘘でしょ?」
タクシーの中でそんな話を聞かされたのだと前置きをして「さぁ、お姉さんに白状してごらん?」と不敵に笑う仁子に、羽理は「そっ、それはホントだもん!」とプリティー・キュウリちゃんのつぶらな瞳を思い出しながら懸命に言い募った。
「ふぅ〜ん? まぁ、羽理のことだからこっちが頑張って聞き出さなくてもすぐにボロが出るだろうし? 今はこの辺にしといてあげるっ♪」
クスッと笑って帳簿に向き直った仁子に、「失礼なっ」と返したと同時、
「荒木さーん、ちょっといいかなぁ?」
課長の倍相岳斗から声を掛けられてしまった。
***
「これ、今朝営業の方から上がってきた領収書なんだけど……仕訳とか頼める?」
「もちろんです」
「ごめんねー。いつも都度都度出すよう向こうの課長にも掛け合ってるんだけど……どうも三人ほどグゥタラなメンバーがいるらしくて」
倍相の視線に、手渡された紙束にちらりと視線を落としてみれば、成る程というべきか。
二ヶ月近く前のものも混ざっていて――。
羽理は小さく落胆の吐息を落とした。
(あー、変なのが混ざってませんように……!)
羽理がそう思ったのも無理はない。
余り古いものになると、疑問点が湧いた時、こちらから本人に問い合わせてみても記憶が曖昧になっていることがある。
それに、何よりも羽理自身が! 帳簿は月毎にちゃんと区切りをつけたいと思っている人間だから、二ヶ月分も溜め込むなんて有り得ない所業なのだ。
「……分からないことがあったら、私が直接本人へ聞きに行ってみます」
プライベートの羽理と会社の羽理はまるで別人。
お仕事モードの羽理は、キリリとした顔でそう告げた。
「あ、ところで荒木さん。今朝もちゃんと服、着替えられてるみたいだけど……借り物?」
何の気なしと言った調子で、倍相から話をお泊まり絡みのことに切り替えられた羽理は、フルフルと首を振って。
「着替え、あらかじめ置かせてもらってたので自前です」
そう答えたら倍相が「え?」とつぶやいて。
「それは……裸男さんと彼女さんのお宅へは、しょっちゅうお泊まりするような仲良しな間柄って事かな?」
どこか探るような眼差しで訝しげに問い掛けてくるから、羽理は言葉に詰まった。
だが、ちょうど渡りに船のタイミング。
「倍相課長ぉー。屋久蓑部長から内線でーす」
仁子の声に、羽理は答えにくい質問から解放されてホッと胸を撫でおろした。