「いつつ……って、冗談ですよ。今のは場を和ませようとした、単なるボケで――」
「知ってるよ。だからボケにツッコミを入れただけだ」
レスラー相手にボケるのは、命がけだなぁ……
「そ、それにリング上がるとなったら、女子のコスチュームを着るんでしょ? ヤッパリ女装とかするのは抵抗がありますよ」
「それこそ今更だ――大学んときの部活の飲み会じゃあ、よく一年全員でセーラー服を着てたじゃないか――まっ、先輩達が着せてたんだけど」
くっ……そんな人の黒歴史を簡単に暴露しおって。体育会系の絶対封建主義が恨めしい……
「しかも帰りには、隣りにいるあたしを差し置いてよくナンパされてたなぁ――あっ、なんか思い出したらムカついてきた」
「知りませんよ、って、ひたいひたい!」
カマボコの断面のような目で睨みながら、オレの頬を抓る佳華先輩。
「だいたいなんだっ! 何の手入れもしてないのに、このスベスベな肌はっ!? ケンカ売ってんのか、あぁっ! コラッ!?」
「らから、ひりまへんよっ! へかっマヒひたいっす!(※翻訳・だから、知りませんよ! てかっマジ痛いっす!)」
「知らないで済むかっ! あたしがこの肌をキープするのに、どれだけの時間と労力と金を使っていると思っているんだコラッ! もう面倒くさい、先輩命令だ! グダグダ言わずに選手としてデビューしろっ!!」
「ヒヤへすよ! らいらいほんなあひへに、ほんひれフロレフはんへへきなひれすよ!(※翻訳・イヤですよ! だいたい女相手に、本気でプロレスなんて出来ないですよ!)」
一瞬、佳華先輩の眉がピクンっと動き、頬を抓る指が少し緩んだ。その一瞬の隙に佳華先輩の抓り地獄を抜け出すオレ。
ホントにマジで痛かったぁ~。ホントとマジが被るくらい痛かったわ……
「ねぇ、優人――」
「ああ?」
後ろからかぐやに名前を呼ばれ、振りかえ――
「歯ぁあ、食いしばれーっ!!」
「うぐっ!!」
ホントに振り返った瞬間だった。歯など食いしばるヒマなどなく、佳華先輩に抓られていた左の頬に激痛が走る。そして、ふっ飛ばされたオレの背中が、佳華先輩のデスクに激突。そのまま尻餅をつくように崩れ落ちた。
「いつつっ――何しやが……る?」
顔を上げ、頬を抑えながら出たオレの抗議の言葉は、かぐやの瞳に封じられた――いや、かぐやだけじゃない。尻餅をついたオレを見下ろす、八つの冷たい瞳に……
「えっ? な、なにが……どうし……?」
突然の出来事――突然の態度の豹変に着いて行けないオレは、上手く言葉を発する事が出来ないでいた。
「分からないのか、佐野? お前は今、あたし達全員の地雷を踏んだんだ」
「地雷を……踏んだ……?」
意味が分からず、佳華先輩の口から出た単語を|反芻《はんすう》するように呟いた。
「なあ佐野……あたし達女子プロの選手が、一番許せない事って何だと思う?」
「そ、それは……」
オレは答えが分からずに口ごもる。
佳華先輩は、そんなオレを冷たく見下ろしながら、ゆっくりと口を開いた。
「それはな、女子とゆうだけで、男子より格下に見られることだ……」
「!!」
「あたし達はな、佐野……男子に負けないくらい必死に練習をして、死にものぐるいで試合をしてるんだ。そして|一度《ひとたび》リングに上がれば、男子も女子もないと思っている。それこそ、男子が相手だったとしても負けるつもりはないし、もし負けたとしても自分は女子だからとか、相手が男子だったからなんて言う気もない。それだけのプライドと覚悟を持って試合をしているつもりだ」
「それでも口さがないマスコミや心無い|一般人《ファン》にそう思われるのは仕方無いです。それは我慢しますよ――でも、アナタは経験者。プロのリングに上がった事は無いかもしれませんけど、佳華さんや栗原と何度も|実戦練習《スパーリング》をしているのでしょう? そのアナタが、女子を相手に本気は出せないって――どれだけわたし達を格下に見ているのですか?」
「…………」
佳華先輩と木村さんの言葉に、オレは何も反論出来ないでいた。そんなオレの頭の中を占めていたのは『後悔』という言葉……
オレは、なにバカな事を言ってんだ? なんで考えもなしに、あんな軽はずみな事を……?
