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【拾漆話】
「心中とは馬鹿馬鹿しい話だな。追い詰められても共に生きよう!とこう
弱る女を励ましてだな。活路を導くべく動くのが男ってもんだろうがよぉ!
そもそも奴ぁこの遙さんに惚れてたんじゃねぇのか?」
俺はどうも恋愛ごとになると夢見がちな言葉を吐くらしい。そう六華に笑われた事があったな。
理屈に合わないこの状況と写真を不用意に曝してしまった自分に
心底腹が立ち、喉の渇きを癒す為に何度も茶を飲んだ、半分は只の八つ当たりだ。自分の所為で志津子さんはあのまま床に伏してしまったのだ。
湯飲みが空になる度に青ざめた遙さんが彼の湯飲みに茶を注ぐ為に動いた。
「憧れの君が手に入らないなら手に入る女と死のうなんてどう云う理屈だよ。どんな理由にしろ女と一緒で無いと動けなかった何て男の腐ったような奴だな!」
「あ、正解。腐ってました。男。」
「あん?」
障子が開き、俺を指差しながら日下部は部屋に入って来ながら非常に物騒な事を非常に明るい声で云った。
俺はチラリと遙さんの顔色を見た。
「お、お前、ちょっと自重しろ。ここは署じゃねぇんだぞ!被害者と馴染みの人が――」
「あ、そうか――そうですね――場所、変えて――」
「私は――気にしていませんよ。大丈夫ですから。」
そう云いながらも今だ青ざめた顔。先程野々村が無神経にも彼女にその死体の写真を見せたのだお陰でこの反応がグロテスクな写真を見た名残で青いのか、それとも腹の底では悲しんでいるのか分かりかねた。
死体はここの使用人と彼女に言い寄っていた男だったのだ。
「これが何とも気持ちの悪い話でしてね――」
話を切り出そうと云う日下部を手で制した。
「ここでそんな話をする訳にいかんと云ってるんだ!」
「私も――聞かせて頂きたいわ。和久さんはともかく容子さんな身内の様なものですもの。いずれ私達に何かと問う事も出てくるのでしょう?」
青ざめた彼女は怯えながらも凛とした態度でそう云った。あたりを伺う。場の雰囲気は最早受け入れ態勢に入っている。
場所を変えたとして帰ってからあれこれ詮索される事が容易に予期できる。
そして身内である彼女には事件性の在る無しに関わらずいずれ話さないといけない状況になるのは明白だ。
諦めは――ついた。巻き込む事を止む無しと判断し大きく息を吐き出し眉間に皺を寄せて顎で日下部に話せ――とばかりに合図を送った。
「では――」
主が倒れて床に伏し、静まり返った屋敷に響く電話は実に奇妙な事象を告げたらしい。日下部は何とも言い難い、事象に負けず劣らず奇妙に思える表情を作ってから怪談話をするかの様な神妙この上ない顔をして話し始めた。
「少しの間、水に浸かっていたので死亡推定時刻の方は非常に特定し難くなっているのですがどうも男の方が酷く腐乱していて――ほら。」
日下部は一枚の写真を茶卓へ滑らせた。
「指が短いでしょ。この写真じゃ分かり辛いですかね――さっき樋ぐっさんが云った様に男は腐って居たんです。随分とふやけて柔らかくなってたでしょうから魚にでも食われたんですかな。」
そこで言葉を切ってぐあ、だのぐえ、だの蛙の様な声を出し、自らの喉を摩った。
「うう――で、ですね。――嗚呼駄目だ。気持ちが悪い。元気に行かねばなるまい!元気に!よし!」
日下部の一人芝居だ。人が死んでいるにも関わらず元気に!でも在るまいが彼の能天気な話し口調に少しばかり気を楽に出来たのか遙さんの顔色はマシになった様に見えた。
「で、女の、失礼、容子さんの方はですね。無傷なんです。綺麗なもんで。生前はさぞかしお綺麗だったでしょうな。少し狐目の様な切れ長の涼しげな別嬪。是非是非、生きてる間にお近づきになりたかったです。」
こいつは本当に馬鹿だと俺は噛み締めながら話を聞いていた。
日下部の好みなど誰も聞いていないし興味も無い。案の定、茶卓を囲んだ面々は嘲笑するような顔で彼の言葉を待っている様に見えた。
警察ってもんの威厳を損ねる奴だな。本当に。
まぁ、ふんぞり返っても良い事は無いのだが。
「で、打ち上げられていた浜辺には大きな油紙も上がっていたから男の方はこれに包まれていたんだろう、と。皮膚もこびりついて――う。」
「日下部――頼むから端的に話してくれ。」
「ああ、はいはい。で、男の方の周囲は聞き取りしたんですよ。何でも近々金が入るとか家が手に入るとか色々言ってたそうで。入ったら返す、と回りに金を借りまくって居た様で――家はどちらかと言えば貧しい出なのですが着る物、乗る物が派手でしたねぇ――」
「やっぱり――」
遙さんは呟く様に云った。
「あの人、やっぱり嘘をおつきだったんだわ。話の辻褄が一つも合いませんでしたもの。ずっと執拗に付きまとわれて、正直に言えば迷惑しておりましたわ。一週間に一度いらしてたの。ここの所、姿が見えなかったけど。」
