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不意に吹いた風は思いのほか強くて、アネモネは乱れた髪を手櫛で梳かし始めた。
深い意味は無い。間が持たなかったからそうしただけで、頭の中はこれからどうしたものかと考えることでいっぱいだ。
そんなアネモネの手を、騎士は素早い動きで掴んだ。
「やっぱりここ、怪我をしているじゃないか！」
急に厳しい口調になった騎士にびっくりして、彼の視線をたどる。そこには、小さな擦り傷があった。
「この木は毒は無いけれど、後に残らなければいいが……」
痛まし気に眉を寄せる騎士に、アネモネは目を泳がす。どうやらこの人は、木から落ちた時に怪我をしたと思っているらしい。
「あ、違います」
「違わない。血が出ているじゃないか」
そう言いながら、騎士は懐から取り出したハンカチを傷口に当てる。
「これ、木から落ちた時のやつじゃないですよ。あなたのご主人さまが……あ」
大袈裟な手当てが居心地悪くて、止めて欲しくて、余計なことを喋ってしまった。
途端に騎士は、心底申し訳なさそうな顔になる。
「……そうか。私の主が君に無礼を働いたようで、すまなかったね」
「はい」
ここは嘘でも「いいえ」と答えるべきなのだが、アネモネはつい本音を口にしてしまう。
騎士は不愉快な顔はしないが、苦く笑った。
「本当はとても、お優しい方なんだよ。でも繊細で不器用な部分もあって……時々誤解を生んでしまうんだ」
「……はぁ。へぇー……」
世の中不器用と言えば、なんとなく許される風潮があるけれど、アニスのあの行動はその枠を超えていた。それに繊細な男だなんて絶対に嘘だ、嘘！
そう言いたいアネモネだが、感情を抑え込んで曖昧に頷く。
それをどう受け止めたのかわからないが、騎士は表情を改めた。
「聞いていいのかわからないけれど、アニス様にはどんな御用があったのかい？」
「お届け物があったので、訪問したんです。でも渡す前に、摘まみ出されました」
瞬間、騎士は片手で顔を覆った。
指の隙間から見えるそれは、我が子の不始末をどう詫びればよいか頭を悩ます親の表情だった。
謝罪は受けて然るべきだが、この騎士から貰うものではないので、アネモネは無表情を決め込む。
「えっと……本当に本当にすまなかったね。そのお届け物とやらは、私が代わりに渡しておこう。責任持ってアニスさまに手渡すよ。約束する」
真摯に言葉を紡ぐ騎士は、見たところ悪い人ではない。
けれど良い人に見える人ほど警戒してしまうのが＜紡織師＞の性である。
「あの……騎士様の髪に葉っぱが付いてるんで、取って良いですか？」
「え？あ、ああ……うん。お願いするよ」
騎士は提案を無視されたというのに、律儀に膝まで折ってくれた。
アネモネの細い指は遠慮なく彼の髪に触れ、それから滑るように額へと移動する。
＜紡織師＞は人が持つ記憶や、叶えられなかった願いや祈りを、そっくりそのまま他人の心に伝えることができるが、他にも能力がある。
それは他人の素肌に触れれば、その人の悪意や敵意を感じ取れるというもの。幸か不幸かわからないが、騎士からはそういったものは感じ取ることはできなかった。
全面的に信頼できるとは言い難いが、彼に託したい。そんでもって、早々に帰路に着きたい。でも、そうできない事情がある。
なにせアネモネがアニスに渡したいモノは、手に取って眺めることも、抱えて運ぶこともできない実態のないモノ。
初対面のこの騎士に「渡したいものは、私の心のなかにあります」などというエキセントリックな発言をすれば、良くて不思議ちゃん認定。悪くて詐欺師扱いだ。
アネモネは、人が下す評価など気にしない。しかし不審者と決めつけられ、仕事に支障がきたすのはどうしても避けたい。
ならば、悪意の無いこの騎士様には、配達代行ではなくて別のお力を貸してもらいたい。
「はい、取れましたよ。あとですね、騎士様に託したいのは山々なんですが……やはり自分の手で渡したいんです。だから、もう一度、アニスさまに取り次いでもらえないでしょうか？」
アネモネは姿勢を戻した騎士に、何とか再チャレンジの糸を繋ごうとする。けれど結果は否だった。
「ごめんね。それはちょっと厳しいなぁ。私はアニス様の護衛騎士だけれど、取り次ぎできるまでの権限は持っていないんだ」
「……そうですか」
半分は予期していたけれど、がっかり感は隠せない。
騎士は膝を折って、アネモネと目を合わせると精悍な印象を与えている眉を下げた。
「届けられないと、誰かから叱られたりするのかい？」
これまでの突飛な行動は、叱られることの怖さゆえと解釈してくれたようだ。
不正解だが、この勘違いはありがたい。
「そ、そうなんです。はい、もう、本当に」
アネモネは、こくこくと何度も頷きながら答える。
必死なことは必死なのだが、騎士が思っていることとは違う。
けれど騎士は、それに気づかず、とんでもないことを口にした。
「じゃあ、私が君の家の人に説明してあげるよ」
「……え゛」
良かれと思っての提案だと思うが、正直、嬉しくなかった。
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