渋っている間に気持ちが変わるかもしれないので、翌日の日曜日、私は尊さんの車に乗せてもらって上石神井へ向かった。
有料駐車場に車を止めたあと、私たちは傘を差してゆっくりと歩き出す。
上石神井は都心に比べると高い建物が少なく、住宅地がメインだ。
団地もあり、学校もあるし、場所によっては畑もある。
コンビニやスーパーもあるし、駅周辺には飲食店もある。けれど他はこれといって目立つものはなく、のどかに過ごせる所だ。
私たち家族が住んでいた賃貸マンションは、駅から南側にあるエリアだ。
懐かしい風景を前にした私は、表情を強張らせて言葉少なになっていく。
かつての家に近づくにつれ、次第に足取りが重たくなっていった。
「……大丈夫か?」
「……ん……」
私は尊さんに声を掛けられてもそれしか答えられず、重たい足を動かす。
泣きたくなるほど懐かしい。
小学生当時の友達と、この通りを走ったのを思い出す。
習字教室にも通っていて、私は飛び級になるぐらい素質があったらしいけど、いつもふざけてばかりで先生に怒られていた。
『中学校に入ったら書道部に入ろうかな』と思っていたのも思い出す。
中学生は〝お姉さん〟に思えて、小学校を卒業したら自分たちが〝変わる〟ように感じていた。
小学校の校庭で駆けずり回っていた私は、球技や縄跳びが得意だった。
通学路にはいつも見守りのおばさんがいて、一度車道に飛び出しかけた時は怒られたっけ。
学校から帰ったら習い事や塾があったけど、放課後になると一気にテンションが上がった。
大きな通りを走り抜けて、角を曲がったところに――。
「……………………」
マンションの外観を目にした私は、その場に凍り付いたように立ち尽くした。
大して歩いた訳じゃないのに、呼吸が乱れてくる。
『朱里! 忘れ物!』
学校に行こうとしたら、五階のあのベランダから、母が私に声を掛けた。
家は2LDKで、カウンターキッチンのある十畳ぐらいのリビングダイニングに、六畳と四畳の部屋があった。
大きい部屋は夫婦の寝室で、もう一つの部屋は私の部屋になっていて、学習机やカラーボックスに入れられた漫画、子供用ベッドがあり、当時好きだったアイドルのポスターもあった。
……そうだ。私、子供の頃は男性アイドルが好きだった。
でも、色んなものに対しての興味が、いっさいなくなってしまったんだ。
習字も辞めたし、当時仲が良かった友達とも遊ばなくなった。
友達は心配して毎日のように迎えに来てくれたけど、私は閉じこもって自分の世界に籠もり、誰かに対応できる状態じゃなくなった。
両親は仲のいい夫婦で、父は写真を撮るのが好きだった。
一眼レフで撮影するのが好きで、家族の写真を沢山撮り、休日は公園に行って、花や草木、空、街並み、色んなものを撮っていた。
リビングには、小さな賞に受賞したという夕焼けの写真が飾ってあって――。
私は、父の撮る写真が好きだった。
父が見る世界はとても優しくて、自分もいつかそんなふうに世界を切り取ってみたいと思っていた。
『写真を教えて』って言ったら、一眼レフは高価だからか、比較的安価なデジタルカメラを買い与えてくれたっけ。
それで私は、父のような優しい写真を撮りたくて、沢山写真を撮った。
……けど、子供だから飽きっぽくて、すぐカメラへの興味を失って友達と遊び耽っていた。
私はカチカチと歯を鳴らし、涙を流す。
ゆっくりとその場にしゃがみ込むと、通行人がチラッと私を見た。
「朱里、大丈夫か?」
私はグスッと洟を啜り、震える手で尊さんのTシャツを掴む。
「友達が羨ましかったの……っ」
私は涙で崩れた声で言い、目から涙をポロポロと零す。
「夏休みを前にして、みんな田舎に帰省するとか、国内、海外に旅行に行くとか、楽しそうに予定を口にしてた……っ。だから、私っ、――――お父さんに『自分も旅行に行きたい。どこかに行きたい』って我が儘を言ったの……っ。~~~~っでもっ、『忙しいから無理だ』って言われて……っ、それで……っ、私……っ」
私は――、大好きな父に罪深い事を言ってしまった。
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