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水瀬葵
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「金田、対象者カフェ入ったわ。僕、外で待っとくから、中入ってくれん?」
『暑がりの平井が外で待てるわけないでしょ。わたし、外で待つから』
尾行当日。
碧生と香夜は、佐田名の妻・さやかを朝から追っていた。
休日の街は賑わっている。今日は近くでヒーローショーがあるらしく、ヒーローの衣装を身につけた子供たちがちらほら目に入る。
さやかがカフェに入ったので、続くように碧生は店の前に立った。
いつもは使わない眼鏡をクイッと、かけ直した後、店のドアを開ける。
午前十時にオープンしたばかりのカフェには、まだ客はあまりいなかった。
「お好きな席へどうぞ」という店員の案内に従い、対象者の姿をぎりぎり視認できる奥の席へ座った。
『誰かと、待ち合わせしてるのかな』
「こら、金田。関西弁はどないした?」
『あぁ……なんで仕事中は関西弁喋らなあかんの?エセ感丸出しやん。わたし、関西出身じゃないんやけど』
「これも仕事のうちや。しゃーない、しゃーない」
『小林さん、変なとこだけやる気入れるんやから……仕事やりにくいわ』
二人が関西弁と偽名を使いながら調査するのには、ちょっとした理由がある。
それは先日の「白夜放置・盗撮事件」後のことだ。
詩夕が突然、こんなことを言い出したのだ。
「わたしたちさぁ、配信でめっちゃ有名になったわけじゃん?だから尾行調査中は対象者にバレないように、偽名と関西弁使わない?」
その提案を碧生は笑顔で受け入れ、香夜も偽名に対しては反対意見を出さなかった。配信で自分たちの名前が広まったということは、対象者にバレる確率も上がる。
それなら、偽名を使って周りにとけ込めるような格好をすれば、バレる確率はぐんと下がるということ。
話し合いの結果、碧生は「平井」、香夜は「金田」、詩夕は「小林」という偽名が与えられた。
だが──。
なぜ関西弁を使わなくてはいけないのか、逆に周りから浮いてしまって効果は無いのではないかと、香夜は聞いた。
すると。
詩夕は、当たり前のことを言うような顔で答えた。
「だって、そっちのが楽しくない?」
『仕事は楽しむものじゃないと思う』
碧生のワイヤレスイヤホンに、香夜の不機嫌そうな声が届く。気持ちはわからなくもない。
「詩夕……|小林ちゃんは大阪出身らしいで。だからめっちゃ関西弁流暢。ツッコミもキレキレやろな」
『小林さんはボケやろ、どちらかと言うと……それより、なんか動きある?』
店内は人が少なく、静かだ。
そのおかげで、さやかが店員に何を頼んだのかも筒抜けだ。
「コーヒー頼んでるよ、それだけ」
店員と客としての会話を終えたさやかは、iPhoneに視線を落としていた。
指がよく動いている。おそらく、誰かとLINEのやり取りをしているのだろう。
「待ち合わせしてるのは確実やろ。なにせ、佐田名に『友達と会う』って言っとんやから」
『不倫してないとええけどな』
口ではそう言うが、実際はどっちでもいいと思っていることを、碧生は知っている。
今は同調しておく。
「うん。なぁ、不思議に思ったことがあるんやけど」
『なに?』
言おうとしたところで、店員に声をかけられた。
「注文は、どうされますか」
「あっ、忘れてた。え〜、じゃあ。メロンソーダお願いします」
尾行中はあまり飲み物を飲まないように控えているが、今いる場所がカフェであることを忘れていた。
何も頼まず電話しているのは、おかしいだろう。
『メロンソーダねぇ、ふふっ』
コーヒーが苦手でジュースを言っただけなのに、香夜からは笑われる。心外だ。碧生は言い訳をする。
「ジュース頼んだだけやん。カフェインは身体に良くない、やろ?」
『ジュースも良くないけど』
「何を飲もうが勝手だろ。錠剤を飲めない妹よりかはマシ」
『うぐ……っ』
それ以上、反論はなかった。
妹相手に何をやっているんだと、少しだけ情けなく思いつつ、 さっき言いそびれたことを香夜に言った。
