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「どうします?」
猿渡が聞いてくる。
石倉は時計を見た。胎児が眠りについてからちょうど20分が過ぎていた。
胎児が1時間以内に起きたことは今までなかった。
少なくともあと40分はある。
「手分けしよう。俺は家具の山をどける。猿渡は隣の部屋から壁に穴をあけてくれ」
「わかりました」
石倉は医師1人と田所に手伝ってもらい家具をどけていった。
猿渡は工具を使い隣の部屋の壁を破壊していく。
「綿貫さん!聞こえますか!聞こえたら返事をしてください!」
「……綿貫さん!……綿貫さん!」
梨沙は名前を呼ぶ声に目を覚ました。
ハッと我に返る。
天井が見える。
首を巡らせて部屋をうかがう。
手足が動かない。
ベッドに固定されている。
梨沙は思い出す。
……そうだ。
お腹の子供に操られ、梨沙は自分で自分をベッドに縛りつけたのだった。
梨沙が知りもしない結び方できつくベッドと固定されてしまっている。
暴れても結び目は全く解けそうにない。
視線を下に向けるが、自分の足が全く見えなかった。
お腹がはち切れそうな大きさになっていて視界をふさいでいる。
その時、強烈な痛みが梨沙を襲った。
耐えられず、うめき声が出る。
「綿貫さん!」
外から石倉の声がする。
「……ここ……ここにいます!」
梨沙は必死に呼びかけに答えた。
表では石倉達が家具を半分ほどどけ終わっていた。
ようやくドアが少し見えてきている。
猿渡が隣の部屋から飛び出してきた。
「壁に穴があきました!」
石倉は隣の部屋に急いだ。
ゴルフボール大ほどの穴が壁にあいている。
覗き込むと薄暗い部屋の中にベッドに縛り付けられている梨沙が見えた。
「……私はここです」
梨沙の悲痛な声がした。
だが、すぐに陣痛に襲われたのか、うめき声に変わった。
「どうしますか」
猿渡がそう言ってホルスターに入った拳銃を示してくる。
穴は銃弾を狙って撃ちこめるくらいの大きさはあった。ただし梨沙にだが。
「……ギリギリまで待て」
できれば梨沙を救いたい。石倉の切なる願いだった。
「俺はここで待機します」
「そうしてくれ」
石倉は猿渡を残して表に戻った。
タイムリミットは残り20分を切っていた。
ようやくドアが露わになった。
石倉は鍵をバールで破壊してドアを押し開けた。
だが、部屋の中にもバリケードが作られているらしく、ドアは数センチしか開かなかった。梨沙の姿はくっきりと見えるが手出しは一切できない。
あと10分。万事休すか。残る手段は……。
「田所さん、彼女でも注射は打てますか?」
石倉は、後ろで息を整えていた田所にたずねた。
「えぇ、まぁ。指示を出せば可能かと」
「注射器をください」
石倉は田所から注射器を受けるとバックに小型ナイフと一緒に入れた。
「綿貫さん、今から大切なものを投げます。必ず受け取ってください」
「わかりました」
石倉は何度かタイミングをはかって、ドアの隙間からバックを梨沙に向けて投げ込んだ。
バックは梨沙の胸のあたりに着地した。
「そのバッグの中身を手に入れてください」
石倉はそういうと、ドアの隙間から中のバリケードをどかす作業を急いだ。
梨沙は必死に手を動かしたが縛られた手ではバックに届かない。
身体をよじってバックの位置を動かそうとした。
左に身体を傾けると左手の近くにバックが落ちてきてくれた。
震える指を伸ばして袋の中から小型ナイフを取り出す。
自分の手首の方に刃を向け縄をのこぎりの要領で切っていく。
すぐに縄は切れた。
梨沙はもう片方の手も自由にしてバックの中身を探り注射器のキットを手に取った。
「どうすればいいですか?」
梨沙は石倉にたずねた。
ドアの隙間に石倉の代わりに田所が顔をだした。
「まずお腹をアルコール消毒してください」
梨沙はキットからアルコール消毒用の綿を取ってお腹を拭いた。
「終わったら、注射器の針の蓋を取ってください」
梨沙は指で慎重に針の蓋を外す。見たことがない長さの針があらわれた。
「その針をお臍から下3cmくらいのところに差し込んでください。必ず針は根本まで押し込んでください。お腹の中の胎児に直接薬を注入するためです」
「綿貫さん。次に胎児が起きればもうチャンスはありません。お願いします」
梨沙は注射器を握りしめ、大きく振りかぶった。
……だが、振り下ろせなかった。
頭では、お腹の中に宿っているのは化け物だとわかっている。
でも、我が子を殺すような感覚になるのはなぜなのか。
涙が溢れてくる。
やらないといけないのに覚悟ができない。
「綿貫さん!ためらったらいけません!打ってください!」
「あぁぁぁぁ」
梨沙は叫び声をあげ注射器を振り下ろした。
だが、寸前で打ち込めなかった。
