テラーノベル
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初体験に耽溺し、頭が興奮していたからだろうか。
早朝に目を覚ました春佳は、サリ……と枕に髪を擦らせて横を向いた。
隣には冬夜がいて、長い睫毛を伏せて静かに寝入っている。
時刻は五時半すぎで、窓の外には黎明の空が広がっていた。
暗い海と空の遙か彼方にオレンジ色の光が宿り、真っ黒だった海も僅かに明るくなり、波の動きが分かるようになっている。
(……朝焼け、見たいな)
寝ぼけながらそう思った春佳は気怠い体を起こし、兄を起こさないようにベッドから下りて、海を一望できる露天風呂に向かった。
かけ湯をして体を軽く洗ったあと、つま先でお湯の温度を測ってから温かな風呂に身を沈ませる。
「あぁ……、気持ちいい……」
毎日ちゃんと風呂に入っていたはずなのに、心身共に疲れ切っているからか、湯の温かさがじんわりと体に染みわたる。
腕を真上に上げて伸びをしたあと、春佳はうっとりと息を吐いて海の彼方を見た。
(……しちゃった)
初体験で痛かったが、とても素晴らしい経験だった。
気持ち良かったかと言われたら即答できないが、好きな人と一つになれた悦びは、何ものにも代えがたい。
あれほど絶望し、死んでもいいと思っていたのに、想い人と愛し合った翌朝は、生まれ変わったような心地になっている。
(……私……)
その時ガラッとドアが開いたと思うと、冬夜が「寒ぃ」と言いながら大股に歩み寄ってきて、浴槽に入ってきた。
「えっ……!? えっ!?」
慌てた春佳は、一瞬兄の裸身を見てしまったあと、サッと海のほうを向く。
「寝てたんじゃなかったの?」
「目が覚めた。……そんなに深く寝てなかったから」
起こしてしまったと思った春佳は、「ごめんなさい」と謝って顎まで湯に浸かる。
二人とも無言で海を眺めていたが、先に口を開いたのは冬夜だった。
「ありがとうな」
「え?」
感謝される事をしただろうかと思って兄を見ると、彼は穏やかな顔で微笑む。
「春佳の大切な初体験、俺なんかにくれてありがとう」
理由を聞かされ、彼女はゆるりと首を横に振った。
「『俺なんか』って言わないで。お兄ちゃん以外の人に抱かせる体は持ってない。お兄ちゃんだから抱いてほしかったの」
冬夜は反省したように頷いたあと、ポツリポツリと語り始めた。
「……俺はずっと性的な事を避けてきた。性暴力を受けたからこそ、自分が誰かを抱くなんて思いつかなかった。誰かを抱くって事は犯罪的で、相手を傷つける事だと思っていた」
春佳は湯の中で兄の手をそっと握る。
「だから昨晩は本当に初めてだった。上手くできたか分からないけど、……それでも、できて良かった。……生まれて初めて好きな女性を抱けて、自分の中にある〝男〟をポジティブな意味で認められた気がしたんだ」
冬夜は声を微かに震わせ、目を瞬かせる。
「今までモテる男と言われていたけど、そう言われて嬉しかった事なんて一度もなかった。女性からもてはやされ、男から妬まれたけど、この容姿も学歴も仕事も金も何もかも、ポジティブに捉えた事なんてなかった。俺のスペックはすべて、自分の人生に打ち勝つために培ったものだ。それを求める女に嫌気が差したし、男に嫉妬されるたび『それならこの人生を代わってやるよ』って言いたくなった」
冬夜は春佳の手を握り返す。
「……でも春佳となら、そのままの自分を受け入れられる」
冬夜は小さな水音を立てて春佳に向き直り、彼女を見つめた。
「俺に抱かれて嬉しかった?」
尋ねられ、春佳は「うん」と頷いた。
彼女の返事を聞き、冬夜は泣きそうな表情で笑う。
「俺も嬉しかった。これでもう後悔はない……、と思いたかったけど、こんな素晴らしい事を二度と味わえないのかと思ったら、勿体なくなった」
言ってから、彼は照れくさそうに笑った。
「私も、勿体ないって思った。……死ぬならいつでもできる。……本当に絶望して『もういいや』ってなる前に、私は大好きな人と、お兄ちゃんと一緒に生きていきたい」
自分の希望を口にする事は、なんと勇気がいるのだろう。
抑圧されて生きてきた春佳にとって、何かを「したい」と意思表明するのは難しい事だった。
今までは周囲に流され、「みんながするなら自分も」というように生きてきた。
でも今だけは、ハッキリと自分の生き方を選択しなければならないと感じた。
「……生きたい。……好きな人と愛し合って、生きていきたいの」
感情が高ぶり、涙が頬を伝っていく。
それを薄明の光が照らし、彼女の白い面をうっすらとしたオレンジ色に染める。
「私、望まれて生まれた子じゃないと知ってショックだった。お父さんが私を愛していなかった事も悲しかった。……両親のどちらも、私を求めてくれなかった」
