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翌日は創立記念日で飲み会だった。年に一度、社長が日頃交流のない社員を労いたいと、全社員をもてなす。現実には全社員が揃ったことはないが。
「楽しみですね、宇宙展」
馨のチームの大谷が言った。ビール瓶を差し出され、グラスを向けた。
今朝、宇宙展の依頼が文書で届き、正式契約となった。
「最近、ここまでの規模はなかったからな」
「打ち合わせ、同席させてもらってもいいですか?」
大谷は入社四年目で、今抱えている案件が初リーダー。仕事熱心で成長が楽しみだと馨が言っていた。
「ああ。けど、担当案件を疎かにするなよ?」
「はい」
「俺も同席したいです」
正面に座っていた沖が言った。
「えっ? じゃあ、私も!」と、田中。
「じゃあってなんだよ」
「すいません! ぜひ! 同席させてください」
「お前ら、まずは自分の担当をしっかりこなせよ。佐々課長、久々の現場復帰で張り切ってるぞ?」
課長は隣のテーブルで同期の総務課長と笑っている。
「そうなんですよー。早速、明日の朝一で進捗報告ですよ。今週は残業決定だな……」
「馨に甘やかされたか? ちょうどいい刺激だな」
先週から、仕事以外では『馨』と呼んでいる。俺たちの関係を印象付けるために。
「そうでもないですよ? 結構厳しいですよ、那須川主任」
田中の言葉に、大谷と沖がうんうんと頷く。
「笑顔でピシャリと突っ込んでくるんです。鳥肌立ちますよ」
「そうなのか?」
そういや、馨が部下を叱ってるところなんて見たことないな。
「俺、昨日マジで半泣きでした」と、沖が項垂れる。
「あれは怖かったですよね」と、田中。
「沖さんがきっかけだったけど、私たちみんなに向かって言ってたよね、絶対」
三人が苦笑いする。
一瞬、どよんと空気が重くなり、俺はタイミングよく店員が追加で持って来たビールを受け取った。三人のグラスに注ぐ。
三人はペコリと頭を下げ、グラスに口をつけた。
「何て言われたんだよ?」
「『その程度で依頼主を満足させられるなら、ある意味尊敬するわ』『ぜひ、その手腕を勉強させて欲しいわね』って……」と、沖。
へぇ……。
馨、そんなこと言うんだ。
そう言えば、給湯室で広川と話していた時の馨は、結構キツイことを言っていた。
「私たちのことを思って言ってくれてるのはわかるんですけど」
「安心しろ。佐々課長は笑顔でピシャリじゃなく、般若のようにドカンだ」
「それ、慰めにも励ましにもなってませんよ!」
「たまには熱く怒鳴られるのもいいぞ? 身が引き締まる」
佐々さんの怒鳴り声が思い出される。入社したばかりで仕事を甘く見ていた俺は、よく怒鳴られた。
『給料分働けないなら辞めちまえ! クライアントを満足させられなくて、お前は満足できるのか!!』
懐かしいな。
「気持ち悪いですよ」
背後から声がして、振り向く。
馨がビールを片手に冷ややかな目で見ていた。
「みんなで私の悪口?」
「いえっ! 違います!!」
その通りだと言わんばかりに、三人が慌てて否定する。
「ははは。お前がいい上司だって話だよ」
「はいはい」
俺はグラスを空にして、馨に向けた。トクトクトクと注がれる。
「あと十分くらいで副社長と専務がお着きになるようですよ?」
「ん? ああ……」
温厚で人望のある社長とは違い、副社長と専務は強引な手腕ととにかく厳しいことで社員に恐れられている。二人が現れたら、この和やかな雰囲気が一変するだろう。
けれど、俺はその二人が嫌いではない。
二人の実績は誰が見ても文句のつけようのないものだし、厳しいのは部下にだけでなく自分にもだから。
「馨、俺のそばにいろよ?」
「え?」
「俺たちの関係は副社長と専務の耳にも入っているはずだ。ちゃんと報告する」
「……はい」
昨日、佐々課長に婚約を伝えて、ようやく諦めたのか腹を括ったようだ。
「お似合いですよね、お二人」
「ん?」
「婚約を聞いた時はすごくビックリしましたけど、今は納得です」と、大谷が嬉しそうに言った。
「改めて、おめでとうございます」
