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樋口みたいに好きです!オープンにできる人見てて可愛いし憧れる。全力リスペクトしちゃう
横浜の港を望む倉庫街に、場違いなほど明るい声が響き渡った。
「芥川先輩! 本日のネクタイも最高に素敵です! その、少し控えめな光沢が先輩の瞳の輝きをより一層引き立てていて、私、感動いたしました!」
ポートマフィアの遊撃隊長、芥川龍之介は、背後から突き刺さる熱烈な視線と絶賛の言葉に、眉間に深い皺を刻んだ。
「……樋口。黙れと言ったはずだ」
「はい! 黙ります! ですが先輩、その冷徹な眼差しもまた至高でして、私の心臓が先程から機関銃のような速度で……」
「黙れ」
二度目の制止は、黒獣『羅生門』の衣擦れの音を伴っていた。しかし、隣を歩く樋口一葉は怯むどころか、頬を上気させてさらに一歩距離を詰める。 今日の任務は、密輸ルートを横取りしようとした小規模な組織の掃討だった。本来なら芥川一人で片付く程度の仕事だったが、首領からの命で樋口が補佐に付いている。
「先輩、お疲れではありませんか? 喉は乾いていらっしゃいませんか? 鞄の中に、先輩がお好きな最高級の紅茶を保温瓶に入れて持参しております。今すぐここで淹れましょうか? それとも、私が一度毒見をしてからの方が……」
「不要だ。任務に集中しろ」
「集中しております! 先輩の一挙手一投足、瞬きの一回に至るまで、私の全神経はこの網膜に焼き付けておりますから!」
それは任務への集中ではなく、ただの観察、あるいは崇拝の類だった。芥川は小さく溜息を吐く。この部下は有能だ。銃器の扱いに長け、組織への忠誠心も厚い。だが、自分に対してだけ、その忠誠心が妙な方向へ肥大化し、制御不能な「熱量」となって噴き出してくる。
敵対組織の拠点となる古びたビルに足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。 硝煙の匂いと、潜伏する者たちの殺気。芥川は足を止めず、コートの裾を揺らして歩みを進める。
「芥川だ! 羅生門が来たぞ!」
奥から飛び出してきた男たちが、手にした自動小銃を乱射する。放たれた弾丸の雨は、芥川の数センチ手前で、空間を喰らう漆黒の顎によって無慈悲に遮断された。
「不快だ」
芥川が短く呟く。その瞬間、黒い獣が奔った。 影から生まれた刃が、一瞬にして敵の武器を破壊し、その身を壁へと縫い付ける。断末魔さえ上げる暇を与えない圧倒的な蹂躙。
「ああ……! 素晴らしい……! 今の『連鎖』、流れるような美しさでした、先輩!」
戦闘の最中だというのに、樋口の声は歓喜に震えていた。彼女は手に持ったサブマシンガンを正確に操り、芥川の死角から回り込もうとした残党を容赦なく射抜いていく。その動きに迷いはない。視線は常に芥川の背中を追い、その守護者としての役割を完璧に遂行している。
「先輩! 右前方、遮蔽物の裏に三名! 私が制圧しますので、先輩はそのまま奥のボスをお仕留めください! 先輩の御手を煩わせるまでもありません!」
樋口はそう叫ぶなり、弾丸の飛び交う中を迷わず突進した。彼女の戦い方は、ある意味で芥川よりも危うい。自分の身を顧みず、ただ「芥川龍之介という男の道を切り拓く」ためだけに、命を燃やしている。
制圧は数分で完了した。ビルの最上階、豪華なソファに座り込んで震える組織のリーダーを、芥川は冷ややかな目で見下ろす。 「待て、頼む! 金なら出す! 命だけは……!」
「貴様の命に、僕が値を付ける必要はない」
芥川が手を挙げようとした時、横から樋口が鋭い声で遮った。
「貴方! 命乞いをする相手を間違えていますよ! 先輩の貴重な時間をこれ以上奪うことは、万死に値する大罪です! 潔くその首を差し出しなさい!」
あまりの剣幕に、敵のボスは腰を抜かして硬直した。芥川は、振り上げた手のやり場に困り、結局そのまま羅生門で敵を気絶させるに留めた。殺す価値さえないと判断したのだ。
