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親族の集まりから数日
会社では、私と徹さんの婚約の話が定着し、祝福の嵐に包まれていた。
左手の指輪が
いつか堂々と薬指に光る日を夢見て、私は仕事に打ち込んでいた。
しかし、そんなある日の昼下がり──
営業部のフロアに、派手な靴音を響かせて一人の男が現れた。
「──よお、徹。随分と鼻の下を伸ばしてるじゃないか」
低く、どこか楽しげに人を食ったような声。
顔を上げると、そこには徹さんと同じくらいの長身で
仕立てのいいイタリア製スーツを着こなした男が立っていた。
「……柏木か」
徹さんの声が、一瞬で温度を失った。
柏木湊。
徹さんと同期で、入社以来ずっと成績を競い合ってきたライバル。
一年前から上海支社に飛ばされていたはずの彼が、なぜ今ここに。
「上海から呼び戻されたんだよ。……それより、驚いたな。あの『鉄の仮面』の高橋徹が、こんな大人しそうな子に夢中だなんて。……田中結衣さん、だったっけ?」
柏木さんは私のデスクに手をつき、至近距離で覗き込んできた。
徹さんとは対極にある、鋭く、攻撃的な色気を纏った瞳。
「……は、初めまして、柏木さん」
「丁寧だね。でも、徹は気をつけておいた方がいいよ? こいつは欲しいものを手に入れるためには、平気で『嘘』をつく男だから」
柏木さんの言葉に、心臓が跳ねた。
「嘘」。
それは、私と徹さんの始まりの言葉。
「……何が言いたいんだ、柏木。仕事の話なら会議室で聞く」
徹さんが私の前に割り込み、柏木さんの視線を遮る。
「冷たいな。歓迎会でも開いてほしいところだけど…実はさ、俺、上海で面白い話を聞いたんだ」
「……何の話だ」
「徹、お前……一年前、あるパーティーで俺の婚約候補だった女性を冷たく振ったよな?」
「……それがどうした」
「その時、お前言ったよな。『俺には心に決めた人がいる』って。……でも、その時期、お前はまだ田中さんと出会ってすらいないはずだ」
柏木さんの目が、楽しそうに細められた。
「嘘の上に嘘を重ねる。それがお前のやり方か。…田中さん。君、この男が隠している『本当の目的』に気づいてないんじゃない?」
「……本当の、目的?」
徹さんの背中が、一瞬だけ硬直した。
私は、徹さんの顔を見ることができなかった。
「おっと、これ以上は営業妨害か?…じゃあな、徹。これから同じフロアだ。たっぷり楽しもうぜ」
柏木さんは高笑いしながら去っていった。
残されたのは、重苦しい沈黙。
周りの社員たちが好奇の目で私たちを見ている。
「……結衣。今のあいつの言葉は気にしなくていいから」
徹さんが振り返り、私の肩を掴む。
でも、その瞳は、何かを隠しているように揺れていた。
親族に認められ、すべてが本物になったと思っていたのに。
徹さんの過去という闇から、新たな「嘘」の匂いが漂い始めていた。
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おまる