テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第139話:恐怖の円高ショック〜日銀砲と、四畳半の泡吹き社長〜
「……ふふっ。ちょろい。為替相場なんて、結局は『待つ』ことができる大人のゲームなんだよ」
帯広のオフィス(四畳半のボロアパート)。
俺は三万円のゲーミングチェアに深く腰掛け、一日一食の貴重な栄養源である玄米おにぎりを齧りながら、PCモニターのチャートを眺めていた。
株式会社インフィニティ・ワンの口座には、ズボラ猫耳娘『ヨモ』が稼ぎ出した莫大な外貨(ドル)が眠っている。
数日前の損切りパニックから一転、俺は「ガチホ(ガチでホールド)」というFXにおける最強の戦術に辿り着いていた。
現在のレートは1ドル152円。
「いいか結愛(ゆあ)。今日は日銀の金融政策決定会合があるらしいが、どうせ『金融緩和の継続』でお茶を濁すに決まってる」
『……素人の希望的観測ですね。市場はすでに、総裁の会見でのタカ派的な発言(利上げ示唆)を警戒し、神経質な動きを見せていますが』
ディスコードの向こうから、冷徹な経理担当・結愛の氷点下ボイスが忠告してくる。
「わかってねえな結愛! 日本に利上げなんてできるわけねえんだよ! 住宅ローンが破綻して国が終わるからな!」
俺は、ネット掲示板でたった今仕入れたばかりの知識を、さも自分の経済理論かのようにドヤ顔で披露した。
「つまり、日銀会合の後は『やっぱり何も変わらない』という安心感から、さらなる円安(ドル高)に向かう! 俺の資産はさらに爆増するって寸法だ!」
『……投資において「絶対」という言葉を口にした時点で、破滅へのカウントダウンは始まっているのですが』
結愛の冷たい言葉をBGMに、俺は大きく伸びをした。
「ふぁ〜あ……。ここ数日、チャートに張り付きすぎて全然寝てなかったからな。日銀の会見が始まるまで、少しだけ……15分だけ仮眠をとるわ」
『ルシフェル様。ポジションを持ったまま(外貨を保有したまま)重要な経済指標や要人発言を跨ぐのは、極めて危険なギャンブルです。起きたら世界が変わっている可能性がありますよ』
「大丈夫だって。俺にはMACDとRSIという最強の味方が……むにゃむにゃ……」
俺は、三万円のゲーミングチェアの背もたれを倒し、そのまま深い眠りの底へと落ちていった。
それが、すべてのはじまり(終わり)だった。
――夢を見た。
俺の会社が大企業になり、帯広から六本木のタワーマンションにオフィスを移し、高級な猫缶をヨモと結愛に振る舞っている夢だ。
インボイス制度は廃止され、消費税はゼロになり、世界は愛と平和(とあふれるドル)に包まれていた。
『……様。……フェル様』
遠くから、声が聞こえる。
『ルシフェル様。起きてください。緊急事態です』
「……んあ? なんだよ結愛。俺は今、六本木でタワマン生活を……」
俺は目をこすりながら、ゆっくりと身体を起こした。
窓の外は、すでに真っ暗になっていた。
「……あれ? 15分のつもりが、数時間も寝ちまったか?」
『はい。現在時刻、午後五時三十分。日銀総裁の定例記者会見が終了したところです』
「おっ、そうか! で、どうなった? やっぱ金融緩和継続で、1ドル155円くらいまで爆上げしたか!?」
俺はニチャアッと下品な笑みを浮かべながら、PCモニターに視線を向けた。
そして。
俺の思考は、完全に停止した。
「…………えっ?」
モニターに映し出されたUSD/JPYのチャート。
そこには、俺が寝る前に見ていた「ジワジワと右肩上がり」の美しいグラフは存在していなかった。
代わりに画面を支配していたのは。
