コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
普段はブラックコーヒーを飲むことが多いけれど本当はミルクの入ったカフェオレが好きだし、どんなに暑い日でもアイスじゃなくてホットが飲みたい。
だけど、蓮斗がいつもアイスのブラックだったから私もブラックを飲むようになった。
逆らえない私が悪いとはわかっていても、結局すべてが蓮斗に支配されていた。
フー。
甘く濃厚なミルクの味のするコピを一口流し込んで、もう一度息をついた。
ここはシンガポールの中でも人気のホテル。
昨日の夜ナンパしてきた男の子が指さした屋上におっきなプールの乗った有名な場所。
昨夜私が泊ったのはマリーナベイのスウィートだった。
酔っぱらっていて記憶がないんだから仕方がないけれど、こんなことならもう少し眺めを楽しみたかったな。せめて部屋の中だけでももっとよく見ておくんだった。
私のお財布を考えるとマリーナベイなんてもう二度と泊ることはないだろうのに、もったいないことをした。
***
私の実家は九州の田舎町。
父は中学の体育教師で、母は看護師。
忙しい両親はいつも留守がちだった。
近くにおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいたせいもあって寂しさを感じることはなかったけれど、お母さんが家にいてくれる友人がうらやましかった。
だからかな、基本的には一人生きていける自立した女性を目指したいけれど、結婚して子供ができれば専業主婦になって家族を支えたい。そう思って成長した。
それが、
「何でこんなことになったんだろう」
田舎の地味な女の子だったはずが、傷心旅行にシンガポールまでくるなんて想像もしていなかった。
高校卒業の時、地元の大学を進める父さんに逆らって東京の大学に進学を決めた私。
母さんは反対せずに応援してくれて、おかげですんなり上京することができた。
実家を出てしまえば気楽な独り暮らし。
実家からの仕送りもあって私はバイトもせずに勉強とサークルの日々を送った。
今思えばお気楽に遊んでいたんだと思う。
サークルで知り合った同い年の蓮斗に告白されて、深く考えることもなくうなずいた。
初めての1人暮らし、初めての彼氏。
まだ子供だった私はとにかく浮かれていて、きっと恋することに恋をしていた。
蓮斗が来いと言えば学校を休んででもいったし、デートだっていつも蓮斗のペース。
何でも彼の言いなりだった。
それでも当時の蓮斗は優しくて、私のことを喜ばせようとしてくれた。
だから、私も蓮斗に夢中になってしまったのかもしれない。
***
自由な時間を過ごした大学時代。
蓮斗と付き合っていた時間はとても幸せだった。
毎日のようにデートをして、キスをして、その先も経験した。
付き合っているんだからそれが当たり前だとしか思わなかった。
あの頃、私がもう少し周りを見る余裕を持っていたら、少しでもいいから蓮斗のことを疑っていたら、もっと違う未来が待っていたのに。
大学入学の頃から付き合って3年目、私も蓮斗も就職の時期を迎えた。
もともと就職は地元に帰ってこいと言われていた私は、すごく悩んだ。
語学が好きで英語と中国語はほぼ完璧、フランス語とドイツ語も少々の私は東京に残っても就職先がないわけではない。
父さんは地元の公務員にさせたいらしいけれど、実家に帰れば蓮斗とはもう会えなくなる。
そんなジレンマの中にいた。
「ねえ、就職どうしよう」
周りのみんなが就活を始める時期になって、蓮斗に聞いてみた。
私も就活の時期だけれど、それは同学年の蓮斗だって同じはず。
その割に蓮斗から焦りがいっさい感じられないことが不安だった。
「芽衣は東京に残るんだろ?」
「いや、それはまだ・・・」
「残れよ。就職なら俺が紹介するからさあ」
「蓮斗が?」
「知り合いに企業の人事担当者がいてさ、コネが使えるんだ」
「へえー」
そんな話を聞いても、就活も初めてで社会経験もなかった私は仲のいい先輩でもいるのねくらいにしか思っていなかった。
***
今思えば、まともな企業の人事担当者が単に知り合いだからって便宜を図ってくれるはずがない。
よほどの利害関係がなければ、成り立たない関係。
少し考えればわかることなのに、当時の私にはわからなかった。
夏過ぎに、蓮斗の就職が決まった。
就活なんてしていなかったはずなのに、決まったのは有名商社。
全国規模で、上場もしている企業。
私は単純に、蓮斗すごいなあと驚きとともに感心した。
「芽衣、ここの人事担当あてに履歴者を出しておいて」
「え、私?」
「そうだよ、紹介するって言っただろ」
確かに聞いたけれど、本当に紹介してもらえるとは思っていなかった。
びっくりしてる私に相手の連絡先だけ伝える蓮斗。
その時もまだ、私は半信半疑だった。
しかし、履歴書を出し、面接を受け、一か月後。
私にも採用通知が届いた。
「これで東京に残れるな」
「うん、そうね」
