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第141話:謎の英語フォーム『W-8BEN』〜黒船来航と、アメリカの税金〜
「……やっぱり、労働は裏切らないな」
帯広のボロアパート、四畳半。
俺は三万円のゲーミングチェアの上であぐらをかき、一日一食の玄米おにぎりをモソモソと噛み締めながら、しみじみと呟いた。
数百万円を為替の闇に溶かした、あの『円高ショック』から数日。
結愛(ゆあ)の物理的な制裁(バインダー攻撃とルーター切断)によって完全にFXから足を洗った俺は、心を入れ替え、VTuber事務所の社長としての本業に専念していた。
画面の中では、我が社のズボラ猫耳娘『ヨモ』が、相変わらず気だるげな英語で海外リスナー相手に雑談配信をしている。
『Yeah, my boss lost a lot of money in FX. He was crying like a baby. I think he’s eating brown rice everyday now to survive.(そうそう、うちのボス、FXで大金溶かしたんだよね。赤ん坊みたいに泣いてた。今は生き延びるために毎日玄米食ってるっぽい)』
『SuperChat: $50.00 (Poor Super Bottom Boss… Buy him some meat!)(スパチャ50ドル:可哀想なスーパーボトム社長……彼に肉を買ってあげな!)』
『SuperChat: $100.00 (I will fund his taxes!)(スパチャ100ドル:俺が彼の税金を払ってやるよ!)』
「……おいヨモ。なんで俺のFXの大損が、すでに海の向こうのリスナーたちの面白エピソード(コンテンツ)として消費されてるんだよ。俺の尊厳はどうなってるんだ」
俺が裏回線で文句を言うと、ヨモはあくびのモーションを挟んで答えた。
『You should be thanking me. Your misery is highly profitable.(感謝しなよ。あんたの不幸、めっちゃ金になるんだから)』
その言葉通り、ヨモのチャンネルの収益は、俺の不幸を燃料にして右肩上がりに伸びていた。
「まあ、いいさ。恥をかいても、口座の残高が増えるならそれでいい。これが地道に働くってことだ……ん?」
俺がYouTubeの収益管理画面(AdSense)を開いた、その時だった。
画面の上部に、見慣れない【真っ赤な警告バナー】がデカデカと表示されていることに気がついた。
『重要:すべてのYouTubeクリエイターは、税務情報を提出する必要があります。米国の税金が控除されるようにするため、できるだけ早く税務情報を提出してください。』
俺は首を傾げた。
「税務情報? なんだこれ。日本の確定申告ならまだ先だろ? なんでYouTubeに直接税務情報を出さなきゃならないんだ?」
俺がマウスで警告バナーをクリックすると、画面が切り替わり、ずらずらと『英語の長文』と、見慣れないアルファベットの羅列が現れた。
そこには、こう書かれていた。
【W-8BEN フォーム(米国源泉税に対する受益者の非居住証明書)】
「ダブリュー、エイト、ベン……?」
俺は玄米おにぎりを飲み込みながら、画面に顔を近づけた。
「なんだこのベンって外人は。ディス・イズ・ア・ペンなら知ってるけど、ベンなんて名前の奴に心当たりはねえぞ。……どうせ海外向けのよくわからんアンケートだろ。英語ばっかりで読む気もしねえし、面倒くさいから『後で通知する』ボタンを押して無視っとこ」
俺がマウスのカーソルを『閉じる』ボタンに向けた、まさにその瞬間だった。
『――お待ちください、ルシフェル様。そのバナーを閉じるのは、自ら首に縄をかけるのと同じ行為です』
ディスコードの向こうから、冷徹な経理担当・結愛の氷点下ボイスが飛んできた。
「は? なんだよ結愛。ただのアンケートじゃないのか?」
『アンケートなどという生ぬるいものではありません。それは、アメリカ合衆国政府……正確には、【IRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)】からの、絶対的な通達です』
「アイアールエス……? アメリカの税務署ってことか?」
『税務署というレベルではありません。IRSは、日本の国税庁すらも震え上がるほどの強大な権力と情報網を持つ、世界最強の徴税機関です。彼らは今、ルシフェル様にこう言っているのです。「お前がYouTubeで稼いだ金のうち、アメリカ人が落とした金には、アメリカの税金をかけさせてもらうぞ」と』
「……は?」
俺の動きが、完全に停止した。
「あ、アメリカの税金!? なんで日本の帯広の四畳半に住んでる俺が、アメリカの税金を払わなきゃなんないんだよ!!」
『YouTubeはアメリカの企業だからです。そして、ヨモさんのリスナーの多くはアメリカ国内の視聴者です。アメリカの法律では、自国から発生した利益に対しては、例え外国のクリエイターであっても税金を徴収する権利があるのです』
結愛の言葉に、俺の脳内のインボイス電卓が激しく警鐘を鳴らし始める。
『ルシフェルさん。結愛さんの言う通りです』
ここで、AIアシスタントのジェミニ先生が、無機質かつ残酷なデータを補足してきた。
『もし、この【W-8BEN】という税務情報のフォームを提出せずに放置した場合、IRSは「このクリエイターの素性がわからない」と判断し、ペナルティを科します。具体的には、ヨモさんが稼いだすべてのYouTube収益に対して、最大で【24%】、あるいは米国視聴者からの収益の【30%】を、問答無用で【源泉徴収(天引き)】として没収します』
