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調理場の片隅の麻袋の中でひっそりと芽を出していたド根性野菜達は、今は館の庭先ですくすくと育っている。主に芋や豆類だったのだが、土に戻される前から出ていた芽をさらに長く伸ばし、青々とした葉を広げていた。
元々、雑草がワサワサと覆い茂っていたような肥沃な土地。きっと畑に向いていたのだろう。あっという間に根付いたみたいだった。
「よく育ってるねー、さすがド根性野菜」
木桶に魔法で水を溜めながら、葉月はぐるりと畑を見渡してみる。一度に出せるようになった水量はまだまだ物足りないが、随分と安定してきたように思う。途中で魔力の流れが止まることもほとんどないし、よそ見する余裕も出てきたくらいだ。
溜まった水を杓子で掬っては畑へと撒いていく。その最中にふと気付いたことがある。
直接、水を撒いた方が早くない?
両手を広げ、その手の平を畑の方へ向けて、頭の中でイメージしてみる。畑中にザーッと雨を降らせるかのように。
たった二メートル四方程しかない小さい菜園だけれど、カップや木桶に比べたら対象が大き過ぎるのかもしれない。一か八かのチャレンジだ。それ以前に、魔法の発動ポーズがこれで合っているのかさえ不明。
ぽつり……ぽつり……。
程なくして、雨漏り程度の水が畑のあちらこちらへ落ち始める。でも水やりとしては物足りない。というか、地面を湿らすこともまともに出来てはいない。
「……やっぱ、無理かぁ」
超が付くほどの初級魔法使いの葉月には、まだ早かったようだ。ただ、出来ない訳じゃないのが分かっただけでも進歩と言っていい。適当なポーズでも何とかなるみたいだし。
横着は諦めて、再び木桶に水を張り直す。
いつも葉月の後ろを付いて回る白黒の猫は、朝食を食べ終わった後にもまた二階へと戻ってしまったのか、姿を見せない。ご飯も完食していたし、別に体調が悪そうでもなかったし、ただの気まぐれだろうか。
猫の額ほどの小さな畑の世話を終えて、今日のお昼ご飯は何を作ろうかと食材の在庫を思い浮かべつつ、館の扉を開きかけた、その時だった。
遠くで大木が倒れるような、ドスンという音が響いた。同時に、バサバサと鳥の大群が逃げ飛ぶ翼音。静かだった森に響き渡る異音。
「え、何?!」
振り返り、音のした方角へと視線を向ける。が、ここからは何も確認できない。聞こえたのはその時一度きりで、後はいつもの森の騒めきしか届いては来ない。音の大きさからして、そこまで近くはないのだろう。
けれど、ここに来て初めての異変に、葉月は慌てて館の中へと駆け込む。
「べ、ベルさんっ! ベルさんっ!」
魔女のいる作業部屋の扉を慌ただしく叩く。
「あら、どうしたの?」
おっとりと森の魔女が顔を出すと、葉月の様子に何が起こったのかをすぐに察し他ようだ。眉間に皺を寄せ、露骨に嫌そうな表情へと変える。
「もう来ちゃったのね……嫌だわ」
「街から、ですか?」
領主の関係者が街から向かって来ているとは聞いていたので、あれはその音だったのか。獣道化してしまった道路を再整備しながら進んでいるとすると、なかなかご苦労なことだ。
「幻影の魔法をかけておいたんだけど、さすがにもう解けちゃったみたいね」
随分前に森の入口を魔法で隠蔽しておいたのが、とうとう見つかってしまったみたいだと、すこぶる残念そうにぼいている。
その幻影の魔法のおかげで館へと続いていた道が、これまで何年も認識されず、誰も通らなくなった道路には草が生え、倒木に遮断され、挙句には森に埋もれてしまったということらしい。
つまり、この館が森の孤島状態になっているのは、魔女本人の仕業ということ。
そして今、街からの来館者達によって再び道が作り直されている真っ最中。
「近くまで来たら、ブリッドが知らせてくれるわ。気にせずゆっくりしているといいわ」
ま、来ても別にすることはないけれど、と作業部屋へ平然と戻っていくベル。調薬の続きをするつもりらしい。
大きな音を出せば周辺の魔獣も寄って来るし、そう簡単には辿り着かないというのが、魔女の見解だ。
なんだか大変そうだと思いつつ、その元凶は全て彼女だったんだなと葉月は呆気に取られる。ベル一人の為に道を作り直すだなんて、税金の無駄遣いにもほどがある。
でも、道が出来れば街へ行くことが叶う。それは少し楽しみでもあった。
ゆっくりしてるといいと言われてもなぁと思いながらも、お昼ご飯の後は念入りにお掃除でもしていようかと、葉月は少しばかり張り切っていた。なんせ、ここに来てから初めてのお客様なのだから。
唯一不安に思うのは、ベルが心底嫌そうにしていることだ。もしかして、あまり良くない人達が来るんだろうか……?
そして、どうやら猫が二階から降りて来ない理由はいつもの人見知りだったということに気付く。来客があるといつの間にか姿を隠して、客が帰ればどこからともなく顔を出す。
魔女の契約獣であるブリッドが街からの一団の接近を知らせに来たのは、もうすぐ日が暮れかけようとしている頃だった。