「っ……」
黒い膜が光に覆われていく。
少し重い瞼を、私はゆっくりと上げた。
「……此処は…」
見たことがある天上だった。
この部屋は、相変わらず嗅覚が使われる部屋だった。ワインの香りに少しの煙草の臭い。
何処か懐かしく感じた。
「ん……」
その声がした方へと視線を向ける。隣には、スヤスヤと眠る中也の顔があった。
思わず声を漏らし────
「ゔわあ゙!!」
声を張り上げて叫んだ私は、バシンっと痛々しい音を立てて中也の肩を叩く。
その行為に中也は一瞬眉をひそめたが、何事もなかったかのように、再び深い眠りに落ちた。
波打つ心臓の鼓動を抑えながら、自分の手のひらを見て、「久しぶりに反射で動いた……」そう呟いた。
今先刻私は、眼の前に嫌なもの怖いものが現れた時に思わず叩いたり何か反射的に攻撃してしまう……その状況に陥った。
冷や汗を拭き呼吸を落ち着かせる。
すると肩に少し冷たい空気が当たり、肌寒さを感じた。
(外套を着ているにも関わらず何故……)
そう思いながら私は自分の躰を見る。
言葉を失った。
まるで服が伸びたかのように、其れはダボッと私の躰を包み、その隙間からは空気が入ってくる。
そう…私は躰が小さくなってしまったのだ。
「…………」
奥の方にあった枕を引っ張り、ボフッと顔をうずくめる。
私は只々頭の中で、「最悪」と呟いていた。
この躰になった原因は、恐らく謎の男に刺された注射器に入っていた毒によるものだろう。
私がこんな姿になっているということは、これは異能ではなく人工物。
人間というものは、偶に妙なものを作る……。
兎も角。
「私をこんな躰にさせたんだ…お礼はきっちりしないとね……」
うふふっ…と笑みをこぼす。
にしても疑問だ。何故普通の毒ではなく、幼児化の毒にしたのか……。
只単にあの男がショタコンなだけ?
否…その可能性は流石にない。なら矢張り狙いは探偵社?
だが探偵社なら尚更────
「んー…」
視線を横に移すと、中也が寝返っていた。
(中也がここに居るって事は、私が電話をかけた相手は中也………ハッ!)
私はある事に気付き、再び枕に顔をうずくめた。
(最悪最悪最悪最悪最悪最悪!中也にあの声聞かれた!!ていうかこの姿も見られた訳じゃん!最悪うッッ…わ!最悪!!)
恥ずかしさが上回り、顔が熱く感じる。
(ほんと最悪…!しかもなんで中也なんかに…中也、中也……)
ふと、一つの疑惑が浮かんだ。
「嗚呼そうか、中也か。もしそうなら……」
中也の方を向く。彼は幸せそうに眠っていた。
────取り敢えず一発殴ろう。
私はそう心に決めた。
「イ”っ!!」
背中をさすりながら、中也は勢い良く起き上がる。
彼方此方見渡したあと、隣に私が居る事に彼は気付いた。
「おはよう中也」私はひらひらと手を振る。
「手前か…俺の背中殴ったの……」
「正解☆」
其の言葉に、中也はより一層不機嫌な顔をする。
然し小さく息を吐いて平然とした表情に戻った。
「手前、矢っ張太宰だったんだな」
ベットの上であぐらに座り直した中也は、膝の上に肘を置き、頬杖をかきながら云った。
「あれ?知らないで連れてきてくれたのかい?」
「そりゃあ子供の姿だったら誰だって本人か疑うだろ」
溜め息混じりの声で云った中也に「それなら尚更聞きたいね、本当に私か如何か判らなかったのに何故…しかも自宅に連れてきたのさ?」
「一応傍に手前の携帯が落ちてたし、何かあったってのは確実だったからな…家に連れてきた理由は……あー、えっと────」
中也が視線を横にそらす。
中也の事だから森さんにでも相談するかと思ったのに……ん?森さん?
