テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ゆゆゆゆ
ゆゆゆゆ
#Paycheck
ゆゆゆゆ
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「……ごめん、明日早いから」
ぽつりと落とす。
チャンスの視線を受けながら、エリオットはそのままベッドに入る。
背を向ける形。
「……」
チャンスは何も言わない。
ただ、その場に立ったまま、しばらく動かなかった。
部屋の空気だけが、妙に重い。
エリオットは目を閉じる。
眠るつもりはない。
ただ、これ以上何も考えないために。
それでも――
浮かぶ。
さっきのキス。
“違った”感覚。
そして――
“あっちの方が近かった”という、最悪の実感。
「……」
小さく息を吐く。
聞こえないように。
そのまま、意識を沈める。
朝。
まだ暗さが残る時間。
エリオットは静かに起きる。
隣を見る。
チャンスは、寝ている。
表情は穏やかで、何も知らないみたいに見える。
「……」
一瞬だけ、見つめる。
何かを確かめるように。
けれど――
何も分からない。
視線を外す。
音を立てないように準備をして、部屋を出る。
ドアが閉まる音。
その瞬間。
ベッドの上で、チャンスの目が開く。
店。
朝の仕込みの匂い。
まだ客の少ない静かな時間。
エリオットはいつも通りの動きで作業を始める。
生地を伸ばす。
具材を並べる。
手は、問題なく動く。
「……」
頭は、全然追いついていない。
“違う”
その感覚が、ずっと残っている。
同じはずなのに。
同じであるべきなのに。
どうしても、比べてしまう。
「……っ」
無意識に、手が止まる。
ソースを塗る途中で。
「おい、エリオット」
奥から声が飛ぶ。
「手止まってるぞ」
「ああ……悪い」
すぐに動かす。
いつも通り。
何も問題ないふりをして。
けれど――
集中できない。
頭の中で、何度も繰り返される。
“さっきの方が近かった”
「……はあ」
小さく息を吐く。
自分でも分かっている。
おかしい。
普通じゃない。
それでも。
消えない。
むしろ――
確かめたくなる。
どこが違うのか。
何が足りないのか。
「……」
視線が、無意識に入口へ向く。
来るはずない。
分かっている。
それでも。
どこかで、期待している。
「……来るなよ」
小さく呟く。
自分に向けて。
来たら、また――
戻れなくなる。
「そろそろ小麦粉届く時間じゃない?」
スタッフが言う。
「じゃあ俺見てくるよ」
エリオットは軽く手を拭いて裏口に向かう。
忙しいと、考えこまなくて済む。
裏口の扉を開ける。
日差しの当たらない路地の奥に。
――黒い影。
フェドラ帽。
「……」
喉が、わずかに鳴る。
来るなと思ったのに。
来てほしいとも思っていた。
矛盾。
そのまま、目が合う。
マフィオソが、わずかに笑う。
「……早いな」
低い声。
まるで、分かっていたみたいに。
エリオットは何も言わない。
ただ――
少しだけ、目を逸らす。
完全には、逸らさない。
心の中で、はっきりしている。
――落ちてる。
まだ、完全じゃないだけで。
確実に。
日常が、もう“日常じゃない”。