コメント
0件
夕刻の東京環七通りには、息が詰まるような列が伸びていた。
ツトムの愛車ジャガーFXは、長い渋滞から抜けだしようやく目的地へとたどり着いた。
沈みかけた太陽が、株式会社CJルートを照らしている。
ジャガーを地下の駐車場に停め、非常用階段を使って1階の受け付けへと上がった。
白壁に掲げられた控えめな会社のロゴと、管理という手法で育つ観葉植物がツトムを出迎えた。
受話器を掲げて代表番号を押すと、すぐに受付担当が応答した。
「いらっしゃいませ。CJルート総合受付です」
「18時の面談に伺いました南海です。大垣オーナーはいらっしゃいますでしょうか」
「南海さまですね、お待ちしておりました。エレベーターで5階へお上がりください」
電話が切れると、解錠音とともにガラス張りの正面口が開いた。
誰もいない通路を進み、エレベーターに乗って5階のボタンを押す。
軽い加重力を受けながら、ツトムは備えつけの鏡を見つめた。
緊張によりやや顔がこわばっていた。
すぐに目を閉じてみる。
頭には高校時代の体育倉庫と、白い下着を露わにする白石ひよりの姿があった。
決して近づかず、決して離れず……。
一定の距離を保ったまま、ふたつの丘を拝むように眺めた。
すると白石ひよりは、石灰となって方々に散った。
鏡には冷静な自分が映っていた。
5階につくと、漆黒のスーツに身を固めた美濃輪雄二が待ちかまえていた。
「南海さん、遠路はるばるお越しいただきありがとうございます」
「あなたの仕掛けた罠にまんまと乗って、ここまできましたよ」
「罠だなんてとんでもない。私はオーナーの意向をお伝えしようとしたまでです。あくまで代理人にすぎません」
「正直メンドーなんですよ。なんの根拠もなく、人を超能力者扱いするなんて」
「しかし、黙殺はできなかった」
美濃輪雄二はそうつぶやき、鋭いアゴさきをわずかに沈めた。
「こちらでオーナーがお待ちです」
美濃輪雄二が社員証をカードロックに当てる。
ICチップが反応し、ピッという解錠音が鳴る。
「失礼します」
ツトムは深く頭を下げてから足を踏み入れた。
社長室は施工サンプルのような平凡な造りをしていた。
手前に応接用の黒革ソファとガラステーブル、奥の事務机では社長らしき初老の男が書類に目を通している。
ツトムはもち前の視力で、『代表取締役 大垣元和(おおがきもとかず)』の名札を読みとった。
「はじめまして。南海ツトムです」
「ようこそ、大垣です」
大垣は手入れの行き届いていない髪を掻きむしりながら立ちあがった。
スーツはくたびれて、ところどころテカり、さらにはシャツの第3ボタンが外れている。
とても会社を率いる代表には見えなかった。
まるで生涯を研究に捧げた、変わり者の研究者のようだ。
「まあ座ってください」と大垣は言った。
「ありがとうございます」
高背のツトムにも低すぎない、心地よい質感のソファだった。
「ところで、ツトムは喉渇いてないのか?」
ツトムの正面に腰かけるなり、大垣はぶしつけに言った。
「はい? とくに渇いていませんが」
「そうか。水はたくさん飲んだほうがいいんだぞ。俺なんて毎日3リットル飲んでるからな。ああ、でもおまえはプロ野球選手だから、健康については俺より専門家だったな」
大垣はそう言って笑った。
冗談ともつかない大垣の言葉にツトムは困惑した。
「一応水分は多めにとるようにしています」
「でもな。今日このあと飲みにいくから、水は我慢するんだぞ」
「飲みにですか?」
「そうだ。いくら寒い季節になってきたと言っても、ここは日本だ。ロシアじゃない。だからウォッカよりはワインがいいだろう。ワインはイタリアだけどな」
目のまえに座る初老の男が、一体なにを言っているのか理解できなかった。
助け舟をだす機能など備わっていなさそうな美濃輪雄二は、リモコン操作でもされたように大垣のとなりに腰かけた。
「それでは南海さん。さっそくですが本題に入りましょう」
美濃輪雄二が言った。
「おい雄二、焦るなよ」
大垣はなにかを思いだしたように立ちあがった。
それから部屋の隅に設置されたウォーターサーバーの水を汲んで飲みはじめた。
「おい、ツトム。おまえも飲むか?」
「いえ、必要ありません」
再三にわたる大垣の不可解な言動。
ツトムの脳裏にある言葉が浮かんだ。
――痴呆症。
「美濃輪さん。わざわざ球場にまで尋ねてきた理由を聞かせてください」
一筋縄ではいかないふたりのうち、消去法によって美濃輪雄二に話しかけた。
「大垣オーナー。南海さんが本題を要求されていますが、いかがいたしましょう」
「くそ、またやっちまった」
ウォーターサーバーのまえで大垣が声を荒げた。
紙コップが転がり、フロアは水びたしになっている。
大垣はデスクにあるティッシュを抜き取って、床を拭きはじめた。
「では、南海ツトムさん」
大垣を無視して、美濃輪雄二は言った。
「本題に入るに当たり、まず伺いたいのですが、あなたは特殊な能力をお持ちである。間違いありませんか?」