「あー…森さんか、」
「ぐっ……」中也の表情が変わる。
「図星だね」
そう云うと、中也は少し気不味そうに「否…別に首領の所為じゃねェけど……その、」どんどん言葉を濁していく。
「森さんは重度のロリコンだからねぇ…今の私は危険と思ったのかい?」
中也はそっぽ向いて、小さく頷いた。
「気遣ってくれたのは有り難いけど、結局私は森さんに会いに行かないといけなくてね」
「何でだ?」
「説明するより見た方が疾いよ」
中也の手を握る。
「ッ、手前っ……!急に何して…」
「はい、それじゃあ中也、異能つかって」
「はぁ?何で異能「いいから」
中也の言葉を遮る。
沈黙。
中也は長い息を吐き、私の手に少し力を入れた。
その瞬間。
上から内蔵が潰されるような圧迫感を感じる。
否、違う。重力だ。私は今、重力に押しつぶされかけているのだ。
骨が鋭く軋む。
肺が圧迫され、呼吸を阻害される。息を吐き出すことさえ苦しかった。
私は呻りながら中也の手を強く握り、声を絞り出す。
「……中゙、也……」
中也が一気に顔色を変える。
その瞬間、重力による圧迫が収まった。
私はうつ伏せになった躰をゆっくりと起こして、喉に触れながら咳き込んだ。
「ゲホ!ゲホッ……はぁ…はぁ……っ!ゲホゲホッ!」
息を整え呼吸をするが、何かに突っかかり再び咳き込む。それの繰り返し。
「太宰、お前……」中也が目を見開く。「異能がつかえねェのか…?」
息を整え、中也の方に顔を向ける。私は苛立っていた。
一秒とも満たず一瞬と区切っても良いような短さにも関わらず、子供の躰をしている私に、あれ程の重力をかけたからだ。
私は声を荒げる。
「一寸中也!何時私が異能で押し潰せと云ったのさ!?」
「はぁ…!?手前が異能つかえっつったンだろ!」
「云ったけど其れは私を浮かせてって意味!!」中也が黙り込む。
私は大きく溜め息をついて云った。「こんな子供にあれ程の重力をかけて…死ぬかと思った…」
「否、手前死にてェんだろ?」
中也の其の言葉が私の苛々を募らせる。
「知ってると思うけど、私は痛いのも苦しいも嫌いなんだ、君の重力で殺されるなんて御免だね」
「矛盾してるだろ……でも死にてェ…あっ、なる程な」
そう呟いた中也はベットから離れ何処かに行こうとする。
私は中也の服を掴んだ。
「…んだよ、手ェ放せ」
そう云う中也の服を軽く引っ張る。「何処行く気?」
「ナイフ取りに行くンだよ」
「ナイフ?何故急に?」
「重力が駄目ならナイフだろ? 安心しろ、なるべく楽に死なしてやる!」
まるで自分が佳い事を云っているかのような口調で、中也は笑顔で云った。
「一寸待った」
「なんだよ?」中也は首を傾げる。
「否々、今そんな事してる場合じゃないから」
「はぁ…?今なら簡単に手前の事殺せる絶好の機会じゃねェか」
「いやそうだけど……」
はぁ…と大きく溜め息をつく。
「いい、中也?私がこんな姿になったのには君にも責任が────」
瞼を開けると、中也が廊下の方へ歩いていっている。
「だから待てと云ってるだろう…!」
私は声を張り上げて、近くにあった枕を中也の背中に投げた。
「佳いかい中也、今はこんな茶番をしている暇はないんだ」ベットの上に座り、中也と向かい合いながら云う。
「それで、犯人の目星は付いてンのか?」
「大体はね。それに狙いも判った」
其の言葉に「何だ?」と聞き返してくる中也に、私は云った。
『狙いは────私達だ』
「………は?」中也が声を漏らす。
この反応が普通だろう。何故ならそう話す私は今、子供の姿になっているのだから。
「……色々聞きたいことはあるが後にする」
中也はそう云った後、その透明な瞳に私を映す。「それで?何が必要だ?」
其の言葉に私は薄い笑みを浮かべた。
「横浜全体でポートマフィアに対して、少しでも敵視している、又は警戒している……その組織の凡ての情報だ」
ベットに倒れるように横になり、かけ布団にくるまって二本の指を立てて中也に云う。
「其れとそのどれかの組織で医療、又は研究 関連の功績・技術が一番高い組織の情報」
そしてもう一本、指を立てて三を表す。
「後は私の“護衛”だ」
中也は一瞬顔をしかませた後、不機嫌そうな口調で云った。
「ソレに何で手前の護衛が要ンだよ」其の言葉に私は少し眼を丸くする。
「それは……」
眼を細め、小さく笑みを浮かべた。
『明日のお楽しみさ!』