「さっきの続きやけど。結婚しとるのに、指輪、つけへんのやな」
ずっと、気になっていたことだ。
佐田名も、さやかも、指輪をつけていない。
今まで調査依頼に来た人も、尾行対象者も、結婚している人なら必ずと言っていいほど薬指に指輪を嵌めていた。
ときどき尾行対象者が、結婚していることがバレないように指輪を外していることもあった。けれど、夫婦揃って指輪をつけていないのは初めてだ。
『つけるのが嫌いなタイプとか?わたしの友達も「指輪邪魔」って言ってたし』
「そーゆーもんなの?」
『そーゆーもんらしい』
「僕はわからんな、つけたことないから」
碧生は、この発言を後悔した。変に香夜にからかわれる要素を作ってしまった。
電話越しでも、香夜が嫌な笑みを浮かべているのがわかる
『いつか、お揃いでつける人が現れるんじゃない?……そうだなぁ、小林さんとか?』
反射的に叫びそうになり、必死に口を抑えた。
店内で叫ぶなんて、迷惑だ。
心臓がうるさい。同時に恥ずかしさが込み上げてくる。
先日、悟に恋心を吐露したことを、思い出した。
──始まった、香夜の恋いじり。
「何、言ってんだよ。……あ、あの子は彼氏さんいるしっ」
『えぇ?ただ身近にいる異性の名前出しただけやのに、なんでそんな焦っとるん?』
白々しい台詞だ、苛立ちが加速する。
「仕事中やからってなんでも言ってええと思うなよ」
『はいはい。仕事に集中しますよーっと』
その後、三十分ほどは特に目立った動きはなかった。
さやかはコーヒーを飲みながら、ひたすらiPhoneを弄っている。
時折、画面を見て小さく笑う。それ以外に変わった様子はない。
碧生は香夜と会話をして、眠気を誤魔化していた。
運ばれてきたメロンソーダを少しずつ飲む。
咄嗟に頼んだが、実際メロンは好きではない。
「なぁ、代わりに飲みに来てや。メロン嫌い」
『飲めよ、自分で頼んだのに』
「ケチな妹」
碧生はあくびをした。
暇だから眠いわけではない。不眠症のせいで、いつだって眠気は唐突に襲ってくる。
香夜は何かを考えるように、しばらく黙っていた。
やがて、碧生に問うた。
『あの。不眠症で探偵って、結構欠点な気がするんやけど、なんで会社辞めた後探偵になったん?』
眠気でいっぱいになっていた頭に、水をかけられたような気分だった。
その問いは、聞かれたら困るものなのだ。
碧生は、ぐるぐると頭を回転させたが、適切な解答はひとつも浮かばない。
前に聞かれた時は「秘密」で何とか乗りきったが、今回は無理だろう。
唾を呑んだ。
そして、何も飾らない正直なことを、香夜に打ち明けた。
「……わからない、なんで探偵になろうと思ったのか」
『え?』
「なにか大きな理由があるとかじゃなくて、突然『探偵になろう!』って思った。探偵にならないといけない、使命?を感じた。天からの導きかな?」
『なにそれ』
「だろうな、僕もよく分からん」
香夜も碧生も、同時に苦笑した。
そんな時だった。
『あ、カフェに男の人が入る。もしかしたら──』
「了解」
碧生は伊達メガネをかけ直した。
この眼鏡には隠しカメラが仕込まれている。尾行には打って付けだ。
動きを追う。
入口が開き、一人の男性が店員に声を掛けられている。
男性は、さやかと年齢は近く見えた。綺麗に刈り上げられた髪と、清潔感のある服装。
さやかは、その男が店に入ってくるなり、席から立ち上がった。男も、さやかの方へ駆け寄る。
二人は、親しげに話し始めた。
「予想通り、接触した」
『これ、クロの可能性出てくるな』
「決めつけちゃダメ」
そうは言いつつ、こっそり写真を収めた。
二人はしばらく談笑して、会計へと足を運んだ。
会計へ向かう際も、会話が聞こえる。
「どこ行く?」
「決めてない……何がいいかわかんない」
「むずいよね、俺もいつも困る」
他愛のない会話をして笑う二人。
メロンソーダを一気飲みしながら、盗み聞きに専念する。 そして、止まることなく続く会話に出てきたある単語に、碧生は耳を疑った。
「……は?どういうこと?」
『なに、どうしたの』
さやかと男性の間で花開く会話に、何か裏の意味がないかと考え込んだ。
結果、そんなものないと結論づけた。
──なにそれ、なんで?
