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第157話:印税のトラップ〜10%の幻想と、立ちはだかる『源泉徴収』〜
「……ふふっ、ふはははは! 見ろよ結愛! ついに届いたぞ!!」
帯広のボロアパート、四畳半。
俺は三万円のゲーミングチェアの上で身を乗り出し、PCモニターに表示された一通のメール添付ファイル――『出版契約書(案).pdf』を指差して、高らかに高笑いを響かせた。
大手出版社K〇D〇K〇WAの担当編集S氏から届いた、夢にまで見た書籍化の契約書だ。
「ついに俺も『印税生活者』の仲間入りだ! 世の中のベストセラー作家たちが、印税で豪邸を建てたり高級車を乗り回したりしてるあの伝説のシステム(印税)が、この四畳半に解禁されるんだよ!」
『浮かれる前に、契約条項の細部をしっかり確認してください、ルシフェル様』
ディスコードの向こうから、我が社の鉄面皮経理・結愛(ゆあ)の冷ややかな声が届く。
『出版契約は、一度捺印すれば法的な拘束力が発生します。特に【著作権の帰属】と【印税率】の項目は、絶対に妥協してはなりません』
「分かってるって! 印税なんて言ったら、世間の相場は『10%』に決まってるだろ! 定価千四百円の本が刷られれば、一冊あたり百四十円! これが何万部も売れれば……ぐふふっ!」
俺は鼻の下をデロデロに伸ばしながら、PCの画面をスクロールし、契約書の【第〇条:印税の支払い】という項目に目を滑らせた。
そこには、はっきりとこう印字されていた。
【本著作物の発行部数に対し、定価に『8%』を乗じた金額を印税として支払うものとする】
「…………は?」
俺の思考が、ピタリと停止した。
「は……? 8%……!? じ、じゅうパーセントじゃないのか……!?」
俺は二度見、三度見し、さらにメガネを外して画面に顔を近づけた。
しかし、何度見直しても、そこに書かれている数字は『8%』だった。
「おい結愛!! 誤植だ!! 編集Sさんのタイプミスだぞ!! 10%の『1』が抜けて『8』になってる!! なんて失礼なうっかり八兵衛なんだ!!」
『誤植でも何でもありません、ルシフェル様』
結愛がウェブカメラの向こうで、深くため息をついた。
『出版不況と言われる現代において、実績のない新人作家の初版印税率は「8%」、場合によっては「6%」からスタートするのが業界のリアルな相場です。むしろ大手で「8%」提示は、新人としては十分に破格の条件ですよ』
「そ、そんな……! 2%もどこに消えたんだよォォォ!! たかが2%と思うかもしれないが、一万部刷られたら何万円もの差が出るんだぞ! 俺の白米代がぁぁぁ!!」
俺がガバガバな皮算用を弾いて畳の上でのたうち回っていると、AIアシスタントのジェミニ先生が無機質な合成音でフォローを入れた。
『ルシフェルさん、落ち込むのはまだ早いです。出版契約には「発行部数印税(刷り部数印税)」という強力なメリットが存在します』
「はっ……! 発行部数印税!?」
『はい。一般的な出版契約では、本が実際に「売れた冊数(実売)」ではなく、「印刷所に刷られた冊数(初版部数)」に対して印税が支払われます。つまり、仮に本が売れ残って売れ行きが不振だったとしても、初版で刷られた分の印税は全額保証される仕組みです』
「ま、マジかよジェミニ先生!!」
俺は一瞬で立ち直り、パッと目を輝かせた。
「ってことはだ! 仮に定価一千四百円で、初版が『一万部』刷られたとしたら……!」
俺は素早く脳内電卓を叩いた。
「1,400円 × 10,000部 × 8% =【1,120,000円】!!」
ひゃ、百十二万円……ッ!!
「入ってくる!! 本が売れるかどうかにかかわらず、印刷された瞬間に百万円以上の現金がドカンと口座に振り込まれるんだ!!」
俺は三万円のゲーミングチェアの上で再び勝ち誇った。
「なんだ、2%くらい引かれたって全然痛くねえじゃねえか! 百十二万円だぞ!? 一日一食の玄米生活から、ついに毎日高級な和牛が食える生活へ昇格だ!! This is an INZEI!!」
両手を挙げて万歳三唱をする俺。
しかし――その絶頂の瞬間、ジェミニ先生が冷酷な「現実」のナイフを突きつけてきた。
『……ルシフェルさん。大変心苦しいのですが、その百十二万円がそのまま貴方の口座に入ることは絶対にありません』
「……え?」
俺の万歳のポーズが、ピタリと固まった。
「な、なんでだよ……。契約書通りに計算したろ……?」
『日本の所得税法第204条第1項第1号の規定により、出版社から個人(作家)に対して支払われる原稿料および印税には、あらかじめ【源泉徴収税】が課されることが義務付けられています』
「げ、げんせんちょうしゅう……?」
『はい。具体的には、支払額の【10.21%】(所得税10% + 復興特別所得税0.21%)が、出版社によって口座への振込前にあらかじめ天引きされます』
「じゅう、てん、にーいちパーセントォォォォォ!?」
俺の悲鳴が四畳半のボロアパートに轟いた。
『ですので、先ほどの百十二万円の場合、114,352円が源泉徴収税として自動的に天引きされ、手元に残る振込額は【1,005,648円】となります。ギリギリ百万円は保ちましたが、十一万円以上が消えましたね』
「出たよ国税庁ォォォ!!」
俺は頭を抱えて畳をバンバンと叩いた。
「給料が入る前、本が売れる前から、先回りしてカツアゲしてんじゃねえよォォ!! なんだよその『10.21%』って! 0.21%のコンマの刻み方がリアルすぎて生々しいんだよ!!」
『お気持ちは分かりますが、それが日本の税制です』
結愛が淡々とキーボードを叩きながら追い打ちをかける。
『なお、この源泉徴収された税金は、来年の確定申告において「前払いした所得税」として計算されます。ですが、ルシフェル様の場合は法人(株式会社インフィニティ・ワン)として契約するのか、個人事業主として受け取るのかによって、税理士への相談とさらに複雑な帳簿処理が発生します』
「あああああ!! また確定申告!! どこに行っても税金!! 印税をもらおうとしても税金!!」
俺は三万円のゲーミングチェアから転げ落ち、力尽きて四畳半の畳に突っ伏した。
「百万円入ると思ったのに……結局、手元に残る前に税金で削られて、税理士の費用で消えていくのかよ……」
『元々、何も働かずに手に入るお金など存在しないのですよ、社長』
結愛の冷酷な言葉を聞きながら、俺は畳の上に落ちていた冷めた玄米おにぎりを拾い上げ、涙目で一口かじった。
「白米と……お肉への道は……遠いぜ……」
『出版』という甘い夢の裏に潜む、国家による容赦なき天引きシステム(源泉徴収)。
四十歳の底辺社長は、印税を手にする前に、再び日本の税制という巨大な壁の前に膝を屈するのであった。
ゆうき あきや
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コメント
1件
わかるわかる…「印税10%で夢の豪邸!」からの8%&源泉徴収の現実、ちょっと切なすぎる😂 でもそのギャップ描写がめっちゃ面白くて、「百万入ると思ったのに国税庁にカツアゲされた」って叫びに笑った笑。印税の仕組みとか源泉徴収とか、こういうリアルな話を軽やかに教えてくれるの、**めっちゃためになるし読みやすい**。畳に落ちてた冷めた玄米おにぎり…胸に刺さるよ。次も楽しみにしてます!