「さんじゅっ、ぱーせんと……!?」
俺は三万円のゲーミングチェアから飛び上がり、頭を抱えた。
「おいおいおいおい!! ふざけんなよ!! 30%もアメリカに持っていかれたら、どうなる!? 残った70%の金が日本の口座に入ってきて、そこからさらに日本の国税庁に法人税と消費税と事業税をガッツリ持っていかれるんだぞ!!?」
『はい。いわゆる【国際的な二重課税】の地獄ですね。もしフォームを提出しなければ、ルシフェル様の手元に残る利益は、良くて3割、悪ければ税金の支払いでマイナス(赤字)に転落する可能性があります』
「あばばばばばばっ!!」
俺は四畳半の畳でのたうち回った。
日本のインボイス制度だけでも、四十歳の精神を崩壊させるには十分すぎる破壊力だった。
それなのに。
ついに、太平洋を越えて、世界最強の国家権力(アメリカ)までが、俺の細々とした売上をむしり取りにやってきたのだ。
「黒船だ……。ペリーの来航だ……ッ!! 開国(税金)を迫ってきてる!! 助けてくれ結愛!! なんで俺たちみたいな吹けば飛ぶような零細企業が、アメリカと税金バトルをしなきゃなんないんだよォォ!!」
『泣き喚いている暇はありません、ルシフェル様。幸いなことに、日本とアメリカの間には【日米租税条約】が結ばれています』
結愛が、淡々と救いの(しかし険しい)道を提示する。
『このW-8BENフォームに正しく情報を入力し、「私は日本の居住者であり、租税条約の適用を受けます」とIRSに宣言すれば、この恐ろしい30%の源泉徴収税率を【0%】に免除してもらうことができるのです』
「マ、マジか!? ゼロになるのか!! やる! 絶対にやる!! なんで最初からそう言ってくれないんだ!!」
俺は這い上がるようにしてモニターの前に戻り、震える手で『税務情報を追加』のボタンをクリックした。
よし、日本の住所と名前を書いて、送信するだけだろ。それくらい、中学レベルの英語力(ディス・イズ・ア・ペン)でもなんとかなるはずだ。
俺は気合を入れて、入力フォームの第一項目に目を向けた。
【Do you have a US TIN or Foreign TIN?(米国のTIN、または外国のTINを持っていますか?)】
「……ちん?」
俺はフリーズした。
「おい結愛。いきなり意味がわからねえぞ。TIN(ティン)ってなんだよ。ブリキのオモチャか?」
『Taxpayer Identification Numberの略です。納税者番号のことですね。ルシフェル様の場合、個人事業主なら【マイナンバー】、法人であれば【法人番号】がそれに該当します』
「法人番号……!! これ、アメリカのGoogleの画面に、うちの法人番号を直接打ち込むのか!? 怖すぎるだろ!! 情報漏洩したらどうすんだよ!!」
『提出しなければ30%没収です。お好きな方をお選びください』
「打ち込みます!! 喜んで法人番号をアメリカ様に献上させていただきます!!」
俺は涙目で、十三桁の『法人番号』を打ち込んだ。
しかし、地獄はそこからだった。
【Claim of Tax Treaty Benefits(租税条約上の恩恵の申し立て)】
【Article and paragraph(条項と段落)】
【Withholding rate(源泉徴収税率)】
次々と立ちはだかる、難解すぎる英語の税務・法律用語の壁。
翻訳アプリを使っても、「第12条第1項」「使用料(ロイヤルティ)」など、日本語に変換されたところで意味が全く理解できない専門用語のオンパレードだった。
「わ、わからん……! 全然わからん!! 条項ってどれを選べばいいんだ!? もし間違った選択肢をポチったら、アメリカの税務署に虚偽申告で逮捕されて、FBIが帯広の四畳半に突入してくるんじゃないのか!?」
『大げさですね。ですが、不備があればフォームは承認されず、容赦なく税金が引かれます。さあ、ルシフェル様。辞書とGoogle検索を駆使して、アメリカとの国際税務バトルに勝利してください』
「鈴木さァァァァん!!」
俺は、帯広市役所のケースワーカー(国内の天敵)の名前を叫びながら、頭を掻きむしった。
「日本の確定申告すらジェミニ先生に泣きつきながらやってるのに!! なんで俺が、アメリカの税法まで勉強しなきゃなんないんだよォォ!! 誰か……誰か俺の代わりに『ベン』と戦ってくれぇぇぇ!!」
稼げば稼ぐほど、襲いかかってくる税金の魔物は巨大化していく。
底辺VTuber事務所の社長は、四畳半のボロアパートに響き渡る絶叫と共に、インボイスを超える未知の恐怖【IRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)】との、絶望的な翻訳プロレスへと身を投じていくのであった。
コメント
1件
いや〜、また来たねこの絶叫シリーズ!笑 前回のインボイス地獄に続いて今度はアメリカのIRSかよ…「W-8BEN」って名前だけでもう拒否反応出そうになるわ。でも結愛の「自ら首に縄をかけるのと同じ」って冷静なツッコミと、ジェミニ先生の残酷な補足データのコンボがめっちゃ刺さった。日本の税金だけで手一杯なのに、世界最強の徴税機関と戦わされる社長の絶叫、帯広の四畳半に響き渡ってそうで笑った。でもこういうリアルな社会の壁をギャグにするの、めちゃくちゃ好きだわ🔥
191
레몬인
201
そあち♡໒꒱
88
なんたろ
1