春佳は涙を流しつつも、必死に訴える。
「でもお兄ちゃんだけは、私を必要としてくれた。……だから私は、あなたを幸せにするために生きていきたい……っ」
涙声で言い切った春佳の言葉を聞き、冬夜も涙を流して頷いた。
「一緒に生きよう」
微笑んだ彼は春佳の頬に唇を寄せ、ちゅっと涙の雫を吸う。
そして妹の手を握り、語りかける。
「これからは俺がお前を愛していく。足りなかったすべての愛を俺が与える」
誓いを立てる彼の言葉を聞き、春佳はポロポロと新たな涙を流す。
「世界は俺たちを見捨てたかもしれない。……でも誰かに頼らなくても、俺たちなら幸せになれる。……なるんだ。……俺は、春佳を一生愛して、生まれてくる子供に愛情を注ぎ、幸せな家庭を築く」
冬夜の頬を伝った涙が顎先に至り、浴槽のお湯に滴った。
「結婚してくれ。……俺と、生きよう」
涙を流しながらプロポーズされ、春佳はクシャリと相好を崩し、――冬夜に抱きついた。
「生きる! ……っ樹と、生きていく……っ!」
春佳は勇気を出して彼の本当の名前を呼び、ギュッと腕に力を込めた。
壮大な朝焼けが広がるなか、空と海に抱かれた二人はまっさらな心をぶつけ合う。
すべてが嘘だったし、常人なら考えつかない歪んだ想いの上に自分たちの人生は成り立っていた。
だが〝普通〟と違っていても、両親にはそれぞれの愛の形があったし、自分たちもまた〝普通〟とは違う人生を歩み、〝普通〟ではない夫婦となる。
樹と春佳は世間的に問題のない関係だが、彼らの心の底には兄妹としての意識がしっかりと根付いている。
――けど、それでもいい。
――私たちには、私たちの愛がある。
――その過程にどれだけの罪が横たわっていたとしても、私たちの愛はこれでいい。
潮騒が轟くなか、春佳はしっかりと樹を抱き締める。
世界の片隅で、春佳は誰にも知られないプロポーズを受けた。
今まで兄妹だった二人が結婚すると知れば、周囲の人は驚くだろう。
祝福してくれない人もいるかもしれない。
――だから、私たちの関係はこれぐらいで丁度いい。
涙を流した二人は自然と唇を寄せ、二度目のキスをした。
水平線の上にはオレンジや茜、金色の光に満たされ、頭上にはラベンダー色の雲がその縁を黄金色に光らせていた。
魂が震えるほど美しい朝焼けを前に、何も纏わぬ二人は神聖なキスを交わす。
樹は春佳の肌を辿りながら言った。
「今までの瀧沢冬夜と瀧沢春佳は死んだ。これからの俺たちは誰にも遠慮せず、幸せになるために生きていく」
「うん……っ」
春佳は目を閉じ、樹の胸板に顔を寄せる。
目を開けると身をとろけさせた太陽が少しずつ昇り、一日の始まりを告げようとしている。
――私たちの人生は、これから始まる。
新しい人生への希望に、胸の奥が疼く。
桜の蕾が東風に吹かれて震えるように、二人は歓びに満ちた人生の春に胸を躍らせ、期待する。
――きっと幸せな人生が待っている。
泥の中、藻掻き足掻いて、這いつくばって進んだ果てに今がある。
そして泥に埋もれた地下茎は、スッと上に伸びて清らかな水の上で美しい蓮の花を咲かせるのだ。
抱き合った二人は、空と海が真っ青になるまで、温かな湯に浸かって壮大な景色を眺めていた。
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コメント
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はる。——読んだけど、もう、これは……本当に良かった……。 湯船と朝焼け、二人が重なって“生まれ変わる”決意をする流れが美しすぎて、見てるこっちも息が止まったよ……。特に冬夜が「初めて好きな女性を抱けて、男をポジティブに認められた」って言うシーン、胸来た。今まで彼が背負ってきたもの全部が報われたみたいでさ。春佳の「あなたを幸せにするために生きていく」も凄く響く。言葉ひとつひとつが本物で、読んでて涙出た。 この話、人生のどん底から蓮の花みたいに這い上がる二人の姿が、朝日みたいに胸に染みる。本当にお疲れさまと言いたいし、幸せを祈らずにはいられない。最高の回やった。
臣桜
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臣桜
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田中葵
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らりるれろ
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