石倉にとっても想定外だった。梨沙が躊躇するとは思わなかった。
その間も石倉は家具をどかす手は止めなかった。
もう少しで身体をねじ込める。
梨沙は注射器を握りしめたまま涙を流している。
石倉が家具を蹴り飛ばすとバリケードが大きく崩れた。
ドアの隙間に身体をねじ入れテコの原理で隙間を広げ身体を部屋の中にねじ込んだ。
石倉は、急いで体勢を整えると、ベッドに駆け寄り、梨沙の手から注射器を奪い取り、お腹に突き立てた……。
しかし、注射針が梨沙のお腹に刺さることはなかった。
あと数ミリのところで針の先が停止している。
石倉は顔や腕を震わせて必死に針を前に進めようとしているが、見えない力がそれを阻んでいた。
ピピピピ……。
胎児の心拍は170を超えアラームが鳴っている。
眠りについてから55分。
早すぎる。
間に合わなかったのだ。
梨沙の一瞬の躊躇が運命の分かれ道だった。
胎児が目を覚ましてしまった。
その時、梨沙は激しい腹痛に襲われ声を限りに叫んだ。
今までの比ではない痛みだった。
「……猿渡!撃てッ!」
猿渡は梨沙に向かって弾丸を撃ち込んだ。
だが、梨沙の頭に向かって突き進む弾丸は、またも空中で動きを止めた。
そして、180°回転すると、猿渡に向かって同じスピードで戻っていった。
弾丸は猿渡の脳天を貫くと、高速で部屋を飛び回り軌道を変えて、逃げまどう医師2人の頭を撃ちぬいて、呆然と立つ田所の口から脳を貫いて天井に突き刺さった。
梨沙のお腹の中で胎児が暴れていた。
外にでようとしている。
お腹が何度も盛り上がって、その度、えぐられるような痛みが梨沙に襲い掛かった。
(助けて!もう殺して!)
梨沙は何度も心の中で叫んだ。
バキン!
部屋に鈍い音が響き、注射器を持つ石倉の右腕があらぬ方向に曲がるのを梨沙は見た。
石倉の絶叫が部屋に響いた。
続いて石倉の身体が宙に浮きあがった。
首をロープで絞められて持ち上げられているかのように石倉は首を何度も爪で引っ掻いた。首筋に爪痕で血がにじんでいく。
呼吸ができず、みるみる顔が赤黒くなっていく。
バキン!今度はバタバタともがいていた左足があらぬ方向に折れた。
石倉の口は叫び声をあげようとするかのように開いていたが、もうその力が残ってないないのか、「あぁ」と力ない息が漏れただけだった。
バキン!バキン!左腕、右足も小枝を折るようにあっさりと粉砕された。
石倉の身体は糸でつられたマリオネット人形のような格好で空中に浮かばされた。
石倉の口から血がポタポタと垂れている。
梨沙は再び声を限りに叫んだ。
その瞬間、梨沙のお腹から何かがズルリと出た。
………キィエエェェェェェェェェッ!!
梨沙と石倉はこの世のものとは思えない奇声を聴いた。
その声は、脳を直接揺さぶり吐き気を催すほど不快な悪魔の”うぶごえ”だった。
梨沙の意識はショックと痛みで遠く彼方に飛びかけていた。
視界がぼやけ揺れる。
すべての音が遠くに聞こえる。
梨沙が最後に見たのは石倉の頭がグシャリとおかしな方向にへし折られる光景だった。
そして梨沙は意識を失った……。
……目覚めると梨沙は真っ暗闇の中にいた。
日が落ちたらしい。
血のニオイが部屋中に充満していた。
どれくらいの時間が経ったのか。
お腹は刃物でかき回されたように痛い。
呻き声をあげそうになるのをこらえた。
足元を見ると大量の出血の跡があった。
その血の上を何かが這っていった跡がある。
血の跡はベッドの下に続いている。
梨沙は震える手で近くにあった小型ナイフを拾った。
生まれた子を野放しにするわけにはいかない。
自分の手で始末をつけなければ。
私のせいで石倉達まで死んでしまった。
梨沙はベッドから転げ落ちた。
血の跡はベッドを回り込んで進んでいる。
梨沙は血の跡を這いずっていった。
(殺さなきゃ……殺さなきゃ……私が殺さなきゃ……)
梨沙は何度も何度も念じた。
ベッドを回り込むと子供がいた。
血の海の中に突っ伏している。
髪の毛はほとんどなく青白い身体には細い血管がいくつも見えている。
手も足も驚くほど小さく弱々しい。
これが私の身体から生まれたのか……。
子供は全く動かない。
眠っているのだろうか。
梨沙は音を立てないように近づいていき、小型ナイフを振りかぶり、今度は迷わず突き立てた。
一度、二度、三度。
刺すたび、とめどなく涙が溢れた。
化け物だとしても自分の身体から産み落とした子を手にかけてしまった。
梨沙は心が引き裂かれる思いだった。
ぐったりとなった子供の身体を抱きかかえる。
「ごめんね……ごめんね……ごめんね……」
涙はとめどなく溢れてきた。
キィエ ……。
その時、あの声が背後から聞こえた。
キィエエェェ ……。
まただ。
手の中の子供の遺体はいつの間にか空気が抜けたように萎んでいた。
これは抜け殻……?
