テラーノベル
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翌日、夜の七時を回った頃、柊吾は狭い台所で一人、夕食の準備をしていた。
といっても、フライパンで出来合いの惣菜を温め直し、作り置きの味噌汁を火にかける程度のものだ。母の分を器に盛り付け、自分の分を用意しようとした、その時だった。
コンコン、と軽く扉を叩く音が響いた。
インターホンではなく、壁越しに聞こえる直接的なノックの音。
柊吾の背筋がピクッと強張る。おそるおそる玄関に向かい、鍵を外してドアを数センチだけ開けた。
「――こんばんは」
ドアの隙間から覗いたのは、やはりというか当然のように瑞樹の顔だった。昨日と同じ爽やかな笑みを浮かべているが、その手には大きめのタッパーが二つ、重そうに抱えられている。
「あの、何か……?」
「いえ、引っ越し早々すみません。ちょっと……料理を作りすぎてしまいまして。一人じゃとても食べきれないので、よかったらお裾分けさせていただけないかと思いまして」
「えっ……あ、いえ、お気持ちだけで――」
関わりたくない一心で断ろうとした、その背後からパタパタと軽い足音が近づいてきた。
「柊吾、どうしたの? あら! だあれ? 凄くイケメンじゃない。何処かの劇団の方かしら? それとも、柊吾のお友達?」
「ち、ちょっ母さん!」
「……こんばんは。隣に引っ越してきた黒瀬です。少し、夕飯を作りすぎてしまったのでお裾分けをと思いまして」
「まあ、そうなの? 嬉しいわ。ありがとうございます」
真理子は柊吾の手をすり抜け、手放しで歓迎するように瑞樹からタッパーを受け取ってしまう。
「母さん、勝手に貰ったらダメだって――」
「あら、ご近所付き合いは大事よ。黒瀬さん、ありがとうございますね」
「いえ。口に合うと良いのですが。……では、僕はこれで」
外堀を埋めるスピードがあまりにも早すぎる。瑞樹は深々と頭を下げると、風のように爽やかに自分の部屋へと戻っていった。
残されたのは、受け取ってしまったずっしりと重いタッパーと、上機嫌な母。
あの男は一体何をしに来たのだろうか? 本当に作り過ぎただけ? それとも、何か別の目的が……?
怪しいセールスの為にウチの内情をリサーチしている、とか? 認知症の女性は特に詐欺に遭いやすいと言うし。
(……当然の警戒だ。見知らぬ男が突然隣に引っ越してきて、翌日に手料理を持ってくる。怪しまない方がおかしい)
柊吾は深くため息をつき、頭を抱えながら居間へと戻った。すると――。
「――母さん!」
ハッとして顔を上げればテーブルの前に座った真理子が、タッパーのフタを開けて、もう箸を伸ばしていた。
「美味しいわよ、柊吾。食べてみて」
「……勝手に開けないでよ」
止める間もなかった。柊吾は諦めてため息をつき、向かいに腰を下ろす。
開いたタッパーからふわっと出汁と甘辛い醤油の香ばしい匂いが、すでに居間に満ちていた。
「ほら、早く食べましょ?」
一口食べた真理子が嬉しそうに声を弾ませる。柊吾も渋々箸を伸ばし、肉じゃがのじゃがいもを口に運んだ。
舌の上で、ほろりと崩れる。
出汁が芯までしっかりと染み込んでいるのに、型崩れすらしていない。上品で、けれどどこかホッとする、完璧な味付けだった。
#びーえるちゅうい
そあふぃー
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コメント
1件
第10話、めっちゃいい感じだった!柊吾の警戒心と、母さんがゆるっと受け入れちゃうギャップがリアルで笑った。でも、あの肉じゃがの描写で一気にほっこりしたわ。出汁染みてて崩れないって、相当な腕前じゃん?瑞樹、何者なんだろ…。次も気になる!