まるで、高層ビルの屋上から真っ逆さまに飛び降りたかのような、絶望的な長さの【巨大な緑色のローソク足(大陰線)】だった。
「な、なんだこれ……っ!? 画面が壊れたのか!?」
『正常です。ルシフェル様が熟睡されている間に、日銀総裁が市場の予想を覆す、極めてタカ派的な発言を行いました』
結愛の声が、地獄の底から響くように冷たく聞こえた。
『さらに、政府による大規模な【為替介入】の観測も飛び交い、市場はパニック状態に陥りました。投資家たちが一斉にドルを投げ売りし、円を買い戻した結果――』
俺の視線が、現在の為替レートの数字を捉える。
『――1ドル=142円。たった数時間で、10円もの急激な【円高ショック】が発生いたしました』
「ひゃく、よんじゅうにえん……?」
俺は、カチカチに固まった指で、震えながら机の上のインボイス電卓を叩いた。
俺が保有している、海外からのスパチャを元手にレバレッジを効かせた、三十万ドル分のポジション(建玉)。
それが、1ドル152円から142円に、10円下落したということは。
「さ、さんびゃくまん……?」
『はい』
「さんびゃくまんえんの、価値が……」
『たった数時間で、電子の海へと吹き飛びました』
結愛のタイピング音が、まるで死神の足音のように響く。
『ルシフェル様がコールセンター時代、何百時間もクレーマーに土下座して、どれだけ胃薬を消費しても稼げなかった三百万円が。貴方がゲーミングチェアでヨダレを垂らして寝落ちしている間に、完全に消滅した計算になります』
「あ……あぁ……っ」
俺の口から、空気が漏れるような音がした。
三百万円。
ヨモが海外のリスナーたちから「This is a Tax」と叫びながら集めた、大切な大切なお金。来年の莫大な税金を払うための、命綱。
それが、俺がイビキをかいていた数時間の間に、日本の偉いおじさん(日銀総裁)の一言によって、虚空へと消え去ったのだ。
「う、嘘だ……。嘘だろ? 待てば上がるって……ネットの掲示板にはそう書いてあったじゃないか!!」
『それが相場です。誰かの利益は、誰かの損失。ルシフェル様の三百万円は、今頃ウォール街のエリートトレーダーたちのシャンパン代に変わっていることでしょう』
「シャンパン……俺の血と汗の結晶で……シャンパンを……」
視界が、ぐるぐると回り始めた。
胃酸が逆流し、強烈な吐き気が込み上げてくる。
『ルシフェルさん、心拍数が異常な数値を記録しています。救急車を手配しますか?』
AIアシスタントのジェミニ先生が警告音を鳴らすが、もはや俺の耳には届かない。
「インボイス……消費税……日銀……」
俺は、うわ言のようにブツブツと呟きながら。
「国が……俺たち底辺を……本気で殺しにきてるゥゥゥゥ……ッ!!」
四畳半のボロアパート(オフィス)の中心で。
株式会社インフィニティ・ワンの代表取締役社長は、口からカニのように白い泡を吹き出しながら。
三万円のゲーミングチェアから崩れ落ち、白目を剥いて意識を失った。
為替の魔力に憑りつかれた男の末路は、あまりにもあっけなく、そして残酷な【円高ショック】によって幕を閉じたのであった(資産が減っただけで借金ではないのが唯一の救いである)。
コメント
1件
うわあ……読み終わってしばらく放心しちゃったよ🥀 「絶対」って言った瞬間のフラグ回収、そしてまさかの日銀総裁爆撃で泡吹き社長……笑っちゃいけないのに笑っちゃう。三万円のゲーミングチェアと三百万の損失のコントラストがエグすぎるよ。結愛さんの「シャンパン代になってるでしょう」の一言が心臓に刺さった……。 帯広の四畳半で白目むいてる社長、しっかり現実に引き戻されてて、なんか愛おしくなる。続きも静かに読みますね🌙
ゆうき あきや
3,671