「太宰……?」
目を丸くした男は其の名を呼ぶ。
中原中也が耳に当てている自分の携帯と、相手の携帯を通して、其れは籠もっているような音に変わり、相手の携帯から響いた。
まだ深夜である。
一つの事実を突きつけられ、彼は目を見開く。
中原中也は先程まで彼を探し回り、息が荒くなっていたにも関わらず、その光景を見た瞬間呼吸が止まった。
そして今この状況である。
手からすり抜けた携帯は、哀しい音を立てて地面に落ちた。
***
少し時間を遡る。
仕事終わりに俺は自宅でワインを嗜んでいた。
すると、机に置いた儘の携帯から着信音が響く。
(誰だ?こんな夜中に……)
少し顔をしかませる。
グラスを置いた俺は携帯を取って、開いた。画面には、二度と見たくないと志願していたものが映っていた。
大宰似のてるてる坊主の首に紐がかけられていて、“引っ張って♡”と 書かれているのだ。
(今度会ったら彼奴の首に紐かけて、マジで引っ張ってやる……)
眉間にしわを寄せながら、携帯を耳に当てた。
「何だ糞鯖、内容次第では即切るぞ」
怒りを帯びた声で、突き刺すような口調で云う。
然し携帯から聞こえてきたのは返事でもなく返って挑発でもなかった。
『はッ…はァッ……ぐッ、!ゔぁ…』聞こえたのは荒い息と呻き声。
不審に思った俺は「オイ 聞こえてるか?」と今度は相手に確りと聞こえる声で云う。
けれど相変わらず相手からの返事は無く、激しい吐息が耳に響いていた。
俺は声を荒げて「太宰手前!聞いてンの───
『助゙…け、で……』
「は……」思わず声が漏れる。
耳に入ったのは、絞り出したような声で云った太宰の言葉だった。
「……太宰?」
俺の言葉に太宰からの返事はない。
少しの沈黙の後、俺は舌打ちをして、
「あ゙ぁ!クソ…っ!如何なってンだよ!!」
声を荒げながら、俺は扉を開けた。
深夜。
歩行者は勿論、車すら通っていない真夜中に、青年の足音と荒い息が響いた。
青年───中原中也は、変わらず携帯を耳に当てていて、太宰治からの返事を待ち続けながら走っていた。
「オイ太宰!今何処に居ンだ 返事しろ!!」
俺の言葉に太宰からの返事はない。
それどころか先程までの太宰の荒い息も、“何かに苦しむような”低く響いた呻き声も、今となっては呼吸が止まったかのように、一切聞こえてこなかった。
本心の隠しきれない焦りと冷や汗を、怒りという舌打ちで誤魔化す。
『異能力!────汚れつちまつた悲しみに』
異能で変化させた重力が、赤黒い光を放って躰に纏わりつく。
俺は建物の屋上から屋上へと移動していき、一番高い処まで来ると、脚で地面を蹴って空気中に浮かび上がる。
前や後ろ、彼方此方に視線を回して、俺は太宰を探した。
(川にでも居るかと思ったが、多分其処じゃねェ……)
太宰の声を聞いた時、息は荒くなっていたが川の水などを吐き出していなかった。
何方かと云えば“何かに苦しんでいた”。
抑々彼奴が俺に電話をかけてくる義理なんてねェ。
(っー事は、彼奴は俺だと云う事が判らなかった……)
だが、あの人間離れした頭脳と記憶力を持っていながら、普通に間違えるのは可怪しい。
でも、あの時の彼奴は普通じゃ無かった。
荒い息と呻き声。
それに声の喉のかれさからして、薬物。か…其れに近い何かだ。
とはいっても、自殺愛好家と社会不適合者の肩書を持っている彼奴が、助けを求める筈がねェ。唯一の理由とすれば、自分と同じように周りの誰かが狙われた瞬間だ。
もしそうなるのなら、恐らく彼奴は俺に電話をかける予定は無かった。
探偵社の誰かにかけようとしてた筈だ。
それをしなかった───否、できなかった。
風が強く吹き出けるが、俺の躰は重力で覆われている為、髪も服も少しも動かなかった。
考えている最中もずっと探していたが、太宰は見つからない。
(太宰は、探偵社の方に戻ろうとした筈だ……其処まで遠くには居ない)
あれから五分経っている。
一見少なく聞こえるが、此方からしたら空から探している状態でまだ見つからないという方が可怪しい。
(店の中……は、流石にねェな。路地裏か?)
