デッキの硬い木目が背中を打ち、息が詰まって上手く呼吸できない、増田の体重が浩二を圧倒し、浩二の腹の傷に触れ、鋭い痛みが爆発する
「僕を・・・殺しても鈴子の心は手に入らないぞ!」
「お前がいなければ俺達は上手くいってたんだよっっ!」
ナイフが浩二の腹を狙うが、浩二は渾身の力を込めて増田の右手首を両手で掴んで捻り上げた、刃が月光を跳ね、浩二の頰をかすめた、皮膚が切れ、頰から血が噴き出し、シャツを汚す、
「お前さえいなければ・・・お前が俺の人生を狂わせたんだ・・・復讐してやるっっ! 殺してやる!」
増田の顔が浩二の眼前で歪み、唾が飛ぶ
「物事が自分の思い通りにならないからといって復讐して何になるっっ! 鈴子もお前も! 権力に価値観を捻じ曲げられているんだ!」
浩二は歯を食いしばり、増田の首に左腕を回して締め上げた、元ラグビー部の浩二が上に乗っている増田を思いっきり転がした、筋肉が悲鳴を上げ、汗が飛び散る
「そして僕は誰の思い通りにもならないっっ!」
浩二は痛みを堪え、増田の体を欄干の方へ蹴り上げた、増田の足がデッキの端に乗ってバランスを崩す、船の揺れが加わり、増田の体が後ろに傾く
「うわあああっ!」
増田の絶叫が夜空を裂き、彼の黒のトレーナーが風を孕んで黒い翼のように広がる
―ドボン!―
水柱が高く上がり、波が貪欲に増田の体を呑み込んだ、海面が泡立って渦を巻いて沈む
「おいっ!」
息を喘がせ、浩二がデッキから増田が落ちた真っすぐな黒い海を覗き込んだ、しかし増田の姿は海の闇に溶けて跡形もなく消えている
遠くでサイレンの音が鳴り、物凄い勢いでパトカーがこっちへやってきている
「誰か! 助けてくれ! 人が海へ落ちた!」
やっとの思いで、そう叫ぶと浩二の目の前がぐらりと歪んだ、頰からも腹からも血が滴り落ちている、古傷が完全に開き、温かい血がズボンを濡らす・・・
浩二は欄干にしがみついて膝から崩れ落ちた、そのまま大の字になって血がデッキに滴って赤い染みが広がった
視界が狭まり、星々が遠ざかる、体が重く、意識が薄れていく・・・二台のパトカーが船の前で止まり、大谷警部がこっちへ走ってきている、次々と指示を受けた船のライトが夜の海を照らし始めたが増田は海深くへ沈み、姿をあらわさない
大谷警部の声が無線越しに響く、その時聞きなれた高い声が薄れ行く暗い意識の中、聞こえた
「浩二! 浩二!」
―鈴子?どうして彼女がここに?―
「浩二! 浩二! しっかりして! 私のスマートウォッチを持って行ってくれたでしょ? GPS機能であなたの居場所を突き止めたのよ!ああっどうしてこんな事に」
―そうだったのか・・・あの時計にGPSまでついていたなんて・・・結局は家を飛び出しても彼女の支配は続いていたのか―
「これは増田の船だわ! 増田にやられたのね! 増田に刺されたのね! 誰か! 誰か!」
浩二は欄干に鈴子に抱かれたままぐったりと横たわった
「救急車を!」
「こちらへ向かっています!」
「犯人は海に落ちたぞ!」
「探せ!」
大谷警部の命令が飛び、警官達がデッキに上がって海面をライトで照らす、
増田は彼自信の野望と共に深海に沈んだまま、浮かび上がってこなかった
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