オレ自身、プロになるため必死に努力をしてきたのだ。そして彼女たちも、それと同じ努力をしてプロのリングに立っているというのに。
もちろん、女子だからという理由で格下に見ているつもりはないし、考えなしの軽はずみな発言だった。
けれど、そんなのは言い訳にもならない。
「とゆうワケだニィちゃん。さっきの言葉は取り消して、キッチリ詫び入れてもらおうか?」
荒木さんに胸ぐらを掴まれ、引きずり起こされる。
取り消して、詫び入れ……?
それは当然だ。オレは、彼女達のプライドをキズ着けたのだから――
「すみません。考えなしの発言でした……さっきの言葉は取り消し――」
「待ってっ!!」
オレの謝罪の言葉を遮るかぐや。
「優人――別に取り消さなくてもいいわ」
「えっ……?」
オレはかぐやの言葉の真意が理解できずに、彼女の顔へ目を向けた。
その顔は先程までと変わらず、冷ややかな瞳と静かな怒りの表情。オレの事を――オレの発言を許容した訳ではないのは確かだ。
「オイ、かぐやっ! いの一番に手を出しといて、ナニ言ってんだっ!?」
「悪いけど、少し待ってて――」
かぐやは抗議の声を上げる荒木さんの隣りに並び、正面からオレを睨みつける。
「取り消さなくていい。今はまだ……でも分からせてあげる! わたし達が――女子プロのリングが、ホントに本気を出すに足りない相手なのかどうかをっ!!」
かぐやはオレを指差し、声高にそう宣言した。
「わ、分からせるって……どうやって?」
「決まってるでしょう? 勝負するのよ!」
「勝負……?」
「そう、勝負よ。わたしに勝ったら、さっきのは聞かなかった事にするわ。それにアンタの顔を立てて、しばらくはアルテミスリングの選手として試合にも出てあげるし、優人は好きにすればいい。でも、アンタが負けたら――」
「負けたら……?」
オレのオウム返しの問いに、かぐやは腕を組んで口元に笑みを浮かべた。
「当然さっきの言葉を取り消して、みんなに謝罪。その後は選手として、わたし達と同じリングに上がってもらうわ」
勝ったら好きにしていい……つまり、選手としてリングに上がらなくてもいい。
でも負けたら、女装して女子プロの選手になってリングに上がれって事か……
「みんなも、それでいいかな?」
「え、え~と……ちょっと待て……」
かぐやの提案に、頭を捻る荒木さん。
「てぇー事はだ――お前は勝とうが負けようが、ここに所属するってことか?」
「ええ、しばらくはご厄介になるわ」
しばらくと言っても、ウチは短期参戦でもない限り、基本的に一年契約の年俸制。最低でも一年って事だ。
「ならアタイはOKだ。お前が海外に行かなら文句はない」
「そうですね、まったく異論が無いワケではありませんが、栗原がそう言うのであれば任せましょう」
かぐやの提案を受け入れる、荒木さんと木村さん。
「佳華さんは?」
「まあぁ、佐野にあんな物言いをさせたのは、あたしの社員教育不足でもあるしな――今度、飲み屋でキッチリ教育しておく」
出来の悪い社員でスミマセン……でも、なんで飲み屋?
「何より、人気も実力もトップレベルの選手を三人も獲得出来て、更に人気は未知数だけど実力はトップレベルの選手まで獲得出来るかもしれないんだ。今回は大目に見てやるさ」
その人気未知数ってのはオレの事か?
確かに今回はオレの落ち度だけど……ヤッパリ女子プロでデビューはカンベンしてもらいたいなぁ。
「って事だけど優人――アンタはどうなの?」
どうもこうもない。今回は完全にオレの落ち度だ。選択の余地なんてない。
「かぐやの話に乗るよ。ただ……一つだけいいか?」
「へえぇ~、この期に及んで条件を出して来るなんて、いい度胸じゃない」
「条件なんかじゃないよ――勝敗にかかわらず、コレだけは言っておきたいんだ……」
かぐやの軽口を否定して、一歩だけ後ろに下がる。
「さっきはオレの考えなしで軽はずみな言動で、みんなさんのプライドにキズを着けるようなことをした事にお詫びします。すみませんでした!」
そう言ってオレは、深々と頭を下げた。
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