トトトトト…。
梨沙の背後を”それ”は横切って行った。
後ろを振り返れなかった。
死んでなどいなかった。
”それ”は生きていた。
嗅いだことのないような生臭いニオイがした。
梨沙は背後の”それ”に気づかれないよう這いつくばったまま前進していった。
再び涙が流れた。今度は恐怖の涙だった。
トトトトト…。
”それ”は梨沙の後ろを徘徊している。
どうか気づかないで……。
梨沙は慎重に一歩ずつ這いずって前に進んだ。
音を立てないようバリケードの残骸を乗り越えて部屋の外へ這いずり出た。
“それ”は気づいていない。
梨沙は息継ぎの音も止めて、壁を支えに立ち上がり、廊下を慎重に進んだ。
ズキンズキンと重たい痛みが腹部にある。
少しでも気を抜けば意識が飛びそうだ。
梨沙は最後の力を振り絞って一段ずつ階段を降りていく。
玄関が見えてきた。
ドアは半開きになっている。
(早く出たい!この家から出たい!)
梨沙は今ほど家の外に出たいと願ったことはなかった。
神様……もう家に閉じこもったりしません……。
だから、どうか、この家を出させてください…。
梨沙は心から祈った。
玄関まであと5歩、4歩、3歩、2歩、1歩……ドアに手がかかった。
梨沙は家のドアを押し開け、外の新鮮な空気をおもいきり吸った。
外に出られた……私は生きてる……私は生きてる……。
キィエエェェ ……。
声が梨沙の耳元でした。
「いやぁぁぁぁぁ!」
梨沙は全力で表に逃げようとしたが、”それ”は家の中に梨沙を引きずり込んでいった………。
岡部修一は助手席の女を蹴飛ばしたい衝動をこらえるのに必死だった。
岡部の金を使ってさんざん好き放題しているくせに、帰りが遅いだの、あの女は誰だなどくだらないことをキャンキャンうるさく騒ぐ。
何もかもうんざりだ。
最近、事業の方もさっぱりうまくいかない。
新規事業が失敗続きで、投資先からも見放されかけている。
(こんな時、彼女がいれば……)
自分勝手だとは思うが梨沙といた時の岡部は何もかも順調だった。
その時、岡部は、通りにベビーカーを押した女性の姿を見かけた。
岡部は目を奪われ慌ててブレーキをかけそうになった。
(梨沙?まさか……。ベビーカーって子供が生まれたのか?)
慌ててサイドミラーで確認したが、もう梨沙らしき女性の姿は見えなかった。
前方に向き直ると、助手席の女の顔がすぐ真横にあった。
「なんだよ……ビビらせんなよ」
すると、女がいきなり車のハンドルを思い切りつかんで回した。
「おい、なにす……」
車は激しく横転し車体パーツをまき散らしながら何回転も転がって止まった。
気がつくと岡部はシートベルトに引っかかって逆さ吊りになっていた。
身体中が痛む。目に血が入ってよく見えない。助手席の女は死んでいた。
一体何が起きたのか。
女は急に気でもふれたのか。
岡部はシートベルトを外して降りると、割れた窓から這いずって外に出た。
事故を目撃した野次馬が集まってきていた。
(ふざけやがって。人の不幸がそんなに楽しいか)
岡部は内心を押し隠し言った。
「……おい、救急車…呼んでくれ」
しかし、誰も答えず、ただ岡部を見下ろすだけだった。
「……おい!お前らケガ人が見えねぇのかよ」
群衆はぬらりと動き出した。
ガラス玉のような無機質な目つきで、じわりじわりと岡部との距離を詰めてくる。
ある人は落ちていた大きな石を拾い、ある人はバッグからハサミを取り出した。
岡部がその異様さに気づいた時にはすでに手遅れだった。
「なにすんだ……おい!…やめろ!やめてくれぇぇ……」
岡部の断末魔の叫びは群がる群衆の壁にかき消された。
岡部に群がる群衆を背後に、鼻歌を歌いながらベビーカーを押す女の姿があった。
「……悪い子」
女はベビーカーの子供にフフッと笑いかけた。
「キャッキャッ…キィエエェェ ……」
ベビーカーから奇妙な笑い声が答えた。