頭の中である程度整理が済み、香夜にこう言い放った。
「これ、さやかさん不倫してない。クロじゃない。純白や」
『え?なんで分かるん?』
その問いに、碧生は答えなかった。
不倫をしていないことは確実だ。それよりも。
「”依頼人が嘘をついてるんだよ”。……でも、なんで、そんな嘘ついたんだろうね。一緒に推理しようぜ、金田さん」
「意味わからん」
碧生が会計をしている間、香夜が一人でさやかたちを追いかける。
これからやるのは尾行ではない、嘘の解明だ。
「……あの、帰っていいかな?」
わたしは目立たないように声をひそめて、悟さんにお願いをした。
「ダメですよっ、猫屋敷さん!探偵のあなたがいないと、多分俺らすぐ見つかるって!」
わたし、なんでこんなことに巻き込まれてんだよ。
「悟も佐田名も……仕事中の碧生たちを尾行する必要は無いだろ。猫屋敷さんが迷惑そうな顔してるよ」
春樹さんの指摘に、わたしは大きく頷いた。全くのその通りである。
わたしは、なぜこんな状況になったのか、最初から思い返してみることにした。
始まりは、横断歩道の信号が青になるのを待っていた時だ。
わたしは今日すべきことを終えて、その出来についてため息をついているところだった。
物事が上手くいかなかった、何もかも。
これからどうすればいいのかとか、どうして自分はこんなことすら出来ないんだとか、未来への不安や自己憐憫が重なっていく。
そうやって思い詰めていた時。
「あ〜!猫屋敷さん!いいところに!」
遠くから、わたしの名前を誰かが呼んでいた。
わたしが顔を上げると、横断歩道のその先に、 碧生さんの幼なじみの悟さんと、春樹さんが立っているのが見えた。
うしろには、佐田名さんも見える。
まじかよ、どうしよう。
彼らに会って最初に思ったのはそれだ。
嫌な予感がしたんだ。
そして、嫌な予感が的中した。
見事、知らぬふりをすることに失敗したわたしは、悟さんに捕まって、公園へと連行された。
気分が落ち込んでたから、早く帰りたかったのに。
「えっ、あっ、なんですか」
なるべく平常心を保つ。
公園のベンチにわたしは座り、他の三人はわたしを見下ろしている。
わたしは、この悟さんが怖い。
何が怖いのか?
明確にはわからないけど、オーラが怖い。やばい。
最初に口を開いたのは、佐田名さんだった。彼は誰かに銃口でも向けられてるのかというくらい、深刻な顔をしていた。
でも、言葉はあまり深刻ではなかった。
「朝間をび、尾行するの、手伝ってもらえませんか?」
「……」
にゃ?
「え、意味わからんのやけど」
動揺しすぎて、関西弁まで漏れ出ている。
落ち着くんだ、もう一回、聞こう。
「どうしても、さやかの動きが気になって、調査の結果見るまで待てなくて……だから尾行しようとしてるんですよ」
ほう。妻の動きが気になるから、尾行している所を尾行しようってことか。それにわたしも手伝えと。
「あんたら、頭おかしいにゃ」
てっきり、妻宛の脅迫状でも届いたって言うのかと思った。
それくらい深刻な顔してたもんだから。
「あの……わたしが言うもあれだけど、探偵に依頼するのってめっちゃお金かかるでしょ?十万なんてすぐ超える。調査が長引いたら百万払ってもらうなんてのもざらにある。
そんな大金をあとから払うのに、なんで尾行するの?損してるよ」
普段ならこういう正論は香夜ちゃんが言っているけど、今や正常な人はわたししかいないのかもしれない。
丁寧に、そして、だいぶ誇張した説明をして断る方向に持っていこうとしたけど、それもまた失敗。
佐田名さんは汗を流しながらわたしに訴えた。
「それでも!いいんです!十万だろうが百万だろうが払うんで!……知りたいんです、俺はさやかのことを」
泣きそうな佐田名さんの肩を、悟さんが叩く。
「てなわけで、よろしくお願いします」
公園にそよ風が吹いた。九月の異常気象にほんの少しだけ涼しさを与えてくれた。
佐田名さんは、わたしの目をまっすぐ見つめていた。
YESという、回答を求めている。
「……うーん、無理!」
絶対協力する空気だったけど、あえて別のことを言ってみた。
