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その夜、
屋敷は深い静寂に沈んでいた。
イチは
与えられた柔らかな寝台に身を横たえながら、
目を閉じることができずにいた。
暗闇に
天井の輪郭だけが淡く浮かぶ。
――ここは、違う。
目を閉じれば、
あの森の匂いが
ゆっくりと思い出される。
湿った土。
葉の擦れる音。
小さな焚き火のはぜる匂い――
そして、
エリオットの
弱い呼吸の音。
胸の奥に
かすかな圧が生まれる。
その感情に
名前はない。
けれど、
“欠けた何か”が
静かに疼くのを
イチは確かに感じていた。
(……あの音が、ない)
耳の奥が
じん、と疼く。
彼が眠る時、
かすかに聞こえていた
浅い呼吸。
今は
――どこにもない。
イチは
身を起こし、
窓辺に寄った。
外はまだ暗い。
星が遠くに瞬く。
風もない。
触れた窓ガラスは
ひんやりとしていて、
イチは手を置いたまま
目を閉じる。
胸の奥で
何かがひっそりと揺れた。
――ここにいない。
声なき呟きが
胸の底に沈む。
気づけば
胸元を掴んでいた。
苦しい、とは少し違う。
名前のない痛み。
ただ――
どこにも行き場がなかった。
どれだけ待っても
扉は開かない。
足音は戻らない。
イチは
再び寝台に戻り、
膝を抱える。
眠れない時間が
ゆっくりと
夜を削っていった。
――天井が白む頃、
ようやく
イチは目を閉じた。
けれど眠りは浅く、
意識は
ふとした音に揺れては
すぐに戻ってきた。
無意識に
名前も呼べない
その人を
探していた。