「クソっ…!マジで何処に……」
刹那、携帯から何かの籠もったような音が聴こえる。
太宰の声ではない。
此れは、
────車!!
俺は車を探し始める。
この時間帯で車が通るのは珍しい。
かつ、車の音が近くに聞こえたという事は、太宰が歩道近くにいる可能性が高くなった。
視界の隅で、黒い何かが猛スピードで動いた事を、俺は見逃さなかった。
***
地面に足をつける。
俺は携帯を落とした。
其処に居たのは、俺の知る太宰では無かった。
其処に居たのは──ボカボカの襯衣やら外套やらに身を包んで眠る、子供だった。
然しその子供からは太宰の面影を感じ、より一層冷や汗が頬を濡らす。
(此奴は……太宰なのか?)
疑う事しかできなかった。
然し、確実に俺に電話をかけてきたのは太宰本人。そして現に此のガキの側にある携帯は、俺の携帯に繋がれていた。
太宰が何時も着ている襯衣、靴、外套、ズボン。
正にその服は子供の小ささを表していて、そしてその子供が余りにも太宰に似ていて、本当に太宰が子供になってしまったかのような“さっかく”に陥った。
疑いながらも俺は、其れの決定打ともなり得る証拠がある事によって、“さっかく”を事実に変換することしかできなかった。
(けど、この場合何方に行けば良いンだ…?)
太宰は今探偵社に所属している。
そして俺が此奴を…しかも深夜に届けた所で、疑われるのは当然だ。
(子供だしな……)
一応太宰じゃない可能性もある為、俺は探偵社に届けるのを選択肢から外した。
(此奴がこんな姿になったのにはちゃんと原因がある……一回首領に相談しねェとな)
そう考えて、太宰をおぶろうと手を伸ばした瞬間、一つの疑惑が思い浮かび、ビタッと手を止めた。
「首領に…相、だん………」
思いたくもないし云いたくもないが、首領は重度のロリコンである。
「大丈夫だ…首領は幼女だけ……幼女、だけ…」
念仏のように唱え、頭に叩き込む。
変な汗が何処からともなく出てきて、ダラダラと頬を伝っていく。
願望。
其れだけはないようにと俺は願った。
「首領はロリコン…幼女好き…幼女だけ……幼女 …だけ……」
※彼は首領に確り忠誠を誓ってます。
『この服なんか如何かね?凄く似合いそうだ。一回着てみてくれないかい〜?』
想像でありながらも、フリルの服を持ちながら太宰にせまる首領の姿に何故かしっくりと来て、ビシッと石化したように、俺は動けなくなった。
もしこの通りになった場合、如何すればいいンだ……。
「否、首領は幼女だけだ。幾ら男で小さくて少し女子っぽくても────」
『私の許容範囲は十二歳以下だよ〜』
何処からともなく、首領の言葉が浮かび上がる。
発していた言葉が切れた代わりに、俺の脳内にOUTと書かれた手持ちプレートが出された。
ポートマフィアに連れて行くことを断念した俺は、仕方なく自分の家に連れて帰ることにした。
「はぁ……何で俺がこンなめに………」
そう呟きながら俺は太宰をおぶった。
「うぉっ…!」あまりの軽さに、少し力を入れて立ち上がった俺は、前のめりになって転びそうになる。
「危なっ……つーか軽すぎだろ此奴…」
(子供ってこんなに軽かったか……?)
視線を移すと、俺の肩に顎を乗せ、気持ちよさそうに寝ている太宰(子供)がいた。
本当に子供のようだった。
否、子供以外に見えるのが先ず可怪しい。
けれど太宰は────
『中也君』
霞がかった太宰の姿が見える。初めて会った時の太宰が。
あの時は二人共まだ十五歳で、互いにガキと呼び合っていた程子供。又は少年と言い包めても大差ない年齢だった。
然し瞼を閉じ、再び開いて俺の脳内に映るのは、
ヒトを莫迦にするような眼で、
然し何処か楽しそうに弾んだ声で。
彼奴は……太宰は────
『中也〜!』
───────俺の名を呼ぶ。
地べたに置きっぱなしの太宰の携帯と、脱げ落ちた靴を拾い、俺は家へと向かった。
コメント
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もう最高すぎるッ 毎回、神ですね!?