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うぐぐっ……!
ぐあああっ……!!
世界にたったひとり残った吾妻勇太(属性:忠誠心)は、破れた耳を麻酔なしに縫っていた。
血まみれの耳に包帯を巻き、裂けた頬を止血すると、体の力はもう残っていなかった。
バスルームにへたり込んだまま、しばらくぼんやりと浅い呼吸を繰り返した。
少しの回復時間を経て、這うようにリビングルームへと出た。それから鎮痛剤を飲んでソファに座り、目を閉じた。
まぶたの裏には、気を失った自分が横たわっている。
別の勇信が注射針を腕に刺そうとしていた。
勇太はハッとなり目を覚ました。
一瞬だが意識が遠のいていたことに気づいた。
「死体を……。片づけないと」
リビングルームの隅に、屍が横たわっている。
これまで同じ目的のために協力し合ってきた仲間だ。
彼も吾妻勇太。
同僚よりも濃い、自分自身の分身だった。
リスクコントロールを本質とする者の死体は、長い苦悩から抜け出したように平穏な顔をしていた。
「別れの時間だ」
生き残った勇太は重い体を起こし、死体の両足を引きずってバスルームへと運んだ。
服を脱がせチェーンソーで肉体をバラバラに分離していく。
裂けた腹からは、鼻をつんざくような臓器のにおいがした。その中にウィスキーのにおいが混じっているような気がした。
1時間前、ふたりで飲んだ酒だった。
自然と涙がこぼれた。
生き残った勇太は、タイルに転がる首に向けて言った。
「心配しなくてもいい。これからは俺が全身全霊で吾妻グループを守り抜く……それに家族もな」
ようやく孤独な戦いが終わった。
自分が死ねば、どれだけ楽だったろうか。
これからの人生は、決して幸せではないだろう。悪夢に苛まれ、苦しみ続ける日々が待っていることは承知している。
自分はもうひとりだ。だから後悔もできない。
孤独と恐怖が鋭い痛みとなり、全身を震わせた。
「これが本当に最後だ」
肉塊となった勇太をかばんに詰め込む。数えきれないほど勇太の部位を運んできたかばんとも、別れの時間が近づいていた。
白装束に着替え、かばんを持って家の外へと出た。
前庭では移動式火葬車が、最後の目的を果たすべく静かに待っている。
火葬車の扉を開けると、焼却炉には灰が積もっていた。
これまで副会長職に就いていた勇太(属性:寛大)の変わり果てた姿だ。
「みんな灰になればまたひとつになれるさ」
手にしたかばんに向けて勇太はつぶやいた。
積もった灰の上に、勇太の頭部と胴体の一部を置いて扉を閉めた。
最後の葬式が行われる時間だ。
熱くたぎる火葬車を見つめながら、何度も意識を失いそうになった。頬と耳から流れる血がとまらず、着替えた白装束が血で染まっていく。鎮痛剤は安いビタミン剤ほどに効果がなかった。
しかし犠牲になった勇太を思うと、気を失うなどあってはならなかった。霞む目と、熱く煮えたぎる頬と耳の痛みに耐えながら、ただじっと火葬車の前に座って祈った。
90分が過ぎると扉を開け、残る部位を投入した。
手足と胴体の一部と服。
そして寿命をまっとうしたかばんも放り込んだ。
扉を閉め、またバーナーのスイッチを入れる。
ゴーゴーと燃焼音があがると、勇太は絨毯に正座し火葬車に向けて頭を下げた。
「我が分身よ。我が異なりし本能よ。どうか風となって空を覆い、吾妻グループの未来を照らす光となってくれ。おまえたちの犠牲を決して無駄にはしないと、天に誓って約束しよう」
別れの葬儀が終わると、勇太はすべての力を失ってその場に倒れた。
薄れゆく意識の中で、多くの勇太に会った。
誰ひとり笑みを浮かべる者はおらず、全員が怒りに満ちた表情をしていた。
「おまえひとりで残ったことを、正解だと思っているのか」
「おまえは勇太なんかじゃない。ただの殺人者だ」
「なぜ自分勝手に俺たちを統一しようなどと思ったんだ」
「痛い……苦しい……。割れた頭蓋骨が……うぐぐ」
「必ず生まれ変わって、貴様を地獄へ叩き込んでやるからな」
うううっ……。
目をつぶるとひたすら悪夢が現れ、脳に響く声はすべて恨みを抱いていた。
破れた頬と耳が焼却炉に入ったように熱かった。
病院に行くことも主治医を呼ぶこともできない銃弾による裂傷。鎮痛剤も効かないため、ただひとりで乗り越えるしかない。
勇太は絨毯に倒れたままうめき続け、ようやく立ち上がった。
役目を終えた火葬車を離れ家の中に入ると、勇太はそのままの姿でベッドに倒れ込んだ。
その日から高熱が一週間続いた。
熱は40度近くをずっと行き来して下がらなかった。とてもじゃないがベッドから起きることなどできない日々だった。
短い眠りの中でも、常に悪夢は訪れた。
目を覚ましているときも、悪夢に似た幻影が目の前に現れる。
「いつか貴様を地獄へ叩き込んでやるからな!」
致死薬を打ちこんだ別の勇太が、カッと目を見開いた。
また別の勇太が言った。
「貴様の本質は、忠誠心などではない。貴様はただの悪魔。近いうちに吾妻グループは消滅するだろう。貴様の愚かさによって!」
違う……。
俺はただ……会社と家族と、そして俺たちのために……。
別の勇太が言う。
「家族が恋しいのか? 嘘が上手だな。貴様は俺たちとは違う。貴様だけは生き残ってはいけなかったんだ」
違う……。
俺は家族と会社を大切に思っている……。
勇太のうめき声は枯れることなく、また汗に濡れたベッドも乾くことがなかった。
料理を作る力などなかった。
水だけを飲んでどうにか持ちこたえた。
そうして10日が過ぎると、ようやく勇太はベッドから起き上がった。