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5分だけ
「5分だけ、時間をちょうだい」
彼女は、そう言った。
駅のホームに電車が滑り込んでくる。
夕方の風が、彼女の髪を揺らしていた。
「5分だけって、何?」
僕が聞くと、彼女は笑った。
「5分だけ、私のこと好きだった頃に戻ってほしい」
意味が分からなかった。
僕たちは3日前に別れたばかりだった。
理由は、よくあるものだった。
嫌いになったわけじゃない。
喧嘩が増えたわけでもない。
ただ、少しずつ違う方向を向いてしまった。
彼女は東京へ行く。
僕はこの街に残る。
それだけだった。
「….5分でいいの?」
「うん」
「そのあと、どうするの?」
「知らない」
彼女は笑った。
泣きそうな顔で笑う人を、僕は初めて見た。
僕は時計を見た。
午後5時12分。
「じゃあ、5分だけ」
そう言った瞬間、彼女は僕の手を握った。
付き合っていた頃と同じ握り方だった。
少し冷たい手。
僕の指に、自分の指を絡める癖。
「懐かしいね」
「うん」
「覚えてる?」
「何を?」
「初めて手を繋いだ日」
覚えていた。
夏祭りの日だった。
人混みではぐれそうになって、彼女が僕の袖を掴んだ。
そのまま、手を繋いだ。
帰り道、彼女は1度も僕の手を離さなかった。
「覚えてるよ」
「そっか」
彼女は少しだけ笑った。
そして言った。
「じゃあ、次」
僕たちは駅を出た。
昔よく行ったコンビニで、彼女はアイスを2つ買った。
「半分こしよ」
「子供みたい」
「5分だけだからいいの」
ベンチに座って、2人でアイスを食べた。
彼女はひと口食べて、
「やっぱりこっちの味が好き」
と言った。
「昔からそればっかりじゃん」
「覚えてるんだ」
「当たり前だろ」
「そっか」
彼女はまた笑った。
時計を見る。
午後5時15分。
残り2分。
「ねぇ」
「ん?」
「私たち、楽しかったね」
「うん」
「いっぱい喧嘩したけど」
「うん」
「いっぱい泣いたけど」
「うん」
「それでも、楽しかった」
僕は答えられなかった。
残り1分
彼女が僕の肩に頭を乗せた。
「ねぇ」
「何?」
「もし5分じゃなくて、1時間だったら? 」
「….どうだろう」
「1日だったら?」
「分からない」
「1年だったら?」
僕は笑った。
「それ、もう別れなくていいじゃん」
彼女も笑った。
でも、その目から涙が落ちた。
午後5時17分。
5分が経った。
彼女は僕から離れた。
「ありがとう」
「うん」
「これでちゃんと、さよならできる」
「….そっか」
彼女は立ち上がった。
駅へ向かう。
僕は追いかけなかった。
追いかけてしまえば、きっと5分じゃ済まなくなる。
だから、ただ見送った。
改札の前で、彼女が1度だけ振り返った。
そして口だけ動かした。
──5分だけ、好きだった。
僕には、そう見えた。
電車が出ていく。
窓の向こうで、彼女が小さく手を振っていた。
僕も手を振った。
電車が見えなくなってから、スマートフォンを見る。
午後5時18分。
たった6分。
たった6分だった。
なのに僕は、その6分を一生忘れない気がした。
そして思った。
人を好きになるのに、5分はいらない。
5分あれば、
忘れられなくなるには、
十分だった。
きつねこ🙄🩵
コメント
8件
うわあ、たった6分の出来事なのに、読んでる間ずっと胸がぎゅっとしてた。別れた後に「5分だけ昔に戻ってほしい」ってお願いするの、すごく切ないし、その「5分」が終わったあとの彼女の「ありがとう」が刺さる……。時間制限があるからこそ、指を絡める仕草とかアイスを半分こするシーンが一層愛おしく感じられた。最後の「5分あれば、忘れられなくなるには、十分だった」って一文、めちゃくちゃいい。タイトル回収も美しかったです。