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影の視線

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影の視線

2 - 優しさの仮面

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2025年05月27日

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小雨が降っていた。


しとしとと、静かに、優しく、けれど確かに体温を奪っていく細かな雨粒。

空は一面の雲に覆われ、灰色のフィルターが街を鈍く包んでいた。

光を反射したアスファルトは冷たく濡れ、信号の赤や青が水たまりに滲んで、まるで現実が夢の中のようにぼやけている。


スタジオでの練習を終えた直弥は、手提げのバッグを肩にかけたまま、建物の前に立ち尽くしていた。

傘は持っていなかった。

朝は晴れていたはずだ。

予報も確認しなかった。

薄手のパーカーのフードを深く被り、雨粒から逃げるように足を踏み出す。

湿った空気が頬にまとわりつき、冷気が襟元から忍び込んだ。


夜の街は、どこか静まり返っていた。

車のタイヤが水を切る音と、遠くから聞こえるクラクション。

人影はまばらで、誰もが足早に帰路を急いでいる。

けれど、直弥はその雑踏の中で、また、感じていた。



――視線。



交差点の反対側、閉まりかけのコンビニの前。

建物の陰。

何気ない通行人の顔の向こう側。

確信にはならないほど曖昧で、けれど振り払えない感覚が、喉元をじっとりと濡らす。



(また……だ)



じわりと指先が冷えていくのは、雨のせいだけではなかった。


最近の直弥には、“偶然”とは思えない出来事が重なっていた。最初は気のせいで済ませた。

でも、それは次第に薄く滲んだ染みのように、日常を侵食し始めたのだ。


帰り道を変えても、どこかから視線が追ってくる。

夜道を歩けば、後ろから足音がついてくる。

駅のホームでは、数メートル先からレンズを向ける誰かの姿がある。

シャッターの音すら聞こえない。

けれど、確かに“見られている”のだと肌が訴える。


プレゼントも、増えていった。


最初は、楽屋のロッカー。

次は、練習スタジオのドアノブ。

しまいには、自宅マンションの郵便受けの中に。


ラッピングされた小さな箱、封筒、香りのするカード。


《頑張ったね。今日はよく眠れるように、ラベンダーを添えて》


――手書きの文字。

整った字。

綺麗な直線と、柔らかなカーブ。


心がざわついた。


なぜ、こんなにも知っている?


直弥がどんな香りを好み、どんなスケジュールで動いているのか。

今日どの振り付けに苦戦していたか、声が少しかれていたこと。

誰にすら言っていない、たった一言の独り言さえも、誰かの手の中にある。


(これ、普通じゃない)


けれど、誰にも言えなかった。

この恐怖を誰かに打ち明けるには、確信がなさすぎる。

笑われたくなかったし、誰かを巻き込みたくもなかった。

マネージャーに話しても、きっと最初は気のせいだと受け流される。

仲間には……言えなかった。

言ってしまった瞬間、日常の何もかもが崩れてしまいそうで。


だから、ただ、黙っていた。


スタジオでは、いつも通りの空気が流れていた。

音楽が鳴り、鏡の前でステップを踏む仲間たちの笑い声が響いていた。

その中心にいるのは――永玖。


端整な顔立ちに柔らかな笑顔。

誰にでも平等に接し、誰からも慕われていた。

その存在は、安心感と信頼の象徴だった。

今日も、彼は変わらず、明るい声で周囲を笑わせていた。


「なおや、最近ちょっと元気ないんじゃない?」


突然の問いかけに、直弥は肩を跳ねさせた。

永玖が、すぐ隣に立っていた。

まっすぐな瞳が、真剣にこちらを見つめている。


「無理してない? 悩みがあるなら言ってよ。俺、頼りにされたいし」


(まさか……)


喉元まで込み上げた疑念は、言葉になる前に飲み込まれた。

永玖の笑顔は、いつもと変わらない。

けれど、どこか――ほんの少し、違和感があった。


その目の奥に、何かを押し殺すような深さがある気がした。

穏やかで、優しくて、それでいて……底知れない。


その夜、直弥は部屋の明かりもつけず、真っ暗な中でスマホを握っていた。

画面に浮かぶのは、自分だけが使っている鍵付きアカウント。

誰にも教えていない。

友達にも、メンバーにも。


そこに、そっと呟きを投げた。


《誰にも言えない不安がある。誰か、助けて》


ほんの3分後、通知が鳴った。


《僕は知ってる。君の不安も、孤独も。全部、そばで見てきた》


背中に冷たいものが走る。

この文体。

このリズム。

静かに囁くような、けれど心の奥まで突き刺すような文面。

直弥は、それを既視感として感じていた。


永玖の声に――似ている。

話し方の癖。

言葉の選び方。

句読点の位置さえも。

今まで気づかないふりをしていた。

でも、今はもう、目を逸らせなかった。


(まさか……永玖が……?)


胸が締めつけられるようだった。

信じたくなかった。

けれど、心の奥に根を張った疑念は、静かに広がっていく。


――まるで、永玖は最初から、すべてを知っていたのではないか?


直弥はスマホを胸に抱き、ベッドの端にうずくまった。

暗闇の中で、時計の秒針だけが規則的に音を刻む。

その音が、まるで誰かの足音のように感じられた。







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