佐田名さんも悟さんも、見守っていた春樹さんだって、あんぐり口を開けていた。
「情に訴えかけてもダメだにゃ、わたし帰る」
荷物を持って、公園をあとにしようと立ち上がった。
「待ってください!人数多い方がいいでしょう?ね?」
「しらんがな、勝手にやっておけば?」
ついに普通に喋るのも面倒になって、突き放した態度をとった。
でも──。
悟さんがこんなことを言い始めたから、わたしは協力することにした。
過去に戻れるなら、この時のわたしをビンタしたい。
「回転寿司のクーポン持ってます!五百円くらい安くなるやつ!」
「……」
帰ろうと動かしていた足を止めて、踵を返した。
「いいね、のった」
いや、わたしのせいじゃにゃいか。めっちゃ自業自得やん。
「猫屋敷さん!碧生、カフェから出てきました!」
「偽名を使いなさい」
「偽名の小林って、あれすっか?ミステリー小説のやつすか?」
「だったらなに?」
「好きなんですか?ミステリー小説」
「きらーい」
悟さんからの質問は、半ば適当に返していた。本当はミステリ小説は、大大大好きだ。わたしの人生を照らしたものとも言える。
……違うな、わたしではないな。
わたしだけど、わたしじゃないのか。
細かいことはどうでもいい。たかが五百円に釣られるなんてあほ以外のなんでもない。
尾行中の碧生さんたちを尾行する。
それに何の意味があるのか。わたしには分からない。探偵に依頼した意味が無い。
「猫屋敷さん……すみません。佐田名も兄も言うこと聞かなくて」
春樹さんが謝ってくる。
多分、この人は被害者なんだろう。まともな人である。
「それはまぁ、わたしも悪いし。それより、何その格好」
「え?」
休日なので、わたしは今日は髪型をポニーテールにアレンジしている。それに加えて、普段は絶対着ない、菜の花のような色合いのワンピースも着ている。
人は髪型が変わるだけでも印象が違う。この格好に、伊達メガネをつけたら、碧生さんたちにバレにくくなるだろうか。
それに比べて、なんだその男性陣の変装は。
「真っ黒の服と帽子に、サングラスとマスクって……怪しいって自分から言ってるようなもんだよ」
「えっ、じゃあ。どうしたら」
佐田名さんが尋ねてくるけど、「しらんがな」と言っておいた。尾行する気あるのか、この人。
碧生さんたちにバレない距離で、後ろからついて行く。この足取りだと、近くのショッピングモールに行くんだろう。
周囲にはヒーローのコスプレをした男の子たちが、楽しそうに両親と手を繋いでいる。
「猫屋敷さんって、今日、彼氏とのデートって言ってませんでした?今更ですけど、大丈夫すか?」
「今更すぎるだろ」
佐田名さんが悟さんに至極真っ当なツッコミをしてくれたおかげで、答えを考える時間があった。
「体調悪くなったらしいんで、急遽なくなった」
それ以上深く尋ねてくることはなかった。誰にも聞こえない程度の、安堵のため息を漏らす。
わたし以外は尾行初心者。そもそも動機も不明で、対象者は碧生さんたちが尾行している、佐田名さんの妻。
碧生さんは、探偵としての経験はわたしよりもあるから、危険だ。私服だといえど、顔も知られてるし、コンディション最悪。
これ……無事にバレずに終わるかなぁ……?
もう一回、さっきと違って大きくため息をした。
「猫屋敷さん、大丈夫すか?」 悟さんが顔を覗き込んでくる。大丈夫じゃない、あなたたちのせいで。
「小林って呼びなさい」
「やっぱり猫屋敷の方が珍しくてインパクトあるんで無理です」
「尾行する気あんの?」
「悟……あんまり真面目にやらないとバレるよ」
春樹さんが困った笑みを浮かべている。心なしか少し顔が疲れているように見えてしまった。おつかれ。
「……さやか」
佐田名さんは、不安そうに碧生さんの背中を見つめていた。
次回。
第二章/四話 「靴の紐が解ける」
コメント
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碧生さんがシロと断言した理由が 気になります😳 関西弁台詞が素敵✨今度、新作の台詞監修お願いしたいくらいです。