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純度120%の敦鏡を書きたかったけどダメだった
窓の外では、春の柔らかな日差しが横浜の街を包み込んでいた。武装探偵社の事務所内には、書類をめくる音やキーボードを叩く規則的な音が響き、いつもと変わらない平穏な時間が流れている。
中島敦は、デスクに積み上げられた報告書の束を片付けながら、ふと斜め向かいの席に目をやった。そこには、背筋をぴんと伸ばして真剣な面持ちで資料を読み耽る泉鏡花の姿がある。彼女の隣には、いつものように兎のぬいぐるみが静かに鎮座していた。
鏡花が探偵社に来てから、随分と月日が流れた。最初は刺すような鋭さを持っていた彼女の瞳も、今では穏やかな光を宿すようになっている。それでも、彼女が声を上げて笑ったり、感情を露わにしたりすることは稀だ。
(鏡花ちゃん、今日も頑張ってるな……)
敦はペンを置き、小さく息を吐いた。ふとした拍子に、以前太宰治が口にしていた言葉が脳裏をよぎる。「女の子には、美味しいものと綺麗な景色、それに心からの笑顔が一番似合うものだよ」と。
もちろん、今の鏡花が不幸だとは思わない。彼女はこの場所を自分の居場所として認め、仲間たちと共に歩んでいる。けれど、敦の中にはずっと一つの願いがあった。
(鏡花ちゃんの、心の底から笑った顔が見てみたい)
それは、夜叉白雪という異能に縛られ、暗殺者として生きてきた彼女が、過去の呪縛から完全に解き放たれた証拠のようにも思えたからだ。一度そう考え始めると、敦の頭の中は「どうすれば鏡花を笑わせられるか」という議題でいっぱいになってしまった。
「……顔が怖い」
不意に声をかけられ、敦は跳ね上がるように肩を震わせた。見ると、鏡花がじっとこちらを見つめている。
「あ、ごめん! 鏡花ちゃん、変な顔してた?」
「何か、難しい事件の解決策でも考えているのかと思った。眉間に皺が寄っていたから」
「いや、事件っていうか……。あ、そうだ! 鏡花ちゃん、今日この後、もし時間が空いてたらさ、どこか遊びに行かない?」
唐突な誘いに、鏡花は少しだけ小首をかしげた。
「遊び? 任務ではなく?」
「うん。ほら、最近ずっと忙しかったし、たまには息抜きも必要かなって。ちょうど報告書も終わったし、太宰さんも『今日はもう上がっていい』って言ってたから」
実際には、太宰はどこかへふらりと消えてしまっただけなのだが、国木田が「あいつの分まで働け!」と怒鳴っていないところを見るに、急ぎの仕事はないはずだ。
鏡花は少しの間考え込むような素振りを見せた後、静かに頷いた。
「わかった。あなたが行くなら、私も行く」
そう言って立ち上がる彼女の姿に、敦は心の中で小さくガッツポーズをした。まずは第一段階クリアである。
二人が最初に向かったのは、横浜の港を一望できる山下公園だった。海風が心地よく、カモメの声が遠くで響いている。敦は道中、鏡花が好きそうなものを必死に思い出していた。
「あ、鏡花ちゃん、あそこ見て! 大道芸やってるよ」
広場では、ピエロのような格好をしたパフォーマーが、色とりどりのボールを操っていた。観客からは歓声が上がり、子供たちが目を輝かせて拍手をしている。敦は鏡花の反応を伺った。彼女は足を止め、じっとパフォーマーの動きを追っている。
「……すごい。重力がないみたい」
「そうだね。あ、次はジャグリングかな?」
パフォーマーが鮮やかな手つきでバトンを回すと、鏡花の瞳がわずかに見開かれた。感心しているようではあるが、笑顔が出るまでには至らない。
(うーん、次はこれだ!)
次に敦が連れて行ったのは、最近評判の「猫カフェ」だった。鏡花は動物が好きだ。特に小さくてふわふわしたものには目がなかったはずだ。
店内に一歩足を踏み入れると、数匹の猫たちが気ままに歩き回っていた。鏡花は入り口で立ち尽くし、足元に寄ってきた三毛猫を見つめている。
「鏡花ちゃん、触ってみてもいいんだよ」
敦に促され、鏡花はそっと手を伸ばした。三毛猫が彼女の指先に鼻を寄せ、甘えるように喉を鳴らす。鏡花の表情が、目に見えて柔らかくなった。
「ふわふわ……温かい」
「でしょ? ほら、こっちの子は寝てるよ」
鏡花は夢中になって猫と触れ合っていた。猫じゃらしを使って遊んでみたり、おやつをそっと差し出したり。その様子は非常に微笑ましく、敦も自然と顔が綻ぶ。しかし、彼女の口元は少し緩んではいるものの、やはり「満面の笑み」には届かない。
(惜しい……! 鏡花ちゃんは楽しんでくれてるけど、もう一押し、何かが足りないのかな)
猫カフェを出た後、二人は夕暮れに染まり始めた街を歩いた。オレンジ色の光がレンガ造りの建物を赤く染め上げている。
「今日はありがとう。楽しかった」
鏡花が静かに言った。その言葉に嘘がないことは分かったが、敦はどこか諦めきれない気持ちでいた。彼はふと、通りの向こう側にある「クレープ屋」に目を留めた。そこには、期間限定の「うさぎのイチゴクレープ」という看板が出ていた。
(これだ!)
