その日の夜ーー。
「帰った!今日の飯なに?」
いつものように帰宅し、リビングにいるはずの花音に声をかけた。
返事がない。
「そっか。あいつ、今日いないんだっけ」
帰ってきて誰もいないことは、少し前までは普通だった。が、今は静まり返った空間が物足りなく感じる。
「面倒だけど、デリバリーでも頼むか」
彼女が来てから、自分で料理をする機会もしようとする気持ちもなくなった。
それほど彼女の作る食事に満足をしていた。
仕事で帰れない時、仕方がなく外食をする時もあったが、彼女の料理と比べてしまう。
なんだか物足りず「あいつの方が美味いな」そう思ってしまうことが多かった。
ふと冷蔵庫を見ると、メモが貼ってあった。
「今日はごめんなさい。甘い物だったら、冷蔵庫に作ってあります」
冷蔵庫の中を見ると、プリンが作ってあった。
「あいつのプリン、美味いんだよな」
デザートだと理解しつつも、その場でプリンを食べる。
「美味い」
すぐ完食してしまった。
もちろんそれだけでは足りず、スマホでデリバリーを検索する。
「なんか気が進まねーな」
どんな料理を見ても、食欲をそそるものが見つからない。
なぜ一日、彼女がいないだけでこんな気分になるんだろう。
自分でも不思議だった。
「あいつ、今、何してっかなー?」
学校の仲間と楽しくやっているのだろうか。
その中に男もいるだろう。
友達と一緒に夕飯でも食べて、夜は遊びにでも出かけてんのかな。
「合宿って言っても、学生だし、ただの遊びだろ」
声を出して自分に言い聞かせる。
仲良くなった男と二人きりになるなんてことはあるのだろうか?
「あいつ、トロいからな」
まさか、襲われたりするなんてことーー。
「チッ、俺は保護者かよ」
仕事をしている時は忘れることができていたが、気になったらもう落ち着いてはいられなかった。
スマホを取り出し、電話をかける。
<プルルル……プルルル……プルルル……>
呼び出し音が聞こえるが、応答がない。
<お客様のおかけになった電話はお出になりません>
そう言って電話が切れてしまった。
「クソッ」
無性にイライラした。
リビングのテーブルを見ると、彼女(花音)の予定帳がそのままになっていた。
彼女の部屋に置いてこようと思い、部屋に入る。鍵はかかっていなかった。
『部屋に入られたくなかったら、鍵をかければいい』とは伝えていた。
「不用心なやつ」
彼女の部屋の机に手帳を置き、すぐ出ようとした。
しかし机に置いてあったCDに目が行った。
「俺のCDじゃん。あいつ、わざわざ買ったのかよ。しかも予約限定版」
自分に言えば簡単に渡せるものなのに。
そこを頼んでこないのが、彼女らしいと思った。
そしてカレンダーに「ライブの抽選日」という文字が。
予約限定版を購入した時に付属しているシリアルナンバーで応募ができる、ライブの抽選日がしっかりとカレンダーに記入されていた。
「あいつ、バカかよ」
言葉ではそう言ってしまったが嬉しかった。
ライブについても自分に頼めば簡単に用意できるものだった。
それでも彼女からは直接お願いをされたことがない。
「はぁ」とため息をつく。
カレンダーを見て、もう一つ気づいたことがあった。
「あいつ、もうすぐ誕生日か」
数日後に誕生日の文字があった。
「早く言えよな」
俺は、花音から何も期待されてないのか。
そう考えると、再びイライラした。頼られていないような気がして。
よく考えてみると、彼女はそういう性格だった。何か「欲しい」とか求めようとしない。
そんなことを考えていると、ポケットで携帯が鳴った。
「もしもし?」
<あっ、奏多さん!電話、出られなくてすみません。何かありましたか?>
朝会ったのに、なぜか懐かしく感じる。
「お前、今すぐ帰って来い」