決まったのは歴史のある老舗百貨店。
そこの秘書課に採用が決まった。
ちゃんとした企業の秘書課に正式に採用が決まったからには父さんも反対できず、東京に残ることを認めてもらった。
ただ、「会社を辞めるときには帰って来い」それが条件。
当時の私は蓮斗との未来を疑うこともなかったから、「大丈夫よ」と適当に返事をした。
***
あのころの私は蓮斗と別れる日が来るとは思ってもいなかった。
だからと言って結婚を急ぐつもりもなくて、いつまでもこの関係が続けばいいなと漠然と思っていた。
結婚して子供を持ったら専業主婦にとは思っていたけれど、結婚自体にこだわりはない。
そもそも看護師の母さんに「一人で生きれる人間になりなさい」と育てられたから、私自身自立した女性を目指した。
春。
私たちは新社会人となった。
語学堪能で秘書検定も持っているとはいえ、新入社員となれば覚えることは山ほどある。
毎日のように先輩に叱られたり失敗して落ち込んだりで、一日一日を過ごすのが精一杯。
正直言って蓮斗と会う余裕がなくなった。
それなのに、蓮斗の生活はまったく変わらない。
毎日のように「飲みに行こう」「泊りに来い」と誘われ、仕事で断ることが増えた私との間で喧嘩が増えた。
それでも、四月、五月は何とかごまかし、日々かかってくる電話に「ごめんね」と言いながら週末を2人で過ごした。
そんな蓮斗の様子がおかしくなったのは六月に入った頃。
それまで頻繁にあった電話やメールがこなくなった。
初めは蓮斗も仕事が忙しくなったのかなって気に留めていなかったけれど、そのうちに周囲から嫌なうわさが聞こえてきた。
「蓮斗って大会社の社長の息子らしいわよ。いいわよねえ、遊んでいていいところに就職して、将来だって保証されているんだから」
「だからって、あいつはサイテー。親の金で遊び歩いて、彼女がいるのに何人ものガールフレンドがいるって噂よ。本当に女の敵だわ」
「でも、蓮斗と同じところに就職した子の話では全然仕事をしないんですって。二、三年したら親の会社に帰るんだからってやる気がなくて、使い物にならないって言われているらしいわ」
どれもこれも初めて聞く話で驚いた半面、なんとなく納得もできた。
今まで不思議に思いながら自分で蓋をしてきたことが腑に落ちた。
***
6月末のある日、私は連絡もせずに蓮斗のマンションを訪れた。
仕事終わりに向かったためもしかして蓮斗がいないかもと思ったけれど、もしそうなら預かっていたキーを置いて自分の私物を持って帰るつもりだった。
マンションの外から見て部屋の明かりはついていた。
蓮斗がいるのだろうと部屋の前まで行き、チャイムを鳴らした。
何度もしつこく鳴らすうちに、
ガチャッ。
玄関の鍵が開いた。
「蓮斗、私」
「め、芽衣?」
慌てたような声のあと少しだけ開いたドア。
その隙間から見えた玄関に女性もののハイヒールがあった。
もちろん、それは私のものじゃない。
「ごめん、鍵を返しに来ただけだから」
私は蓮斗の手に預かっていたスペアキーを乗せ、駆け出した。
いきなり来た私が悪いのかもしれない。
仕事が忙しくてなかなか会えないから、蓮斗の気持ちが覚めてしまったのかもしれない。
それでも、見たくなかった。
大通りまでの道を走って行って、タクシーを拾った。
その間も蓮斗が追いかけてくることはなかった。
***
数日後、いつもと変わらず食事をしようとメールが来た。
先日のことには一切触れず何もなかったかのような内容に少し困惑した。
それでも、四年も付き合った人だから最後くらいはちゃんと話をしようと会うことにした。
蓮斗の部屋で会うのは気が引けて、待ち合わせたのは駅前のカフェ。
「もう終わりにしましょう」
きっと蓮斗も同じ気持ちだろうと私の方から切り出した。
しかし、
「嫌だよ」
「え?」
「俺は分かれないよ」
「だって・・・新しい彼女がいるよね?」
この間マンションに入れていたじゃない。
「あれはただの友達」
「そんな馬鹿な・・・」
「俺は芽衣と別れないよ」
それからはいくら話してもらちが明かず、「とにかく私は分かれます」と言い切ってカフェを出た。
それからしばらくはメールも電話もなかったから納得してもらったと思っていたのに、七月に入っていたずら電話や迷惑メール、会社のホームページにまで私を誹謗する書き込みが始まった。
初めのうちは私も我慢していた。
けれど、内容も頻度もどんどんエスカレートしていって次第に会社にも居づらくなり、8月末には会社を退職した。
もともと蓮斗の口利きで縁故入社したところだったから近いうちにやめなくてはと思っていたけれど、負けて辞めるようなやり方には悔しさが残った。
でも、仕方がない。今は蓮斗と縁を切ることだけ考えようと、アパートも1kの狭いところに引っ越しをした。
これで心機一転。
臨時採用だけれど新しい仕事も決まって来月から働きだす。
その前に、自分への気持ちにけじめをつける意味で私はシンガポールにやってきた。