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身体中の管が全て外されたのは、事件から五日後のことだった。
刺された四十分後に手術、その後一日半眠り続け、目覚めた翌日に一般病棟に移された。犯人が捕まっていないことから、病院内でも俺の存在は秘密にされた。姉さんの配慮で個室に入り、ようやく一人でトイレに行けるようになった。
身を屈めると、未だに痛いが。
俺が目覚めてから、馨の姿を見ていない。
「あんたの目が覚めるまでは、ずっと付き添ってくれてたのよ」と、姉さんは言った。
「あんたの目が覚めて、容態も落ち着いたから帰したの。あのままじゃ、馨ちゃんまで入院するハメになりそうだったから」
それにしたって、目が覚めてからの二日間一度も会いに来ないなんてこと、あるか?
嫌な予感しかしなかった。
一度、母さんが見舞いに来たが、馨の名前は口にしなかった。
馨に会いたかった。
きっと、責任を感じている。
きっと、自分を責めている。
馨のせいじゃないと、伝えたかった。
馨が無事でよかったと、伝えたかった。
馨を抱き締めて、その温かさを確かめたかった。
「姉さん。俺が電話した時、頼み事しなかったか?」
ようやく思考がはっきりして、俺は刺された直後に姉さんに電話したことを思いだした。とうに思い出していたけれど、現実だったのかがわからなかった。
けれど、警察から戻ってきたスマホを見て、間違いなく姉さんに電話していたと確認できた。
「何か言われたけど、よく聞こえなかったわ。すぐに駆け付けてくれた人と代わったし」
「そうか……」
「馨を頼む、とか言いたかったんでしょ?」
「ああ……」
本当は違う。
けれど、今となってはそれで良かったのかもしれない。
俺は生きている。
姉さんが引き出しに俺の下着やら服やらを入れているのを見て、気がついた。
「その着替えは?」
「馨ちゃんに頼まれたのよ」
「馨はどうしてる?」
姉さんは口をつぐみ、少し考えてから、口を開いた。
「……疲れが溜まったみたい。少し体調を崩してるの」
「大丈夫なのか!?」
「今朝は顔色も良くなってたわ。けど、無理はさせられないから、来ないように言ったのよ」
「そうか……」
「三日間、ずっとあんたのそばにいたのよ。いくら言っても帰ろうとしなくて。あんたの目が覚めるまで、絶対離れないって……。取り乱して大変だったんだから」
馨が……?
嬉しかった。
馨のことを思えば喜ぶことではないのかもしれないが、彼女の気持ちが純粋に嬉しかった。
「父さんと母さんは犯人のことを聞いてるのか?」
「……ええ」と言った姉さんの表情が、曇る。
「馨ちゃんが話したわ」
馨の性格を考えたら、全て自分のせいだと言ったのだろう。
両親に頭を下げて謝る姿が目に浮かび、俺は歯を食いしばった。
「父さんと母さんは何て……?」
姉さんもまた、目を伏せ、歯を食いしばった。
「馨を責めたのか?」
「当然でしょう? 息子が殺されかけたのよ?」
「姉さんも!?」
「責められたら……楽だったけど……」
気丈な姉さんが声を震わせ、目に涙を浮かべた。
「あんな馨ちゃんを見たら……」
「あんな——って?」
「ずっと謝ってたわ……。お父さんとお母さんが来てから、手術が終わるまでの一時間位。ずっと……土下座して……」
土下座——!?
愕然とした。
ついさっきまで、ほんの少しの優越感を持っていた。
馨を守ったヒーロー気分でいた。
まさか刺されるとまでは思っていなかったが、黛が何か仕掛けてくるだろうと思って、待ち構えていた。黛を挑発したのもその為だ。
だが、俺がしたことの為に馨が——!
「こうなること、わかってたの?」
「え?」
「あんたの所持品に、ハンディレコーダーがあったって聞いたわ。飛行機を降りてからずっと、録音されてたって」
「…………」
とにかく証拠を掴もうと思った。
その為に、四六時中録音していた。
何かあった時、音声だけでも残せたらと。
「犯人に……繋がったか……?」
馨が両親に土下座する姿が目の裏にチラつく。
「あんたが依頼していたセキュリティ会社が警察で全て話したわ。そうする手はずになっていたんでしょう? 犯人の顔と声がわかっていたから、現場付近の防犯カメラとかですぐに身元がわかったみたい。覚せい剤の常習犯で、逮捕歴もあったって」
姉さんがため息をつき、指で涙を拭った。
「あんたの目論見通りよ。犯人は黛から、覚せい剤が欲しければあんたを痛めつけろと言われたらしいわ。レコーダーにはっきりと録音されていたって。黛は過去にも警察にマークされていたんだけど、証拠が出なかったらしいわ。犯人が捕まったら、黛にも逮捕状が出るって」
「そうか……」
「セキュリティ会社の……安田……安永? あんたの友達には、馨ちゃんの護衛を続行するように頼んでおいたわ」
安永は俺の大学時代の友人で、合気道の有段者。大学卒業後にセキュリティ会社に就職し、今では警備部長だ。
馨から見せられた調査報告書を安永に見せ、相談していた。
レコーダーを持ち歩いていたのも、安永の指示。刺された時に、犯人に黛の指示かを聞いたのも。
安永は俺にも護衛をつけると言ったが、断った。基本、家と会社では馨と一緒にいるわけだし、俺も空手の経験があったから。こんなに残業や出張に追われて、馨と一緒にいられないのは誤算だった。
安永には、俺に何かあった場合は、馨ではなく姉さんに事情を説明し指示を仰ぐように頼んであった。
「他に……方法がなかったの?」
「え……?」
「こんなことになって、どれだけ心配かけたと思ってるの」
「……ごめん」
せいぜいボコボコに殴られるくらいだと思ってた、なんて言えない。
「逮捕……とまではいかなくても、黛が二度と馨に近づくことがないようにしたかった」
「その為にあんたが傷つくことを、馨ちゃんが望んでいたと思う?」
「俺の為、だったんだよ。俺が……安心したかった」
馨と黛が営業部長の部屋にいたのを見た時から、心配でたまらなかった。
馨が黛と同じ空気を吸うのも、嫌だった。
全て、自己満足だ——。
「それにしたって、もうちょっとやり方があったでしょう? 一歩違えば死んでたのよ? 死んじゃったら、馨ちゃんはどうなるのよ!」
「……そうだな」
姉さんの怒りは尤もだ。
「馨ちゃんに、ちゃんと謝んなさいよ」
「ああ……」
翌日。
俺は自分の仕出かしたことの代償の大きさを知ることになる。