彼女が困ることを前提に、できない注文をした。
<えっ!無理ですよ。ここ、どこだと思っているんですか?そうそう、何か食べたいものあります?奏多さんにお土産買って帰りたくて。甘い物はわかるんですが……>
「なんでもいい。お前が無事に帰って来てくれれば」
冗談ではない、柄にもないことを言ってしまった。恥ずかしくなる。
<へっ!?奏多さん、熱でもあるの!?大丈夫ですか?>
やっぱり冗談だと思われてる。
「冗談じゃねー。バカ!お前、男と遊んでるんじゃねーだろうな?」
束縛なんてできる関係性ではないのに。
<そんなわけないじゃないですか!真面目に勉強しているのに>
電話越しで怒る彼女、怒っている姿が目に浮かんだ。
「わかった。明日は何時に着くんだ?」
<学校には寄らないでそのまま奏多さんの家に帰ろうと思っているので、17時くらいには駅に着くと思います>
「わかった。気をつけて帰って来いよ」
そう言って、電話を切った。
声を聞くだけで、こんなに愛おしく感じる。
今すぐ会いたい。
「早く帰って来いよ」
つい本音が漏れた。
ーーーー・・・・ーーーーー
「はぁ……。疲れた」
長かったようで短かった合宿も終わった。
歌いすぎて、喉が痛い。
本当は、歌って喉が痛くなるというサインは良くない。使い方が良くない証拠だ。
こんなこと言ったら奏多さんに「まだまだだな」なんて言われそう、そんなことを思った。
早く帰って夕ご飯の準備をしなきゃ。
マンションの最寄りの駅から帰宅しようとした。
その時ーー。
「お姉さん、仕事探してない?」
私よりは年上に見える、男性に声をかけられた。
キャッチ?夜の仕事の勧誘?
この街で声をかけてくるなんて珍しいと思った。
ボストンバックを持っていたからか、上京したばかりだと思ってる?
「結構です」
冷たくあしらう。
すぐ諦めてくれると思った。
しかし
「良い仕事あるんだけど、どう?」
答えると余計面倒になりそう。無言でやり過ごそう。
「ねえねえ聞いてるー?一日五万くらいにはなるよ。どう?」
「……」
結構歩いたけど、まだついてくる。
しつこい。
「おい、聞いてるのかよ?ブスが調子乗ってるんじゃねーよ!」
私が無言のため、なぜか怒り出した。
ただの八つ当たりじゃないか。自分で勝手に声をかけてきておいて酷い話だ。
「うるさい」
合宿で疲れていたせいもあり、彼の態度にイライラしてしまった。つい反応をしてしまった自分に後悔をした。
「なんだって?」
彼は私の右腕を掴み、強引に引き止めようとした。
「やめっ」
手を振り払おうとした時ーー。
「やめろ」
聞いたことのある声。
私の腕を掴んでいる手を代わりに振り払ってくれた。
「奏多さん!」
「なんだテメー」
彼は奏多さんを見て、一瞬怯んだのがわかった。
なぜか奏多さんは、あまり変装をしていなかった。金髪の髪の毛を結び、サングラスをかけているだけの姿だった。
そんな人に「やめろ」といきなり言われたら誰だって驚くだろう。
関わると厄介だと思ったのか、男は舌打ちをして私たちから離れていった。
「なんであんなやつに絡まれてんだよ?」
「私だって好きで絡まれてたんじゃ……。なんで奏多さんがいるんですか?しかもそのカッコ」
「迎えに来てやった。帰るぞ」
私の荷物を奪うように持つ彼。
「ちょっ、自分で持てますよ?」
返してくださいと伝えたが、奏多さんは無言だった。彼の歩くスピードに必死について行く。
「あれ?今日は仕事じゃなかったでしたっけ?」
確か、今日は仕事で私より帰るのが遅かったはず。予定帳の中身を思い出す。
「休んだ」と一言。
「具合悪いんですか?」
奏多さんが仕事を休むなんて、私が知っている限り初めてだ。
コメント
1件
ふわぁ、かっこよすぎます🫶