任務完了後。撤収する車の中で、樋口の「好き好きオープン」な攻撃はさらに加速した。
「先輩、今日の戦いぶりも本当に、本当に格好良かったです! 特に、あの三階での跳躍! 重力さえも先輩に従っているかのようでした。私、あの瞬間を写真に収めて額縁に入れて、自宅の祭壇……いえ、リビングの最も目立つ場所に飾りたいくらいです!」
「……祭壇と言ったか、今」
「気のせいです! 先輩への敬愛の念が溢れすぎて、言葉が滑りました! ですが本当です、先輩。貴方は私の太陽、私の生きる指標……。先輩が歩む道であれば、例えそこが地獄の業火に焼かれていようとも、私は笑顔で付いて参ります!」
芥川は窓の外を眺め、流れる夜景を瞳に映していた。隣で熱弁を振るう樋口の顔は見ない。見れば、その真っ直ぐすぎる、純粋すぎて毒にさえなりそうな好意に当てられてしまう。
「樋口」
「はい! 何でしょうか、先輩!」
「暑苦しい」
「えっ、あ、申し訳ありません! すぐにエアコンの温度を下げます! それとも、私が団扇でお仰ぎしましょうか!?」
「物理的な話ではないと言っている」
芥川は短く咳き込み、口元をハンカチで覆った。 かつて自分を導いたあの男——太宰治に、自分は認められたかった。その一心で闇を駆け抜け、血を流してきた。だからこそ、何の疑いもなく自分を全肯定し、肯定どころか神格化して付き従う樋口の存在が、時として理解不能な異物のように感じられる。 自分のような破壊しか知らない人間に、これほどの情愛を注ぐ価値がどこにあるのか。
「先輩?」
不意に声が小さくなった。見ると、樋口が少しだけ不安そうに、だがやはり隠しきれない熱を帯びた瞳でこちらを見つめていた。 「……私、また喋りすぎましたか? 先輩に嫌われるようなことを……」
「嫌ってなどいない」
無意識に出た言葉だった。言った後で、芥川自身が驚き、それを隠すように視線を険しくする。
「貴様がいなくなれば、事務作業が滞る。僕のコートの予備を管理できるのも貴様だけだ。ただの利便性の問題だ」
その言葉を聞いた瞬間、樋口の顔が、夜の車内でも分かるほどにパッと輝いた。
「わ、わぁ……! 今、先輩は『嫌ってなどいない』と仰いましたね!? しかも、私が必要だと……私がいなければ困ると……! 事務作業も、お召し物の管理も、全て、全て私が責任を持って、一生、いえ来世まで全ういたします!」
「来世など知ったことか」
「いいえ、来世でも私は必ず先輩を見つけ出し、遊撃隊の補佐として……いえ、その時はもっと近い関係に……ああっ、想像しただけで鼻血が……!」
「樋口、ハンカチを使え。汚い」
芥川は、自分の予備のハンカチを樋口の顔面に放り投げた。彼女はそれを聖遺物でも受け取るかのように両手でキャッチし、顔を埋めて深呼吸している。もはや重症だった。
本部に到着し、車を降りる際。 夜風が芥川の髪を揺らす。彼はふと立ち止まり、背後を付いてくる樋口を振り返った。
「樋口」
「はい、先輩!」
「……明日も、朝は早い。遅れるな」
それは、明日も自分の隣にいろという、芥川なりの最大級の譲歩だった。 樋口一葉という女性は、それを聞き逃すはずがない。
「はい! 明日は予定の三十分前……いえ、一時間前には先輩のお宅の前で待機しております! 美味しい朝食の用意もお任せください!」
「……勝手に来るな。一分前でいい」
「一分前ですね! 分かりました! 一分一秒狂わず、先輩の視界に飛び込んで参ります!」
満面の笑み。ひたすらに真っ直ぐな、太陽のような好意。 芥川は再び「ふん」と鼻を鳴らし、今度は少しだけ歩幅を緩めて歩き出した。 背後から、「先輩、待ってください! 今の歩き方も最高にエレガントです!」という声が追いかけてくる。 静かな夜の廊下に、止まらない愛の言葉と、それを疎ましがりながらも拒まない足音が、いつまでも重なって響いていた。
彼の闇を照らすには、このくらいの眩しさが必要なのかもしれない。 本人がそれを認めることは、まだ、しばらくはなさそうだが。