「ありがとう」と、馨が先に言った。
「私は今でもビックリですよ。付き合ってることも気づかなかったし、プライベートの部長と主任が想像できません」
「そうか? 仕事の時とそんなに変わんねぇぞ? 俺は」
「主任は変わるんですか?」
「激変」
「マジですか? どんな風に?」
珍しく、沖が楽しそうに掘り下げてくる。
「勿体ないから教えない」
「変な言い方しないでください!」
馨が真顔で言った。
「そう言われると、余計に気になるんですけど」
「沖くん!」
「すいません……」
「盛り上がってるみたいね」
平内が手を振って田中と沖に場所を開けるように言う。二人は両端に少しずつずれて、間に平内が座った。
「何の話?」
「部長と主任がお似合いだって話です」と、田中が言った。
「あんまり言うと、馨が怒るわよ?」
「もう怒られました」と、沖。
「あはは」
平内は程よく酔いが回っているようで、顔が赤い。
「馨は素直じゃないから」
「同感だな」と言って、俺はうんうんとわざとらしく頷く。
「そこが可愛いんだけど」
「さすが部長、わかってますね。あ、空いてるグラスない? 私のどっかに置いてきちゃった」
「もう、可愛いって年でもないですけど」
馨は照れ臭そうに俺から顔をそむけた。
「はい! ちゅうもーく!」
平内の甲高い声が響く。会場の半分の視線が集まる。
「皆さんご存じの通り、槇田部長とイベント企画部の那須川主任が婚約しました! 槇田部長を狙ってた女性諸君、那須川に何かしたら部長と私が許しませんからねー」
主に男性社員から笑いが起こる。
「笑ってない男性諸君は隠れ那須川狙いでしょ! きっぱりすっぱり諦めてくださいね。馨にちょっかい出したら部長と私が許しませんからねーーー!」
今度は女性社員の笑い声。
「わかったら! 二人の幸せを願って、かんぱーーーい!!」と、平内がグラスをあげた。
「乾杯!」と、声を揃えたのはイベント企画部。
他の社員たちも後に続く。
「お幸せに!」
大谷が拍手をくれて、いつの間にか会場全体が拍手で満ちた。
「ありがとうございます」と、俺は笑顔で言った。
馨も恥ずかしそうに笑う。
気分が良かった。
これで、今夜馨を抱けたら最高だ。
「真由ったら、飲み過ぎ! もうっ! 恥ずかしいじゃない」
「いいじゃない! おめでたいことなんだから」
「けど――」
「そうだぞ。めでたいことはみんなで分かち合わないとな」
重みのある低い声に、俺と馨は揃って振り返った。
副社長と専務。
「お疲れさまです」と言った俺と馨の声が揃った。
立ち上がった俺と馨に、副社長は手を上下に振って座るように促した。
「お疲れ。息ぴったりだな」と、副社長が笑う。
副社長が社員の前で笑顔を見せるのは珍しい。社員たちの驚きの眼差しが集まる。
「話は聞いているよ。二人とも、おめでとう」
「ありがとうございます」と言って俺が頭を下げると、馨も続いた。
「これで槇田くんも今まで以上に仕事に身が入るだろう。楽しみだな」
「プレッシャー掛けないでくださいよ、副社長」
「期待しているんだよ。大口のイベントを二人で手掛けるんだろう? 公私混同はしないようにな」
「もちろんです」
「結婚式の予定は?」
「ええ。したいと思っていますが、先に籍を入れることになると思います」
『また勝手なことを言って!』
馨の心の声が聞こえるようだ。
言ったもん勝ちだ。
「現代の若者は我慢が足りないな」
「お恥ずかしい限りです」
「那須川くんは結婚しても仕事を続けるんだろう?」
「はい」と、馨が間髪入れずに返事をした。
「引き続き、よろしくお願いします」
「二人とも、これからも期待しているよ」
副社長と専務は上機嫌で席を離れた。
「で? いつ籍を入れるの?」
平内が聞いた。
「まだ、決めて――」
「俺はすぐにでもいいんだけどな」
「ベタ惚れですね、部長」
「当の本人は気づいてないけどな」
「馨は素直じゃないから」
「同感だな」と言って、俺はさっきと同じように、うんうんと頷いた。
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