「いつが最後でしたか?」
「私は逃げ回っておりましたから――四月の頭位に玄関で声がして――私は須藤さんの住む離れに隠れてやり過ごして外に出たわ。戸の隙間から見えたあの人が最後の姿よ」
「何か変わった様子はありましたか?」
「特に――あ、玄関で私を呼ぶんじゃ無くてお母様の名を呼んでおられました。だから私、余計怖くて――」
「怖い?」
皆が彼女に対して身を乗り出したから彼女は怯えて身を縮めた。
「あ、の、あ、はい。怖かったんです。私に直接言い寄るのでは無く、母に交渉し始めたのか、と。」
「なるほど。」
「ずっと――外で、私、怯えてましたの。夕方に勇気を出して家に帰るまでずっと。」
「お母様は大事な娘をそんな胡散臭い男に渡す――」
「分かりませんよ!そんなの!」
遙さんは自分の肩を見る様に俯いた。酷く辛そうな声が室内に響いた。
「和久さんは――私にとって名も知らぬ父のご学友だそうで――」
「だからって娘を売る理由には――」
「逢わせてやると言われれば――確証があれば売りますよ。あの人が愛しているのは父です。」
――私では――決して私などではありません。
溜息と共に出る声は酷く震えていた。
「そんな事は――」
「在るのです。もうこの話はここで。討論も虚しいだけです。答えはとうに出ているのです。で――容子さんはお優しい方でした。私は姉の様に慕っておりました。でもあの人は偶に――母の背中を酷い嫉妬交じりの顔で睨みつける時がありました。母は彼女をとても可愛がっておりましたが――」
遠い日の思い出を彼女は語ってくれた。
彼女はよく自分が女優になりたかったと言っていたと。
母の付き人をして輝いていた母に酷く憧れていた――と。
都会に疲れて辞める時、母から無理やり仕える様に言われた時は少し嬉しかったと。
でも暫くすると「もしあのままあの世界に居たら――」と後悔したと。
母を恨んでも居るし、憧れても居る、複雑な思いだと笑っていたと。
だからか、生前少しながら母と確執があったらしい。
「――喧嘩した事も在りましたが綺麗で、自慢の姉でした。」
そう言って彼女は涙を零した。
「喧嘩も――しましたか。貴方もお怒りになる事が在るんですねぇ」
日下部が妙な事に感心した。
余りに状況を弁えていたい発言に脱力したのか遙さんは少し笑い、
「喧嘩、とは言わないかも知れません。一方的でした。母に似てくる私と
母の姿が重なったのか、貴方さえ居なければ――と酷く叩かれた事があります。後で謝ってくれたから――」
良いのですけどね――と彼女は笑った。
この家に来る前に事前に周囲の聞き込みはしていた。
容子と云う使用人には他に身内が無いらしい。戦争孤児とでも云うのだろうか。彼女に関係していたのは氷川とこの家の住人だけ。
関係ない人間を殺す事は稀である。人を殺すと云うのは思いの他手間も体力も奪う。大した思い入れの無い人間を殺すなんて、よっぽどの狂人で無い限りする事じゃない。
とすると、関係した人間。
――しかしながら彼女が関係した人間は氷川、須藤、志津子、遙、
そしてこの家に出入りする者――
「この家はよく来客が?」
「ここの所――もう母も引き篭もって長いですから。和久さんと、
羽田警部と――」
「羽田警部がッ!何故ここに。あの野郎、
さっさと消えたと思ったらこんな所に――」
「あの人は母の熱狂的な信者(ファン)らしく、前からおいででしたよ。今朝もいらしてました。もっともここ何年かのお付き合いですが――確か、氷川社長の後ろに付いている暴力団員が失踪したとか。それを調査している時にここに聞き込みにいらしたのが最初だったと。」
「貴方は母の勤めていた会社に裏の繋がりが在る事を
ご存知だったのですか――」
「舞台や映画を興行して行くには(劇場入場)券が売れないといけませんから――券をよく捌いて下さるから切っては切れない関係なのだと母は言っておりました。」
不思議な親子だと思った。母親も彼女にさほど愛情が在る様に接しないし
彼女も愛されて無いと云う割りに会話も成り立っている所が妙なのだ。
この捩れは一体――
思考に潜っている間に日下部は彼女の話をへーとか、はーとか取り様によっては愚弄している様にも取れる程の到って軽い相槌を打ちながら話を聞いていたがその中からは特に引っ掛かる様な会話は無かった。
結局全ての人間が志津子さんに接点を繋ぎ、存在しているのだ。
俺の勘はそうだと云う。俺の感情は違うと云う。
いっその事、答えなど出さずに済むなら良いのに――警察と云う職に居る限り俺はそんな事を永遠に思うだろう。綺麗に割り切って望める犯罪など滅多に在りはしない。勧善懲悪は劇の中だけの話だ。だから俺は観劇も映画も嫌いなんだ。
こうだと良いな、などと妄想を抱いてしまっては
現実(仕事)がやり辛くてしょうが無い。
「――でですね。あ、そうだそうだ!ぐっさんにご報告していなかった事がありまして――」
【続く】