これはボクにしかない『能力』。
ほかのだれにもないもの。
ツトムが最初に『能力』を意識したのは、小学三年のときだった。
「ちょっとタイム! いまのなしね」
クラスメートたちは遊びの最中になにか不都合が起こると、たびたび事態の初期化をはかろうとした。
ツトムは長いあいだ、その言葉のもつ意味が理解できずにいた。
……どうしてみんなは時間をやり直すのに、わざわざ宣言をするの?
その不可思議な概念を解読するまでに、約半年を費やした。
ようやく答えにたどり着いたツトムはひとり運動場に立ち、足もとに転がるサッカーボールを全力で蹴った。
足もとを離れたボールはゴールから大きく逸れ、うしろに並ぶ自転車に当たった。
ドミノのように倒れる自転車を見つめながら、ツトムは思う。
――そうか。みんなは時間を戻せないのか。
ツトムは時間を戻すことができた。
ツトムは目を閉じ、人差し指を眉間に当て、『クイッ』と一度折り曲げた。
すると蹴ったサッカーボールが瞬時にツトムの足もとへともどり、倒れたはずの自転車は元通りに並んでいる。
時間を戻す方法は至って簡単だった。
頭にアナログ時計の秒針をイメージし、それを指で『クイッ』と弾く。
すると世界はツトムの記憶だけを残したまま、過去を再現させる。
廊下ですれちがったクラスメートは、瞬間移動するように元の位置にもどる。
空へと飛びたったはずのスズメたちは、電線のうえに戻ってバランスをとっている。
しかしいくら特殊な『能力』があるとはいえ、日常生活で能力を使用する機会などほとんどなかった。
実際『能力』を使ったところで何かが変わるはずもない。
教壇に立つ先生がまたおなじ話を繰り返すだけであり、運動場で転んだクラスメートはまたすぐに転ぶだけだから……。
『能力』は世界にはなんら影響を与えない。
『能力』とはつまり、自分自身の行動をやり直すためのものである。
幼いツトムは系統立てた理論ではなく、直観としてそう理解した。
その年、ツトムは県内のリトルリーグに入団した。
すると日常でほとんど使い道のない『能力』が、ことスポーツにおいては大いに使い道があるのを知った。
ルールという厳格な制限と、勝利という明確な結果。
それらは『能力』を使用するための温床ともいうべき環境だった。
ツトムは打席に立つと、相手投手が放つ球種をじっくりと観察した。
球速と球種を見極め、確実に打てる球がくるまで辛抱強く待つ。
そして打てる球がミットに収まると、眉間に指を当てて『クイッ』と折り曲げる。
『能力』により世界が3秒間巻きもどると、相手投手はさきほどとおなじフォームでおなじ球を放ってくる。
すでに球種が読めているだけに、あとは素直にバットを振りぬけばいいだけだった。
ツトムにとって必要なのは、心理戦でも戦略でもはい。
事前に定めておいた位置に、正確にバットを運ぶスイング技術だった。
幸いにも、ツトムは天性のバッティングセンスにめぐまれた。
プロ野球選手になる夢を抱いてはじめた野球だっただけに、練習量に比例して技術は飛躍的に向上していった。
そうして得たスイング技術と、『能力』とが組み合わさることで、ツトムは決定的な局面で大活躍し、代わりに何度か気絶した。
『能力』を使って打ち返した球が、内野を抜けて外野へと転がっていく。
ツトムは悠々と一塁に走りながら、とつぜん気を失ってその場に倒れる。
外野手からの中継を受けた内野手はグラウンド上に倒れるツトムを見つけては、戸惑いながらも一塁に送球する。
おなじく混乱したままの審判が、一応のルールに則ってアウトを宣言する。
倒れたツトムは、9秒間無機物となったまま動かない。
監督やチームメイトが心配して駆けつけるが、9秒後にツトムはむくりと起きあがり、何ごともなかったように一塁ベースにむけて走りだす。
ベースを踏み小さくガッツポーズをとったツトム。
「きみ……アウトだよ」
「えっ!?」
審判から一連の事情を聞かされては、自分が失神していたことをようやく知った。
はじめて試合で失神したときは、とくに表沙汰にはならなかった。
しかし3度めにもなると、監督はツトムの両親を呼び寄せ、医療機関での精密検査を要請した。
検査の結果は良好だった。
肉体に異常は見当たらず、『幼年期のホルモンバランスの不均衡』との診断がくだったため、ツトムはすぐにチームに復帰した。
直後に監督はツトムを呼びだしてこう伝えた。
「ツトム。今後おまえをレギュラーではなく、代打として起用したい。なぜならおまえは、チームにとってかけがえのない存在、つまり切り札なんだ。そう、おまえは代打の切り札だ」
「切り札……。かっこいいですね」
「だろ!」
監督は幼いツトムを言葉巧みに誘導した。
ツトムは意気揚々となり、さらなる練習に励むようになった。
*
全日本リトルリーグ野球選手権、地区予選大会決勝。
最終回2アウト満塁。
サヨナラの場面だった。
監督はここで代打の切り札、南海ツトムを打席へと送った。
勝てば全国大会出場が決まる、まさに最後の山場だった。
打席に立ったツトムは、相手投手が放った3球目のストレートを打ち球として定めた。
頭にアナログ時計の針を浮かべ、眉間に当てた指を『クイッ』と折り曲げる。
すぐに世界は3秒前に戻った。
振りかぶった投手が、さきほどとおなじストレートを放った。
所定の位置にバットの芯を運ぶと……。
カキーン!
甲高い快音とともに、打球は大きなアーチを描き、はるか場外へと消えた。
代打逆転満塁ホームランだった。
打たれた相手投手がマウンド上でがっくりとうなだれた。
球場が歓喜と悲鳴に包まれるなか、ツトムは悠々とダイヤモンドを回りはじめた。
そして一塁ベースを踏むまえに、気を失って倒れた。
優勝の歓喜にわくチームメイトたちが興奮のあまりベンチから飛びだし、倒れるツトムを担ぎあげた。
すると打者への接触行為だとして、一塁審判が声高らかにアウトを宣言した。
判定を不服とした監督が審判に猛抗議し、激しい口論となった。
すぐに両陣営のコーチがグラウンドに乱入、やがて試合を観覧する父兄にまで飛び火する乱闘騒ぎへと発展した。
有機物にもどったツトムの視界に映るのは、怒号をあげて殴り合う大人たちの姿……。
ツトムはそこではじめて、『能力』と『気絶』が互いに作用していることを知った。
けっきょく判定が覆ることはなくチームは敗北した。
全国大会への道が閉ざされたのだ。
責任を痛感したツトムは、その日を堺に『能力』使用を自らに禁じた。
この代打逆転満塁ホームラン気絶事件によって、ツトムは一時、地域で名の知れた存在となった。
しかし以前にも増して試合出場の機会が減ったツトムの存在は、すぐにまわりの記憶から消えていった。
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