テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
彼女に言葉をかけたのは、春の終わりだった。少し汗ばむ陽気の日。
教室のドアの前に立つ僕の視界に、片倉結惟が入ってきた。
彼女はまっすぐ歩いていた。まるで、この空間に自分以外いないかのように。
僕はその静かな足取りを止めるように、言葉を投げた。
「君……人を壊すの、得意なんだね」
それだけだった。
詰問ではない。ただの確認だ。
彼女は、止まった。
けれど何も言わず、僕の方を見た。
ほんの数秒。
でも、その目には確かに――**“動揺”**があった。
⸻
あの一瞬を、僕は忘れない。
それは、ひどく冷たくて、それでいて、どこかで揺れていた。
まるで――
“誰かの名前”を思い出したかのように。
⸻
茅野 瑠海。
その名が、頭をよぎった。
いや、正確には――**“かつて何かがあった痕跡”**が、目の前の彼女に刻まれていた。
⸻
結惟のその揺らぎに、僕は確信した。
「この子は、もう誰かを沈めたことがある」
それは、誰にも気づかれなかった空白。
名簿にない。転校記録にもない。
SNSも、グループチャットも、通知も、何も残っていない。
でも、空気が違っていた。
結惟の周囲には、“何かを殺した者だけが持つ”、異様な静けさがあった。
⸻
【観察記録003】
■対象:片倉結惟 + 茅野瑠海(後追い記録)
■分類:支配者の起点
■備考:当方の観察開始以前に発生
■結論:これは、すべての始まりだった
⸻
僕はこの003番を、最も静かな声でノートに記した。
本来、観察対象とは“目撃したもの”であるべきかもしれない。
でも、世界が見落としたものを記録するのも、観察者の役割だと思った。
⸻
結惟は、そのまま僕を一瞥し、何も言わずに通り過ぎた。
けれど、その背中には確かに――何かの影があった。
誰かを忘れた顔。
何かを消した目。
それは、支配者の目じゃなかった。
もっと“壊したことに気づいていない者”の、それだった。
でもそれは、変わっていく。
この日を境に、彼女は少しずつ、冷たく、確実に“空気を制御する存在”へと進化していった。
⸻
そして僕は、改めて観察を決意した。
彼女の内側にある“空白の名”を、書き残すために。