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新しい職場に移って3ヶ月。
お給料は日給月給制で、休んだりしない限りは一定額の月額報酬がもらえる。
今はまだないけれど、有給休暇がつくようになれば、休んでもお給料に響かなくなる。
月々のお金の入りが大体把握出来たと感じた私は、両親に実家を出て一人暮らしを始めたい旨を打診した。
元々無駄を嫌う堅実な姉と違って、損得度外視で、一度言い出したら聞かないところのある娘だったからか、両親は「人様に迷惑をかけないこと」「困ったことがあったら包み隠さず親に相談すること」を条件に家を出るのを許可してくれた。
賃貸契約の際には「わしが保証人になってやるから」という父からの言葉に、私は「お父さん有難う」とお礼を言いながら、「家を出たい理由が不純でごめんなさい」と心の中で謝罪した。
***
アパートを探すことを決めてからは、仕事後、今までのようになおちゃんと実家近くのスーパーに集合するのをやめた。
ここ1週間ほどは、昔私が市役所で働いていた頃にふたりで昼休みを共に過ごした、なおちゃんの借りている庁舎近くの月極駐車場で落ち合っている。
いつもなら、会うなりなおちゃんの車に移動してイチャイチャするところだけれど、ここ数日はなおちゃんが私の愛車に移動してきていて。
私は助手席に座り直して、なおちゃんの運転で市内の不動産屋さんを巡る毎日。
なおちゃんは市役所の職員さんだけあって、市内のこと――特に地区ごとの治安の良し悪し――に詳しかった。
若い女の子が1人で暮らすならこことここは避けたほうがいい、逆にこの辺りはお勧め……など、私が知らないことをあれこれ教えてくれて。
不動産屋さんが、彼の知識に舌を巻いていたくらい。
お金さえ気にしなければ、セキュリティ面でも安心できる物件を借りることが出来るのだろうけれど、現実問題私が稼げる給料の中で、賃料に充てられる金額は5万円以内が関の山だった。
だから、せめて立地でぐらいは少しでも不安要素を減らしておくべきだと考えたみたい。
そういうところ、やはりなおちゃんは年上の男性なんだなという感じがして、とても頼り甲斐があった。
田舎なので贅沢を言わなければ、4万円程度の家賃でも、2LDKの物件が結構あって。
けれど、私には車もあるので駐車料金が別途発生することを考えると、賃料の上限は5万円から駐車料金や共益費などを差し引いた額で探さないといけない。
いくつかの不動産屋さんを回った結果、私が選んだのは市役所まで徒歩15分くらいの地区にある、山際の小さなアパートで。
鉄筋構造の2階建てで、1フロアに2世帯ずつ入れる、2LDKの築年数が結構経った古いアパートだった。
空きがあったのは、そのアパートの2階、階段側の部屋と1階の奥側の部屋だった。
なおちゃんが、女の子には2階以上の方が安全だからと言うので、物件選びの時も1階の部屋は最初から視野に入れていなくて。
このアパートでも、2階の部屋を見せてもらうことにした。
不動産屋さんの話によると、2階、奥にあたるお隣には老夫婦が、私が気にしていた部屋の真下には年配の女性が一人暮らしをなさっているみたい。
「ここなら治安も悪くないし、徒歩圏内にスーパーもある。外観は古いけど内装は改築済みで綺麗だし家賃も予算内で手頃だ。俺は割といいと思うぞ?」
一緒に部屋の下見に付いてきてくれたなおちゃんが、そう言ったから、右も左も分からない私は「だったらここでいいかな」と思う。
私がどうしても譲れなかった、バス・トイレが別々になっていると言う条件も、お風呂は追い焚きができたら嬉しいなという希望も、ここはクリアしていたし、何より一番心配だった家賃が、駐車料金や共益費込みで4万5千円と、とても現実的に思えて。
これなら、私の少ないお給料でもちゃんとやりくり出来る。
「ここに決めようかな」
そうつぶやいたら、なおちゃんが「いいね」というようにギュッと手を握ってくれた。
私の住む町には更新料や契約料のようなものもない物件が殆どだ。
私が借りようと決意したアパートも、そう言うのはなかった。
けれど、敷金礼金は必要で――。
それが、貯金を減らして結構痛いな、とか思ってしまった。
よくよく考えてみたら、ひとりで生活を始めるには何かと揃えなければいけないものだって多い。
洗濯機や電子レンジ、それに冷蔵庫くらいは最低限必要な家電かなと思うし……窓にはカーテンなども必要だ。
食器なんかは当面のところ実家からいくらか拝借してきたのを使うとして、そのお皿などの収納はどうしよう。
とりあえず3段ラックに仕舞うんでいいかな。
ベッドは実家で使っているのを持ち込もう。
使い回せるものはそれで済ませるにしても、買わないといけないものがいくつかあるのは事実だった。
月々の家賃さえしっかり払えるならば一人暮らしをスタートするのに困ることはないと思ってしまった浅はかな自分を、今更のように呪いたくなる。
なおちゃんが私の心配なんて知らぬげに、不動産屋さんとどんどん話を進めてしまうから……私は内心そわそわと焦ってしまった。
あれこれ思い浮かべていたらさすがに少し不安になって、「ちょっと待って欲しい」と彼の作業服の裾を引っ張ったら、「初期費用や当面必要な物なんかは俺が何とかするから気にするな。菜乃香は月々の家賃のことだけ考えていればいいよ」と頭を撫でられる。
「でっ、でもっ」
それではなおちゃんに負担がかかりすぎてしまう。
そう思って眉根を寄せたら、「ちょっと失礼」となおちゃんが不動産屋さんに声を掛けて、私を店外に連れ出した。
***
「なおちゃん……?」
何が何だか分からないうちに彼に手を引かれて付いてきた私は、不安になって恐る恐るなおちゃんを見上げる。
なおちゃんは私の方へ少し身を屈めると、「菜乃香が一人暮らし始めたいのって、俺のためでもあるんだろう?」って耳打ちしてきて。
私はそんなことなおちゃんには一言も言っていなかったから驚いてしまう。
「なっ、なんでそのこと……」
思わず言ったら、「やっぱりな」ってニヤリとされて。
私は彼にカマをかけられたんだと理解した。
「いつも車の中で、ばっかだったもんな。毎度ホテルっていうのも菜乃香が恥ずかしいだろうと思って誘えなかったけど……お前が一人暮らしを始めてくれたら、そういうの全部解決出来るんだよな」
そっと優しく頭を撫でられて、「そんなトコまで菜乃香に心配させて悪かったな」と謝られた。
私は何も言わなくてもなおちゃんが察してくれたことが嬉しくて、ふるふると首を振る。
「私こそ……なおちゃんに何も相談しなくてごめんね」
言ったら、「確かに寂しいって思ったけど……そこが菜乃香らしくもあんだよ」と微笑まれた。
「だったら尚更、だ。菜乃香のアパートは俺の家にもなるわけだし、あれこれ援助させてもらってもバチはあたらないと思うんだけど」
――な?と畳みかけられて、私は恐る恐る「ありがとう」とうなずいた。
なおちゃんはそんな風に言ってくれたけれど、頼るのは最初だけにしよう。
月々のお家賃については、自分で何とかやりくりする。
店内に戻って行くなおちゃんの後ろ姿を見るとはなしに眺めて付き従いながら、私はそんなことを思った。
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