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#ワンナイトラブ
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昨夜の、あの街灯の下での出来事が、呪文のように頭から離れない。
(「見てなきゃ、ダメ?」なんて…あんなの、反則だよ……)
結局一睡もできずに朝を迎え、私は重い足取りで出社した。
デスクに座っていても、誰かが後ろを通るたびに心臓が跳ね上がる。
高橋先輩の顔を、一体どんな顔で見ればいいのか分からない。
「……おはよう、結衣────じゃなくて…田中さん」
聞き慣れた声に肩が跳ねた。
やってきた先輩は、一瞬「結衣」と呼びかけてから
周囲に誰もいないことに気づいて「田中さん」と言い直した。
その声も、どこかぎこちない。
「あ、おはようございます、高橋先輩。……昨日は、ありがとうございました」
「いや……俺の方こそ。ちょっと飲みすぎたかな。…変なこと言ってなきゃいいんだけど」
先輩は後頭部をかきながら、視線を泳がせている。
(変なこと、だらけでしたよ……!)
と言えるはずもなく、私は「大丈夫です、覚えてませんから」なんて、自分でもわかるほど下手な嘘をついた。
先輩は一瞬、寂しそうな顔をした気がしたけれど
すぐにいつもの「ムードメーカー」の表情を作って自分のデスクへと戻っていった。
そんな私たちの微妙な空気感を、逃さず観察している人物がいた。
「あら? なんだか今日は冷え冷えしてるじゃない、お二人さん。もう倦怠期?」
美佐子さんだ。
彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、私たちの間に割り込んできた。
「美佐子さん。朝から元気ですね」
「ええ。あなたたちにぴったりのニュースを持ってきたからよ。今度の週末、部長の別荘で『部署合同の親睦バーベキュー』が開催されることになったわ。……もちろん、カップルの参加は必須よね?」
美佐子さんの目が、不敵に光る。
「……親睦バーベキュー、ですか」
「ええ。泊まりがけじゃないけれど、夜までじっくり親睦を深めるんですって。……楽しみね。田中さんの『献身的な彼女ぶり』、じっくり拝見させてもらうわ」
「もしボロが出たら……分かってるわよね?」
美佐子さんはそれだけ言い残すと、高笑いしながら去っていった。
「泊まりがけじゃないとはいえ…一日中、美佐子さんの監視下か……」
先輩が溜息をつきながら、私の方を見た。
「田中さん。……無理しなくていいよ。今からでも『喧嘩して別れた』ことにしてもいい」
先輩の言葉は優しかったけれど、私はなぜか、それが無性に悲しかった。
先輩を助けたい。でも、それ以上に───
「……嫌です。私、先輩の彼女役、続けたいです」
つい口から出た言葉。
先輩は目を見開き、驚いたように私を見つめた後、ふっと唇を緩めた。
「……わかった。じゃあ、作戦会議しなきゃね。…次は、もっと『本物』に見えるように」
先輩のその言葉が、演技の強化を指しているのか、それとも別の意味を含んでいるのか。
私は、ただ赤くなる顔を隠すために、必死にキーボードを叩くふりをした。