リリアンナは、ラウから指示を受けた侍女頭マルセラの案内を受け、ナディエル、ランディリックとともに屋敷内へ入る。入ってすぐ、玄関ホールから見渡せる位置に大きな階段があった。
マルセラは二階の部屋へ皆を案内するつもりらしい。侍従らが、荷馬車から下ろしたランディリックとリリアンナの旅箱を捧げ持ち、一行のあとへ続く。
「リリアンナお嬢様は昔使っていらしたお部屋にご案内いたしますね。お付きの侍女様はそのお隣のお部屋、侯爵閣下様はお嬢様の向かいのお部屋を用意させて頂いています」
リリアンナの使っていた部屋の向かい側の部屋は両親が使っていた部屋だ。リリアンナが一〇歳の時――両親の死をきっかけに叔父一家が移り住んできてからは、叔父のダーレンとその妻のエダが占拠してしまった。当然のように、リリアンナがいまから案内されようとしているかつての自室は、従妹のダフネに奪われた。
そうしてリリアンナは――。
ふと階段下にある物置部屋の扉に視線を向けて立ち止まってしまったリリアンナに、ナディエルが「お嬢様?」と声を掛ける。
「あ、な……なんでもないっ」
言って階段を登り始めたリリアンナだったけれど、そこで過ごした二年間は地獄のようだった。
(お父様、お母様……)
そのつもりはなくても、ウールウォード邸には色んな思い出が詰まり過ぎている。どうしても亡き両親のことを思い出して切ない気持ちになってしまった。
「リリー。無理に気持ちを押し殺す必要はないんだからね?」
そんなリリアンナの心の機微を、ランディリックは見逃さない。ほんの少し身体をかがめるようにしてリリアンナの耳元でそうささやいてくる。
「ランディ」
呼んで、潤んだ瞳でランディリックを見上げたら、革鞄を持っていない側の手を優しく繋がれた。
ナディエルは、そんな主人らの様子を数歩下がったところで見詰めながら、何も聞こうとはしなかった。きっと、リリアンナが話す気になったら、ポツポツとでも語ってくれるだろう。ナディエルはその時を待つつもりでいる。
十二歳までを、ここで暮らしていたリリアンナを知る侍女頭のマルセラにも、彼女の事情が分かっているんだろう。
立ち止まってしまったリリアンナを急かすことなく、静かに待ってくれていた。
やがて、かつての――自室の前までやってきたリリアンナは、グッと革鞄を持つ手に力を込める。手は繋いでいないのに、すぐ横にランディリックの気配が寄り添ってくれているのが、どこか心強くて……。その温もりを感じながら、リリアンナはマルセラが扉を開けてくれるのを待った。
ドアが開くなり視界に飛び込んできたのは、若草色のカーテン。
ヴァン・エルダール城の自室を彷彿とさせる、そのカーテンはあちらのものより少しだけ色が濃かった。
かつてダフネが使っていた金糸銀糸をふんだんに織り込んだ豪華絢爛たる重厚なカーテンが取り払われていたことに少なからずホッとしたリリアンナである。
でも――。
脳裏によみがえるのは、薄桃色の柔らかな布がふわりと揺れる光景。
春の風に透ける、陽だまりの色。
部屋全体が淡い桃色に染まるのが好きだった。
今、ある若草色のカーテンだって全然悪くない。むしろ住み慣れたヴァン・エルダール城を思い出させてくれて心地いい。そのはずなのに。
「リリー?」
背後からランディリックの声。リリアンナは、その声に、すぐ振り返ることが出来なかった。
「……あ、あのね、ヴァン・エルダール城のお部屋みたいで驚いたの。それだけ」
リリアンナはギュッと革鞄の持ち手を握り直すと、いつもの笑顔を作ってランディリックを見上げた。
「……そうか」
けれど、ランディリックはリリアンナの揺れる瞳にほんの少し混じる影を見逃さなかった。
ランディリックの視線が、リリアンナの肩越しにそっと部屋へ巡り、そして――わずかに揺れた彼女の睫毛へ静かに戻ってくる。
ランディリックはリリアンナの頭をふわりと優しく撫でると、気を取り直したようにマルセラへ向き直った。
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