「鏡花ちゃん、ちょっと待ってて!」
敦は駆け足で店に向かい、少しして二つのクレープを手に戻ってきた。一つは自分用のシンプルなもの、そしてもう一つは、生クリームとうさぎの耳を模したマシュマロ、そして真っ赤なイチゴがたっぷりと乗った特製クレープだ。
「はい、これ。鏡花ちゃんに」
「……うさぎ」
鏡花はそのクレープを受け取ると、まじまじと見つめた。食べるのが勿体ないと言わんばかりの視線だ。
「これ、すごく可愛い」
「味も美味しいって評判なんだよ。食べてみて」
鏡花は慎重に、まずはうさぎの耳の部分を一口齧った。甘い香りが周囲に漂う。彼女は目を閉じ、じっくりと味わうように咀嚼した。
「……甘い。すごく、美味しい」
その時だった。鏡花がクレープをもう一口運ぼうとした瞬間、彼女の鼻の頭に、ちょんと白い生クリームが付いてしまったのだ。
「あはは、鏡花ちゃん、付いちゃってるよ」
敦が笑いながら指摘すると、鏡花は驚いたように瞬きをした。自分の指先で鼻を触ろうとして、さらにクリームを広げてしまう。
「あ、余計に広がっちゃった。待って、今拭くから」
敦は慌ててポケットからハンカチを取り出し、彼女の鼻先を優しく拭った。至近距離で見つめ合う形になり、敦は少しだけ照れ臭さを感じて視線を泳がせた。
すると、鏡花がふふっと小さく吹き出した。
「ふふっ、おかしい」
「えっ、何が?」
「あなたも、ほっぺたにチョコが付いてる」
指摘されて自分の頬に触れると、確かに先ほど食べたクレープのチョコソースが付着していた。
敦は顔を真っ赤にして、「うわ、本当だ、恥ずかしい……」と自嘲気味に笑った。
その敦の慌てぶりを見て、鏡花の中で何かが弾けた。
「ふふ、あははは!」
鈴を転がすような、清らかで、一点の曇りもない笑い声。 鏡花は片手で口元を抑えながら、肩を揺らして笑っていた。その瞳は細められ、頬は高揚で赤らんでいる。それは、敦がこれまで見てきたどんな景色よりも、どんな宝石よりも輝いて見えた。
敦は呆然として、その光景を見つめていた。夕日に照らされた彼女の笑顔は、あまりにも眩しくて、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「……あ、笑った」
「え?」
鏡花が不思議そうに首をかしげる。笑いすぎて少し涙目になった彼女が、きょとんとした表情で敦を見上げた。
「鏡花ちゃん、今、すごく綺麗に笑ってたよ」
「……そう? あなたがあまりに慌てているから、おかしくて」
「そっか。……そっか。うん、笑ってくれてよかった」
敦は照れ隠しに頭を掻きながら、自分も心からの笑みを返した。 特別な何かを用意したからではなく、ただ一緒に歩いて、一緒に失敗して、一緒に笑い合う。そんな些細な日常の積み重ねが、彼女の心を解きほぐしたのだと、敦はようやく気づいた。
「鏡花ちゃん」
「なに?」
「また、明日も遊びに来ようか。……いや、遊びっていうか、またこうして一緒に美味しいもの食べよう」
鏡花は、まだ少し残っている笑顔の名残を湛えたまま、力強く頷いた。
「うん。約束」
二人は再び歩き出した。 背後に広がる横浜の海は、夜の帳が下りる前の深い青へと変わりつつある。けれど、並んで歩く二人の足取りは軽く、その前途を照らす街灯の光はどこまでも優しかった。
探偵社に戻れば、また国木田の怒鳴り声や太宰の突拍子もない行動が待っているだろう。けれど、そんな騒がしい日々の中にこそ、守るべき「笑顔」がある。
敦は自分の隣を歩く小さな少女の気配を感じながら、夜の風を大きく吸い込んだ。鏡花は時折、大切そうにクレープを頬張りながら、夜景を眺めている。
「ねぇ、」
「なあに?」
「……今日、一番楽しかったのは、猫じゃない」
鏡花が前を向いたまま、ぽつりと呟いた。
「そうなの?」
「クレープでも、大道芸でもない。……敦と、たくさんお話しできたのが、一番嬉しかった」
その言葉は、どんな甘いデザートよりも敦の心を甘く満たした。
「僕もだよ、鏡花ちゃん。僕も、今日が一番楽しかった」
横浜の夜景が、二人の影を長く地面に描いている。それは決して交わることのない二つの影ではなく、寄り添い、共に未来へと向かって伸びていく、確かな絆の形だった。
敦は思う。これから先、どんな困難が待ち受けていようとも、この笑顔を隣で見続けられるのなら、自分はどこまでも強くなれるだろうと。
鏡花は、自分のポケットから携帯電話を取り出した。そこには、敦が慌てて頬を拭いている瞬間の、少し情けない、けれど温かい写真が収められていた。彼女はそれを大切に保存し、画面を消した。
「明日は、茶漬けを食べに行きたい」
「あはは、結局そこに戻るんだね。いいよ、最高の茶漬け屋さんを探しておくよ」
二人の笑い声が、夜の街に溶けていく。 それは、元・暗殺者の少女が手に入れた、何物にも代えがたい「普通」という名の幸福だった。
月が昇り、街の灯りが星のように瞬き始める。 敦と鏡花の物語は、まだ始まったばかりだ。今日見せた彼女の笑顔は、これから訪れる数えきれないほどの幸福な日々の、ほんの序章に過ぎないのだから。
二人は足並みを揃え、温かな光が漏れる探偵社のビルへと帰っていった。 そこには、彼らを家族として迎えてくれる仲間たちが待っている。そして、明日という新しい一日が、また鏡花の笑顔と共に幕を開けるのだ。
・・・関係ない話だけどさ、鏡花ちゃんが公式で敦のこと「敦」って読んだことあったっけ(((殴